『古事記』-内容- 下巻(しもつまき)
仁賢天皇から推古天皇までは欠史十代ともいわれ、欠史八代と同じく系譜などの記述にとどまり具体的な著述が少ない。これは、書かれた当時においては、時代が近く自明のことなので書かれなかったなどと言われている。
下巻に出てくる主な人物
16代 仁徳天皇
大雀命(おほさざきのみこと)、難波の高津宮に坐(ま)してまして、天の下治(し)らしめしき(大阪市)。八十三歳(やそぢまりみとせ)で没。丁卯の年の八月十五日に崩りましき。御陵は毛受(もず)の耳原(みみはら)にあり(大阪府堺市)。
17代 履中天皇
伊邪本和氣命(いざほわけのみこと)、伊波禮(いはれ)の若櫻宮に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県磯城郡)。六十四歳(むそじまりよとせ)で没。壬申の年の正月三日に崩りましき。御陵は毛受にあり(大阪府堺市)。
18代 反正天皇
水歯別命(みづはわけのみこと)、多治比(たじひ)の柴垣宮に坐してまして、天の下治らしめしき(大阪府南河内郡)。六十歳(むそとせ)で没。丁丑の年の七月崩りましき。御陵は毛受野(もずの)にあり。
19代 允恭天皇
男淺津間若子宿禰命(をあさづまわくごのすくねのみこと)、遠飛鳥宮(とほつあすかのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(大和の飛鳥)。七十八歳(ななそぢまりやとせ)で没。甲乙の年の正月十五日に崩りましき。御陵は河内の恵賀の長枝(ながえ)にあり(大阪府南河内郡)。
20代 安康天皇
穴穂御命(あなほのみこと)、石上(いそのかみ)の穴穂宮(あなほのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県山辺郡)。五十六歳(いそぢまりむとせ)で没。御陵は菅原の伏見の岡にあり(奈良県生駒郡)。
21代 雄略天皇
大長谷若健命(おほはつせわかたけのみこと)、長谷(はつせ)の朝倉宮に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県磯城郡)。一百二十四歳(ももあまりはたちまりよとせ)で没。己巳の年の八月九日に崩りましき。御陵は河内の多治比の高(たかわし)にあり(大阪府南河内郡)。
22代 清寧天皇
白髪大倭根子命(しらにのおほやまとねこのみこと)、伊波禮(いはれ)の甕栗宮(みかくりのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県磯城郡)。没年、御年の記載なし。
23代 顕宗天皇
袁・之石巣別命(をけのいはすわけのみこと)、近飛鳥宮(ちかつあすかのみや)に坐してまして、天の下治らしめすこと八歳なりき(大阪府南河内郡)。三十八歳(みそぢまりやとせ)で没。御陵は片岡の石坏(いはつき)の岡の上にあり(奈良県北葛城郡)。
24代 仁賢天皇
意・命(おけのみこと)、石上の廣高宮に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県磯城郡)。没年、御年の記載なし。
25代 武烈天皇
小長谷若雀(おはつせのわかささのみことぎ)、長谷の列木宮(なみきのみや)に坐してまして、天の下治らしめすこと八歳なりき(奈良県磯城郡)。没年記載なし。御陵は片岡の石坏のおかにあり。
26代 継体天皇
哀本(おほとのみこと)、伊波禮の玉穂宮(たまほのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県磯城郡)。四十三歳(よそじまりみとせ)丁未の年の四月九日に崩りましき。丁未の年の四月九日に崩りましき。御陵は三島の藍の御陵なり(大阪府三島郡)。
27代 安閑天皇
広国押建金目(ひろくにおしたけかなひのみこと)、勾(まがり)の金箸宮(かなはしのみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県高市郡)。乙卯の年の三月十三に崩りましき。御陵は河内の古市(ふるち)の高屋村にあり(大阪府南河内郡)。
28代 宣化天皇
建小広国押楯(たけおひろくにおしたてのみことのみこと)、檜(ひのくま)の廬入野宮(いほりののみや)に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県高市郡)。没年、御年の記載なし。
29代 欽明天皇
天国押波流岐広庭(あめくにおしはるきひろにわのみこと)、師木島の大宮に坐してまして、天の下治らしめしき(奈良県磯城郡)。没年、御年の記載なし。
30代 敏達天皇
沼名倉太玉敷(ぬなくらふとたましきのみこと)、他田宮(をさだのみや)に坐してまして、天の下治らしめすこと、十四歳なりき(奈良県磯城郡)。甲辰の年の四月六日に崩りましき。御陵は川内の科長(しなが)にあり(大阪府南河内郡)。
31代 用明天皇
橘豊日(たちばなのとよひのみこと)、池邊宮に坐してまして、天の下治らしめすこと、三歳なりき(奈良県磯城郡)。丁未の年の四月十五日に崩りましき。御陵は石寸(いはれ)の掖上(いけのうえ)にありしを、後に科長の中の稜に遷しき(奈良県磯城郡)。
32代 崇峻天皇
長谷部若雀(はつせべのわかささぎのみこと)、倉橋の柴垣宮(しばかきのみや)に坐してまして、天の下治らしめおと、四歳なりき(奈良県磯城郡)。壬子の年の十一月十三日に崩りましき。御陵は倉椅の岡の上にあり(奈良県磯城郡)。
33代 推古天皇
長谷部若雀(はつせべのわかささぎのみこと)、小治田宮(をわりたのみや)に坐してまして、天の下治らしめすこと、三十七歳なりき(奈良県高市郡)。壬子の年の十一月十三日に崩りましき。御陵は大野の岡の上にありしを、後に科長の大き稜に遷しき(奈良県宇陀郡)。

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