1987年7月30日 - 赤道ギニアでテオドロ・オビアン・ンゲマが赤道ギニア民主党結成。
赤道ギニア(せきどうギニア、Equatorial Guinea)は正式名称赤道ギニア共和国 (República de Guinea Ecuatorial) であり赤道直下のギニア湾に浮かぶビオコ島、アンノボン島、および大陸部のムビニ(リオムニ)とエロベイ・グランデ島及びエロベイ・チコ島を併せたエロベイ諸島から成る国。ムビニは、カメルーン、ガボンに隣接する。 高温多湿の熱帯性気候。首都であるマラボはビオコ島にある。
国名
正式名称はスペイン語でRepública de Guinea Ecuatorial(レプブリカ・デ・ギネア・エクアトリアル)、フランス語でRépublique de Guinée Équatoriale(レピュブリク・ドゥ・ギネ・エクワトリヤル)。
公式の英語表記は、Republic of Equatorial Guinea(リパブリック・オヴ・エクワトーリアル・ギニー)。
日本語表記は、正式名称赤道ギニア共和国、通称赤道ギニア。なお、その通称とは裏腹に、赤道上に領土を持っていない。
歴史
15世紀にポルトガル人がビオコ島に上陸、ポルトガル領とされたが、1778年にポルトガルはブラジルの領有権を認めてもらうことと引き替えにスペインに割譲。以降奴隷貿易の中継地となった。1968年10月12日、マシアス・ンゲマ(以下マシアス)を大統領とし独立。ソ連圏と緊密な関係を維持。マシアスは1970年に政党活動を禁止し、1972年には終身大統領を宣言、1973年大統領への絶対権力の集中を定めた憲法を採択、独裁体制を固めた。
1979年8月マシアスの甥のテオドロ・オビアン・ンゲマ中佐(以下ンゲマ)がクーデター、マシアスを処刑して大統領に就任、軍事政権を敷いた。1982年に民政移管などを定めた新憲法を採択したが、クーデター未遂がたびたび発生。1987年、ンゲマ大統領の一党独裁の政権党として赤道ギニア民主党(以下PDGE)結成。1989年ンゲマ大統領3選。
民主化を要求するスペイン、フランス、米国の圧力を受け1991年11月、複数政党制を認めた新憲法が国民投票で承認されたが、大統領の免責規定などに野党勢力は反発。1993年の総選挙は野党の大半がボイコットする中、PDGEが大勝。1996年2月の大統領選も野党はボイコットし、ンゲマ大統領が得票率99%で4選。
1997年6月、政府は最大野党赤道ギニア進歩党のセベロ・モトヌサ党首に武器密輸容疑をかけ、進歩党の政治活動を禁止。モトヌサはスペインに亡命。裁判所は8月、国家反逆罪でモトヌサに懲役101年の判決。
1999年3月の総選挙でPDGEが80議席中75議席を獲得。残り4議席を人民同盟、1議席を社会民主連合が獲得。11月に進歩党など6つの反政府野党が民主化促進を掲げ、野党連合である民主野党戦線を結成。2002年12月の大統領選で野党4候補がボイコットし、ンゲマ大統領が得票率97.1%で5選。現在、ンゲマ大統領とPDGEによる強権支配が続く。
政治
赤道ギニアは共和制・大統領制を採用する立憲国家である。
国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は7年と長く、また再選制限がない。大統領は強大な権力を憲法により保障されている。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーを任命・罷免し、法令制定権、議会の解散権、軍の統帥権や条約の調印権などを持つ。
赤道ギニアの大統領一覧
閣僚評議会は首相、数名の副首相、および閣僚で構成されるが、実際の行政権は大統領が行使し、閣僚評議会はその執行機関に過ぎない。よってその権力は極めて小さく、大統領の補佐機関であるといえる。
赤道ギニアの首相一覧
議会は一院制の人民代表院(スペイン語でCamara de Representantes del Pueblo)で、定数は元来80であったが、2004年より100議席に増えた。議員は任期5年で、国民の直接選挙により選出される。
主要政党には赤道ギニア民主党(PDGE)がある。PDGEは旧独裁政党で、現行憲法により複数政党制が承認されてからも、議会内で圧倒的多数を占める支配政党である。野党は存在するが、いずれもPDGEにより活動が著しく制限されており、最大野党の赤道ギニア進歩党にいたっては活動禁止状態となっている。国内で現在活動する最大野党は社会民主連合。
赤道ギニアの政党一覧
赤道ギニア亡命政府
ビオコ自治運動
地方行政区分
赤道ギニアは7県に分けられている。( )内は県庁所在地。
アンノボン県 (パレ)
北ビオコ県 (マラボ)
南ビオコ県 (ルバ)
中南部県 (エヴィナヨン)
キエヌテム県 (エベビイン)
リトラル県 (バタ)
ウェレヌザス県 (モンゴモ)

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