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2009年6月の160件の記事

2009年6月28日 (日)

Teruhiko Saigō

Teruhiko Saigō (西郷輝彦 Saigō Teruhiko?, born February 5, 1947) is a Japanese singer and actor. As a singer, he is known as one of the three "Gosanke", referring to gosanke, the three great Tokugawa houses.

Saigō made his debut in 1964 with the song "Kimi Dake o", for which he won a Japan Record Award for best new artist.

As an actor, he has portrayed people as varied as 20th century Prime Minister Kakuei Tanaka (in the 1983 film Shōsetsu Yoshida Gakkō) and 16th century samurai Katakura Kagetsuna (in the 1987 NHK Taiga drama Dokuganryū Masamune). A native of Kagoshima, he has played the roles of native sons such as Kuroda Kiyotaka and Saigō Tsugumichi, but his characters also include Tokugawa Ieyasu and Yagyū Jūbei. His roles in Chūshingura tales have included Mōri Koheita (1985).

Saigō has starred in various prime-time television series. These include Edo o Kiru, Genkurō Tabi Nikki Aoi no Abarenbō, Abare Hasshū Goyō Tabi, and Abare Isha Ranzan. NHK has tapped him for various Taiga drama roles as well. Among them are Mōri Hiromoto (in Mōri Motonari, 1997), Sanada Yukimura (Aoi Tokugawa Sandai, 2000), and Honda Masanobu (NHK's Taiga drama Musashi, 2003) in addition to Katakura Kagetsuna. Other NHK roles have included the contemporary daytime drama Niji no Sekkei (1964) and the uncle of the title character in the asadora Wakaba (2004–05).

See also

西郷 輝彦-外部リンク

西郷 輝彦-舞台

ほか。

西郷 輝彦- NHK紅白歌合戦

1964年(昭和39年)~1973年(昭和48年) 10回連続出場

西郷 輝彦-バラエティ番組など

  • 新·アップダウンクイズ→アップダウンクイズ(1983年~1985年 小池清【元MBS局アナ】の後任)
  • さんまのまんま(関西テレビ)
  • 夜も一生けんめい。(日本テレビ)
  • 踊る!さんま御殿!!(日本テレビ)
  • 今夜は最高!(日本テレビ)
  • 笑っていいとも! テレフォンショッキング(フジテレビ)
  • 徹子の部屋(テレビ朝日)
  • 我ら、もの申す!第2弾(2009年3月、時代劇専門チャンネル、ご意見番)
  • 西郷 輝彦-テレビドラマ

    西郷 輝彦-映画

    ほか、多数。

    西郷 輝彦-音楽

    シングル

    1. 「君だけを」 作詞:水島哲 作曲・編曲:北原じゅん (1964.02.15)
    2. 「チャペルに続く白い道」 作詞:水島哲 作曲・編曲:北原じゅん (1964.04.15)
    3. 「星空のあいつ」 作詞:水島哲 作曲・編曲:北原じゅん (1964.06.01)
    4. 「十七才のこの胸に」 作詞:水島哲 作曲・編曲:北原じゅん (1964.08.01)
    5. 「青空の下夢がいっぱい」 作詞:水島哲 作曲・編曲:北原じゅん (1964.08.01)
    6. 「君と歌ったアベマリア」 作詞:水島哲 作曲・編曲:北原じゅん (1964.10.05)
    7. 「ジングルベル」 作詞:高田三九三 作曲:J. ピエールポイント 編曲:小杉仁三 (1964.11.01)
    8. 「我が青春」 作詞:水島哲 作曲・編曲:北原じゅん (1964.12.10)
    9. 「青年おはら節」 作詞:星野哲郎 作曲:米山正夫 編曲:福田正 (1965.01.01)
    10. 「から松林の別れ道」 作詞:水島哲 作曲・編曲:北原じゅん (1965.02.15)
    11. 「十代の涙」 作詞:水島哲 作曲・編曲:北原じゅん (1965.04.10)
    12. 「俺らは九州っ子」 作詞:星野哲郎 作曲・編曲:島津伸男 (1965.04.10)
    13. 「涙をありがとう」 作詞:関根浩子 作曲:米山正夫 編曲:小杉仁三 (1965.04.10)
      • 日活映画「涙をありがとう」主題歌
    14. 「始めからもういちど」 作詞 星野哲郎 作曲:米山正夫 編曲:小杉仁三 (1965.05.01)
      • 大映映画「狸穴町○番地」主題歌
    15. 「恋人ならば」 作詞・作曲:米山正夫 (1965.07.10)
    16. 「星娘」 作詞・作曲:浜口庫之助 編曲:小杉仁三 (1965.07.10)
    17. 「星と俺とで決めたんだ」 作詞:水島哲 作曲・編曲:小杉仁三 (1965.08.01)
      • 日活映画「星と俺とで決めたんだ」主題歌
    18. 「泣きたいときは泣き給え」 作詞:南沢純三 作曲:米山正夫 編曲:小杉仁三 (1965.10.01)
    19. 「ペダルに生きるやつ」 作詞:岡本淳三 作曲:米山正夫 編曲:重松岩雄 (1965.10.10)
    20. 「ママとおふくろさん」 作詞:淡島千景 作曲:米山正夫 編曲:秋山実 (1965.10.10)
      • 日本テレビドラマ「ママとおふくろ」主題歌
    21. 「この虹の消える時にも」 作詞:水島哲 作曲・編曲:北原じゅん (1965.12.01)
      • 日活映画「この虹の消えるときにも」主題歌
    22. 「西銀座五番街」 作詞・作曲:米山正夫 編曲:重松岩雄 (1966.01.01)
    23. 「涙になりたい」 作詞:杉本好美 作曲・編曲:北原じゅん (1966.02.01)
      • 日活映画「涙になりたい」主題歌
    24. 「花の百万拍子」 作詞:星野哲郎 作曲:米山正夫 編曲:福田正 (1966.03.10)
    25. 「僕だけの君」 作詞:星野哲郎 作曲:北原じゅん 編曲:五十嵐謙二 (1966.04.10)
    26. 「星のフラメンコ」 作詞・作曲:浜口庫之助 編曲:小杉仁三 (1966.07.01)
      • 日活映画「遥かなる慕情~星のフラメンコ」主題歌
    27. 「あの星と歩こう」 作詞:能勢英雄 作曲:米山正夫 編曲:重松岩雄 (1966.08.10)
    28. 「サンフランシスコ霧の港町」 作詞:水島哲 作曲・編曲:北原じゅん (1966.09.01)
    29. 「兄妹の星」 作詞・作曲:米山正夫 編曲: 福田正 (1966.10.01)
    30. 「傷だらけの天使」 作詞:我修院建吾 作曲:銀川晶子 編曲:小杉仁三 (1966.10.10)
      • 日活映画「傷だらけの天使」主題歌
    31. 「初恋によろしく」 作詞:星野哲郎 作曲:米山正夫 編曲:佐倉正巳 (1966.11.01)
    32. 「ハイヤング節」 作詞:星野哲郎 作曲・編曲:小杉仁三 (1967.01.01)
    33. 「恋人をさがそう」 作詞:原とし子 作曲:米山正夫 編曲:小杉仁三 (1967.02.01)
      • 日活映画「恋人をさがそう」主題歌
    34. 「世界の国からこんにちは」 作詞:島田陽子 作曲:中村八大 編曲:小杉仁三 (1967.03.01)
      • 大阪万国博覧会テーマソング
    35. 「願い星叶い星」 作詞・作曲:浜口庫之助 編曲:小杉仁三 (1967.04.20)
    36. 「この雨の中を」 作詞・作曲:米山正夫 編曲:小杉仁三 (1967.07.01)
    37. 「君らしく僕らしく」 作詞:星野哲郎 作曲・編曲:狛林正一 (1967.08.01)
    38. 「はまなす日記」 作詞:水島哲 作曲・編曲:狛林正一 (1967.09.01)
    39. 「潮風が吹きぬける町」 作詞:奥野椰子夫 作曲:米山正夫 編曲:重松岩雄 (1967.10.01)
    40. 「糸満育ち」 作詞:星野哲郎 作曲・編曲:前田利明 (1967.11.01)
    41. 「君でいっぱい」 作詞:星野哲郎 作曲:米山正夫 編曲:小杉仁三 (1967.12.01)
    42. 「月のしずく」 作詞:銀川晶子 作曲:五代けん 編曲:田代久勝J.トップス (1968.02.01)
    43. 「虹を買おう」 作詞:磯村浩 作曲:米山正夫 編曲:小杉仁三 (1968.04.01)
    44. 「ふるさとにっぽん」 作詞:星野哲郎 作曲・編曲:岩河三郎 (1968.04.10)
    45. 「若鷲の歌」 作詞:西條八十 作曲:古関裕而 編曲:狛林正一 (1968.05.01)
      • 東映映画「あゝ予科練」主題歌
    46. 「ガラスの涙」 作詞:水島哲 作曲・編曲:鈴木邦彦 (1968.07.01)
    47. 「星のフィアンセ」 作詞:麻生たかし 作曲・編曲:小杉仁三 (1968.08.01)
    48. 「友達の恋人」 作詞:銀川晶子 作曲:ロベルト・カルロス 編曲:竹村次郎 (1968.10.01)
    49. 「運命のひと」 作詞:なかにし礼 作曲:北原じゅん 編曲:小杉仁三 (1968.12.10)
    50. 「涙は眠れない」 作詞:星野哲郎 作曲:叶弦大 編曲:荒川圭男 (1969.03.01)
    51. 「ブランコの歌」 作詞:なかにし礼 作曲・編曲:中村八大 (1969.04.01)
    52. 「三日月のバロック」 作詞:関沢新一 作曲:米山正夫 編曲:小杉仁三 (1969.06.01)
    53. 「海はふりむかない」 作詞:田谷静恵水沢圭吾 作曲:中川博之 編曲:小杉仁三 (1969.09.10)
      • 松竹映画「海はふりむかない」主題歌
    54. 「静かに静かに」 作詞:安井かずみ 作曲:平尾昌晃 編曲:小谷充 (1970.01.01)
    55. 「赤い花 白い花」 作詞・作曲:米山正夫 編曲:親泊正昇 (1970.04.01)
    56. 「真夏のあらし」 作詞:阿久悠 作曲・編曲:川口真 (1970.08.01)
    57. 「情熱」 作詞:阿久悠 作曲・編曲:川口真 (1970.10.20)
    58. 「雪が降る」 作詞:安井かずみ 作曲:アダモ 編曲:川口真 (1971.03.25)
    59. 「魅惑」 作詞:阿久悠 作曲・編曲:川口真 (1971.04.10)
    60. 「掠奪」 作詞:阿久悠 作曲・編曲:都倉俊一 (1971.07.10)
    61. 「自由の鐘」 作詞:ちあき哲也 作曲・編曲:筒美京平 (1971.12.25)
    62. 「哀しみの終わるとき」 作詞:岩谷時子 作曲:ミッシェル・ポルナレフ 編曲:春見俊介 (1972.02.10)
    63. 「愛したいなら今」 作詞:阿久悠 作曲・編曲:都倉俊一 (1972.07.20)
    64. 「まっちゃげもした」 作詞:木沢長太郎 作曲・編曲:服部克久 (1972.12.05)
    65. 「気まぐれな日曜日」 作詞:千坊さかえ  作曲:我修院建吾 編曲:東海林修 (1972.12.20)
    66. 「俺たちの明日」 作詞:山上路夫 作曲:山下毅雄 編曲:ボブ佐久間 (1973.04.05)
      • TBSドラマ「まごころ」主題歌
    67. 「ローリング・ストーンズは来なかった」  作詞・作曲・編曲:藤本卓也(1973.06.20)
    68. 「かもめ」 作詞:小谷夏 作曲・編曲:小杉仁三 (1973.10.05)
    69. 「どてらい男(ヤツ)」 作詞:花登筐 作曲:神津善行 編曲:佐々永治 (1973.11.25)
      • 関西テレビドラマ「どてらい男」主題歌
    70. 「なにかが起きる」 作詞:岩谷時子 作曲:加瀬邦彦 編曲:東海林修 (1974.02.25)
    71. 「君こそライオンズ」 作詞:黒瀬泰宏本間繁義 作曲:中村八大 編曲:小杉仁三 (1974.07.10)
    72. 「旅立ち」 作詞:なかにし礼 作曲:中村泰士 編曲:あかのたちお (1974.11.25)
      • 関西テレビドラマ「どてらい男」挿入歌
    73. ねがい」 作詞:山上路夫 作曲・編曲:いずみたく (1976.12.21)
    74. 「ジグザグブルース」 作詞:ジェームス三木 作曲:渡辺岳夫 編曲:青木望 (1977.05.25)
      • テレビ朝日ドラマ「ジグザグブルース」主題歌
    75. 「試練」 作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお 編曲:鈴木茂 (1978.06.25)
    76. 「しなやかな愛」 作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお 編曲:あかのたちお (1979.04.25)
    77. 「ロード・ショウ」 作詞:阿木燿子 作曲:伊勢正三 編曲:鈴木茂 (1980.07.25)
    78. 「風は南風」 作詞:門谷憲二 作曲:西郷輝彦 編曲:松井忠重 (1982.10.01)
    79. 「ANGEL」 作詞・作曲:西郷輝彦 編曲:岩倉健二 (1983.04.21)
    80. 「パサディナ・フリーウェイ」 作詞:大津あきら 作曲:西郷輝彦 編曲:西郷輝彦・マーク・レオナルドチャス・サンフォード  (1984.06.21)
    81. 「面影グラス」 作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし 編曲:川口真 (1985.11.21)
    82. 「誰がために夜は明ける」 作詞:阿久悠 作曲:西郷輝彦 編曲:川口真 (1989.03)
    83. 「旅はさすらい」 作詞:中山大三郎 作曲:浜口庫之助  編曲:若草恵 (1991.03.21)
    84. 「別れの条件」 作詞:荒木とよひさ 作曲:都志見隆 編曲:川村栄二 (1993.09.21)
      • テレビ東京ドラマ「あばれ八州御用旅」第4シリーズ主題歌
    85. 「時に抱かれて」 作詞:荒木とよひさ 作曲:都志見隆 編曲:川村栄二 (1995.08.21)
    86. 「銀河のはてに」 作詞・作曲:西郷輝彦 編曲:若草恵 (1997.09.03)
    87. 「星月夜」 作詞・作曲:西郷輝彦 編曲:青木望 (1998.02.15)
    88. 「桜花(はな)のとき 」 作詞:荒木とよひさ 作曲:中川博之 編曲:竜崎孝路 (1999.02.01)
    89. 「小さな手紙」(G3K) 作詞:白峰美津子 作曲:松本俊明 編曲:岩崎元是 (2000.08.23)
    90. 「星の涙」 作詞:湯川れい子 作曲:芹澤廣明 編曲:桑田聡子 (2000.10.21)
    91. 「sora ―空― (D-NA)」 作詞:西郷輝彦 作曲:西郷輝彦・辺見鑑孝 編曲:辺見鑑孝 (2004.02.25)

    西郷 輝彦-来歴・人物

    鹿児島商業高校中退後、上京し、1964年2月、クラウンレコードより「君だけを」でデビュー。第6回日本レコード大賞新人賞を獲得。同年「十七才のこの胸に」で映画デビュー。ビート歌謡曲歌手として大人気であっただけでなく多くの映画に主演し、1960年代を代表する青春スターであった。この頃は、龍美プロ(現:サンミュージックプロダクション)に所属していた。自作曲「傷だらけの天使」もヒットした。

    1970年代に入り「真夏のあらし」「情熱」とロックポップス色を前面に出した曲が立て続けにヒットし、1971年2月には、日生劇場でのロングラン公演を果たし大成功を収めた。 1973年、TVドラマ「どてらい男(ヤツ)」に主演、1975年にはTV時代劇「江戸を斬る」にも主演し人気シリーズとなり、俳優としての地位を確立。その後、森繁久弥に師事し、舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」などに出演する森繁ファミリーの一員でもある。

    大ヒット曲「星のフラメンコ」は、物まねタレントやCMなどにパロディー化されている(本人出演のテレビCMでのセルフパロディーもあった)。NHK大河毛利元就」の毛利弘元役や、時代劇「水戸黄門」(TBS系)の松平頼常役、「江戸を斬る」の遠山金四郎役など主に時代劇俳優として活躍する一方、タレントとしてもみのもんたの「午後は○○おもいッきりテレビ」(NTV系)などに出演。1972年に辺見マリと結婚し、二児をもうけたが1981年に離婚。長男はミュージシャンの辺見鑑孝、長女はタレントの辺見えみり。再婚した妻の間に三女がいる。2005年よりブログを開設し、関西弁で書かれている。

    芸名の「西郷」は尊敬する郷土の英雄・「大西郷」こと西郷隆盛にちなんだもの。1987年年末時代劇スペシャル田原坂」(日本テレビ系)では「小西郷」こと西郷従道役を演じた。2008年新春に放送された「南洲翁異聞」(鹿児島テレビ放送開局40周年記念ドラマ)で、ついに念願の西郷隆盛役を演ずることになった。

    2009年、デビュー45周年を迎え、1月20日には東京千代田区の日比谷公会堂で昼夜2回の記念コンサートを開催。延べ4200人が、その力強い歌声に酔いしれ、大成功のうちに終了した。

    アップル社の商品の大ファンで、「がっちりマンデー」の「スティーブ・ジョブス」特集(2009年2月8日放送)では「芸能界一のアップルマニア」として出演。VTRを見て感涙してしまい、司会の加藤浩次から「好き過ぎ」と言われてしまった。 MacBook Airの発表会でスティーブ・ジョブスが封筒からMacBook Airを取り出すパフォーマンスに感銘し、MacBook Air購入後に封筒に入れてみたことがある。

    さいごう てるひこ

    西郷 輝彦
    本名今川 盛揮
    生年月日1947年2月5日(62歳)
    出生地 日本, 鹿児島県
    民族日本人
    血液型A型
    ジャンル俳優歌手
    活動期間1964年 - 現在
    公式サイト西郷百歌店
    主な作品
    テレビドラマ
    どてらい男
    江戸を斬る』II~VI
    あばれ八州御用旅
    警部補佃次郎シリーズ』他


    君だけを』  
    星のフラメンコ

    受賞
    1989年
    蘆火野』で菊田一夫演劇賞

    西郷輝彦( 日本の歌手 )

    西郷 輝彦さいごう てるひこ、本名:今川 盛揮1947年2月5日 - )は、鹿児島県谷山市(現鹿児島市)出身の日本俳優歌手タレント。血液型:A型。

    歌手としては、橋幸夫舟木一夫と共に、「御三家」と呼ばれた(徳川御三家になぞらえて命名された)。芸名明治維新の三傑の一人、西郷隆盛にちなむ。

    2009年6月21日 (日)

    美樹克彦-外部リンク

    Yahoo! JAPAN内のプロフィール

    美樹克彦-代表曲

    • 花はおそかった」(1967年
      • 美樹の人気を決定付けた一曲。同曲で第18回NHK紅白歌合戦に(唯一)出場した。ラストの台詞でバカヤロー!!と叫び、当時物議を醸した。その後も「バカヤロー!!」と叫ぶ台詞がある楽曲は、西城秀樹の「白い教会」、近藤真彦の「ブルージーンズメモリー」といった男性アイドル歌謡曲へ引き継がれた。
    • もしかして
      • 小林幸子への提供楽曲(1984年、作詞:榊みちこ)。同年には小林とのデュエット盤「もしかしてPART-II」をリリース。現在もカラオケのデュエット・ソングの定番として歌い継がれている。

    美樹克彦-来歴・人物

    1954年幼稚園生の終わりごろに京都市内の劇団「ペチカ」に入団。市立衣笠小学校から市立衣笠中学校に進学し、この間子役として(芸名も本名のままで)70本近くの映画に出演。

    それと並行して歌のレッスンも行い、中学2年のときに上京、新宿区立四谷第一中学校に転校。歌手としてビクターレコードから「トランジスター・シスター」でデビュー。その一方でフジテレビ三匹の侍』など、テレビ映画にも出演した。1965年日本大学鶴ヶ丘高等学校2年のとき、芸名を現在の美樹克彦に改名し、日本クラウンから「俺の涙は俺がふく」で歌手として再デビュー。その後、「回転禁止の青春さ」、「6番のロック」、「恋の台風第一号」、「赤いヘルメット」、「花はおそかった」など、多くのヒット曲を連発し、一躍アイドル歌手となった。日本大学藝術学部映画学科に進学したが1969年に2年で中退。キャニオンポリドールへの移籍を経て、RCAビクター(現・BMG JAPAN)に移籍後はシンガーソングライターに転向。その後も楽曲提供を行ったり、プロデューサー活動も展開している。

    1977年に結婚。 近年では2009年探偵!ナイトスクープに出演し、久々に「花はおそかった」をテレビで披露した。

    美樹克彦( 京都市出身の人物 )

    美樹 克彦(みき かつひこ、1948年10月22日 - )は、シンガーソングライター音楽プロデューサーである。京都市右京区の生まれ。本名および旧芸名目方 誠(めかた まこと)。

    2009年6月20日 (土)

    石原裕次郎-生平

    石原裕次郎年幼的時候體質虛弱。任職船公司的父親,曾輾轉調任到兵庫縣神戶市須磨區、北海道小樽市神奈川縣逗子市等地,因此過著比較富裕的童年生活。

    1956年在慶應義塾大學法學部退學後,兄長慎太郎的「太陽族」文學作品《太陽的季節》(芥川賞受賞作) 拍成電影(長門裕之南田洋子主演)。同時,慎太郎另一套「太陽族」作品《瘋狂的果實》(中平康執導)也被改篇成為電影,由裕次郎擔任主角(參演的演員有津川雅彥北原三枝),大受歡迎。翌年《呼喚暴風雨的男人》令裕次郎人氣急升,晉身至大明星的行列。

    石原裕次郎歌影兩棲,與小林旭美空雲雀的前夫)均為日活的頭號皇牌演員。日活在1971年決定轉移製作路線,改拍成人軟性色情電影,石原裕次郎便改往電視劇方向發展,並成立「石原Production」,以製作人和演員的身份活躍於電視圈。代表作品包括長壽警匪劇《向太陽怒吼!》(港譯:追輯令)、《大都會》及《西部警察》。

    1978年證實患上舌癌。1981年患上解離性大動脈瘤,一度性命垂危,但成功完成割除腫瘤手術。期間與妻子和好友渡哲也(石原軍團成員)及石原軍團上下仝人攜手共渡難關。其後再證實患上肝癌,1987年7月17日下午4點26分在慶應義塾大学病院去世,享年52歲。

    石原裕次郎終其一生嗜煙酒,愛吃肉類而偏食蔬菜。普遍認為這種不健康的生活及飲食習慣,是石原裕次郎壯年逝世的理由。

    石原慎太郎為悼念弟弟裕次郎,寫下傳記《弟弟》一書。2004年朝日電視台改篇成電視劇。

    石原裕次郎

    石原裕次郎

    日語寫法
    日語原文 石原裕次郎
    假名 いしはら ゆうじろう
    罗马字 Ishihara Yūjirō

    电影

    电视剧

    石原裕次郎

    石原 裕次郎1934年12月28日1987年7月17日),是日本兵庫縣神戶市須磨區出身的日本著名演員歌手。與美空雲雀被視為日本戰後最具代表性的演藝家之一。石原軍團 (石原裕次郎製作公司「石原Promotion」的暱稱)的領袖及「石原Promotion」第一任社長。

    政壇名人石原慎太郎是他的哥哥。慶應義塾大學中途退學。妻子是前日活頭牌女星北原三枝(藝名,婚後引退,本名為石原まき子)。

    石原裕次郎

    石原 裕次郎1934年12月28日1987年7月17日),是日本兵庫縣神戶市須磨區出身的日本著名演員歌手。與美空雲雀被視為日本戰後最具代表性的演藝家之一。石原軍團 (石原裕次郎製作公司「石原Promotion」的暱稱)的領袖及「石原Promotion」第一任社長。

    政壇名人石原慎太郎是他的哥哥。慶應義塾大學中途退學。妻子是前日活頭牌女星北原三枝(藝名,婚後引退,本名為石原まき子)。

    Yujiro Ishihara-Filmography

    (Filmography 1956-1958 is complete.)

    Japanese movie poster for Yoru no kiba (1958)

    Yujiro Ishihara

    Yujiro Ishihara

    Yujiro Ishihara as appeared at 1957 movie poster Shori-sha.
    BornDecember 28, 1934
    Kobe
    NationalityJapanese
    Occupationactor and singer

    Discography

    • Ginza no Koi no Monogatari (銀座の恋の物語)
    • Brandy Glass (ブランデー グラス)

    TV drama

    External links

  • Yujiro Memorial Hall's website (Japanese) — Yujiro Ishihara Memorial Hall is a museum in Otaru, Hokkaidō
  • Japan Mint: 50th Anniversary of Yujiro Ishihara's Film Debut 2006 Proof Coin Set
  • Yujiro Ishihara at the Internet Movie Database
  • http://shishido0.tripod.com/ishihara.html
  • Seibu Keisatsu

    Seibu Keisatsu
    FormatAction, Drama
    StarringTetsuya Watari, Ishihara Yūjirō, Akiji Kobayashi, Hiroshi Tachi
    Country of origin Japan
    No. of seasons3 TV series, 1 Special
    Broadcast
    Original channelTV Asahi
    Original runOctober 10, 1979October 22, 1984 (Series)
    October 31, 2004 (TV Special)

    Seibu Keisatsu

    Seibu Keisatsu (西部警察 Police: Western Division) is a television drama series produced by Ishihara Promotions (石原プロモーション ishihara puromōshon?) and broadcast on TV Asahi (テレビ朝日 terebi asahi.?)

    Plot

    The series portrays the Western Police Headquarters Criminal Investigation Division's Detective Chief Daimon, played by Tetsuya Watari (渡哲也 Watari Tetsuya?) and his subordinates, dubbed the Daimon Force (大門軍団 Daimon Gundan?), and their superior, Section Chief Kogure, played by Ishihara Yūjirō (石原 裕次郎 Yūjirō Ishihara?), as they fight against heinous criminals.

    With its flashy, over-the-top explosion scenes, car stunts, this series gained a reputation as a macho drama. It is representative of the police & detective dramas of not only the 1980's and the 20th century.

    Series

    • TV Series Seibu Keisatsu (10/14/1979 - 4/18/1982)
    • TV Series Seibu Keisatsu Part-II (5/30/1982 - 3/20/1983)
    • TV Series Seibu Keisatsu Part-III (4/3/1983 - 10/22/1984)
    • TV Special Seibu Keisatsu Special (10/31/2004)

    External links

    Alone on the Pacific

    Alone Across the Pacific (太平洋ひとりぼっち Taiheiyo hitori-botchi) is a 1963 color (Eastmancolor) Japanese adventure film directed by Kon Ichikawa. It was entered into the 1964 Cannes Film Festival.

    The film is based on the book Alone on the Pacific (USA title) (Kodoku) and 1962 first solo voyage across the Pacific by Kenichi Horie.

    Cast

    External links

    Alone on the Pacific
    Directed byKon Ichikawa
    Produced byIshihara
    Nikkatsu
    Akira Nakai (producer)
    Written byKenichi Horie (story and book)
    Natto Wada (writer)
    StarringYujiro Ishihara
    CinematographyYoshihiro Yamazaki
    Editing byMasanori Tsujii
    Release date(s)27 October, 1963
    Running time97 minutes
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    Crazed Fruit

    Crazed Fruit

    Japanese movie poster
    Directed byKō Nakahira
    (as Yasushi Nakahira)
    Produced byTakiko Mizunoe
    Written byShintaro Ishihara
    StarringAyuko Fujishiro
    Taizō Fukami
    Mie Kitahara
    Harold Conway
    Music byMasaru Satō
    Tōru Takemitsu
    CinematographyShigeyoshi Mine
    Distributed byNikkatsu
    Release date(s)July 12, 1956
    Running time86 minutes
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    Crazed Fruit

    Crazed Fruit (狂った果実 Kurutta kajitsu?) is a 1956 Japanese Sun Tribe film directed by Kō Nakahira. It is an adaptation of the novel of the same name by Shintaro Ishihara.

    another Japanese movie poster
    Cast

    External links

    Crazed Fruit

    Japanese movie poster
    Directed byKō Nakahira
    (as Yasushi Nakahira)
    Produced byTakiko Mizunoe
    Written byShintaro Ishihara
    StarringAyuko Fujishiro
    Taizō Fukami
    Mie Kitahara
    Harold Conway
    Music byMasaru Satō
    Tōru Takemitsu
    CinematographyShigeyoshi Mine
    Distributed byNikkatsu
    Release date(s)July 12, 1956
    Running time86 minutes
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    Kurenai no tsubasa

    Kurenai no tsubasa (紅の翼, lit. "Crimson Wings") is a 1958 black and white Japanese film directed by Kō Nakahira.

    Cast

    Kurenai no tsubasa

    Japanese movie poster
    Directed byKō Nakahira
    Produced byNikkatsu
    Release date(s)December 28, 1958[1]
    Running time93 min.
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    Red Quay

    Red Quay (赤い波止場 Akai hatoba) is a 1958 black and white action Japanese film directed by Toshio Masuda.

    Red Quay was one of the many successful collaborations between director Toshio Masuda and actor Yujiro Ishihara which defined the Nikkatsu action film genre.

    Cast

    External links

    Red Quay

    Japanese movie poster
    Directed byToshio Masuda
    Produced byNikkatsu
    Written byIchiro Ikeda (writer)
    Toshio Masuda (writer)
    Release date(s)September 23, 1958[1]
    Running time100 min.
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    Fūsoku 40 metres

    Fūsoku 40 metres (風速40米 Fūsoku yonjū mētoru), literally "windspeed 40 metres", is a 1958 color Japanese film directed by Koreyoshi Kurahara.

    Cast

    Fūsoku 40 metres

    Japanese movie poster
    Directed byKoreyoshi Kurahara
    Produced byNikkatsu
    Release date(s)August 12, 1958[1]
    Running time? min.
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    Subarashiki dansei

    Subarashiki dansei (素晴しき男性?) is a 1958 Japanese film directed by Umetsugu Inoue.

    Cast

    Subarashiki dansei

    Japanese movie poster
    Directed byUmetsugu Inoue
    Produced byNikkatsu
    Written byUmetsugu Inoue
    Release date(s)July 6, 1958[1]
    Running time? min.
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    Sun in the Last Days of the Shogunate

    Sun in the Last Days of the Shogunate (幕末太陽傳 Bakumatsu taiyōden?) (幕末太陽伝) is a 1957 black and white comedy Japanese film directed by Yuzo Kawashima.

    Cast

    External links

    Sun in the Last Days of the Shogunate at the Internet Movie Database

    Sun in the Last Days of the Shogunate

    Original Japanese movie poster
    Directed byYuzo Kawashima
    Distributed byNikkatsu
    Release date(s)Flag of Japan July 14 1957
    Running time110 min.
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    2009年6月17日 (水)

    Jazz musume tanjō

    Jazz musume tanjō (ジャズ娘誕生 Jazu musume tanjō?) is a 1957 black and white Japanese film directed by Masahisa Sunohara.

    Cast

    Jazz musume tanjō

    Japanese movie poster
    Directed byMasahisa Sunohara
    Produced byNikkatsu
    Release date(s)April 3, 1957[1]
    Running time77-78 min.[2][3]
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    A Slope in the Sun

    Hi no ataru sakamichi (陽のあたる坂道?) aka A Slope in the Sun is a 1958 black and white Japanese film drama directed by Tomotaka Tasaka.

    The film is based on the novel by Yōjirō Ishizaka.

    The film won 1959 Blue Ribbon Awards for best director and also won 1959 Mainichi Film Concours for best cinematography.

    Cast

    External links

    Hi no ataru sakamichi

    Japanese movie poster
    Directed byTomotaka Tasaka
    Produced byNikkatsu
    Written byYōjirō Ishizaka (novel)
    Ichirō Ikeda (writer)
    Tomotaka Tasaka (writer)
    Music byMasaru Satō
    CinematographySaburo Isayama
    Release date(s)April 15, 1958
    Running time214 min.
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    I Am Waiting

    I Am Waiting (俺は待ってるぜ Ore wa matteru ze) is a 1957 black and white Japanese film drama directed by Koreyoshi Kurahara.

    Cast

    External links

    Am Waiting

    Japanese movie poster
    Directed byKoreyoshi Kurahara
    Produced byTakiko Mizunoe
    Written byShintarō Ishihara
    StarringYujiro Ishihara
    Mie Kitahara
    Music byMasaru Satō
    CinematographyKurataro Takamura
    Editing byAkira Suzuki
    Distributed byNikkatsu
    Release date(s)October 20, 1957
    Running time91 minutes
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    Season of the Sun

    Season of the Sun (太陽の季節 Taiyō no kisetsu) is a 1956 black and white Japanese film directed by Takumi Furukawa.

    This film is a 1956 feature film adaptation of Shintarō Ishihara's novel Season of the Sun. It was also noteworthy because it marked the cinema debut, in a supporting role, of Yujiro Ishihara (brother of the author of the novel) who went on to become one of Japan's most successful film stars of the late 1950s and early 1960s (and who remains a cultural icon following his untimely death in 1987)

    .Cast

    Plot

    The film tells the story of a group of high school boxing team members who spend their days drinking, sailing and chasing girls, and who more often than not spend their nights getting into brawls. In particular, it focuses upon Tatsuya, a sullen young man, who falls in love with Eiko, a proud upper-class girl.

    See also

    External links

    Season of the Sun

    Japanese movie poster
    Directed byTakumi Furukawa
    Produced byNikkatsu, Takiko Mizunoe
    Written byTakumi Furukawa (screenplay)
    Shintarō Ishihara (novel)
    Music byMasaru Satō
    CinematographySaburo Isayama
    Release date(s)May 17, 1956
    Running time59 min.
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    Washi to taka

    Washi to taka (鷲と鷹) is a 1957 color Japanese film directed by Umetsugu Inoue.

    Yujiro Ishihara won 1958 Blue Ribbon Awards for this film as the best new actor altogether with Man Who Causes a Storm (1957).

    Cast

    External links

    Washi to taka

    Japanese movie poster
    Directed byUmetsugu Inoue
    Produced byDaiei
    Release date(s)September 29, 1957[1]
    Running time115 min.
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    Man Who Causes a Storm

    Man Who Causes a Storm (嵐を呼ぶ男 Arashi o yobu otoko?) aka A Storming Drummer is a 1957 color Japanese film directed by Umetsugu Inoue.

    Cast

    External links

    Man Who Causes a Storm

    Japanese movie poster
    Directed byUmetsugu Inoue
    Produced byNikkatsu
    Written byUmetsugu Inoue (writer)
    Dai Nishijima (writer)
    CinematographyKazumi Iwasa
    Release date(s)December 29, 1957
    Running time101 min.
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    2009年6月15日 (月)

    Rusty Knife

    Rusty Knife (錆びたナイフ Sabita naifu) is a 1958 action Japanese film directed by Toshio Masuda.

    Cast

    References

    1. ^ (Japanese) http://www.jmdb.ne.jp/1958/ch001080.htm accessed 15 January 2009

    External links

    Rusty Knife

    Japanese movie poster
    Directed byToshio Masuda
    Produced byNikkatsu
    Release date(s)March 11, 1958[1]
    Running time90 min.
    CountryJapan
    LanguageJapanese

    Yujiro Ishihara

    Yujiro Ishihara (石原 裕次郎 Ishihara Yūjirō) (December 28, 1934July 17, 1987) was a Japanese actor and singer born in Kobe. His elder brother, Shintaro Ishihara, is an author, politician, and the current Governor of Tokyo. Yujiro debuted in 1956 in "Season of the Sun," based on a novel written by his brother. As a representative youth star in films of the immediate postwar, and subsequently as a macho movie hero, he was beloved by many fans, who extravagantly mourned his early death at 52.

    Yujiro Ishihara won 1958 Blue Ribbon Awards as the best new actor for films Washi to taka (1957) and Man Who Causes a Storm (1957).

    His Filmographies and discographies are still alive among the Showa-period lovers. At the date of his early death, 17 July (1987), the mourning ceremony is often broadcast on TV.

    Spouse: Mie Kitahara.

    He founded Ishihara Productions film company.

    He died on July 17, 1987 from liver cancer.

    He is on 1997 Japanese postal stamp.

    西部警察 PART-III-登場車両

    補足

    • 北条卓役の御木裕がシリーズ序盤に体調を崩し入院。その為、第10話、第12話~14話には出演していない。(第8話~9話も前半の一部のシーンにしか出演していない。)また第8話からの新OP映像の撮影時にも入院していた為、北条刑事の映像のみ前OPの映像をそのまま使用している。
    • 土曜日昼の人気番組『独占!女の60分』では、当番組の地方ロケ編が放映される前日に、アタッカー(リポーター)がロケ現場の舞台裏を取り上げていた。他にも深夜番組『トゥナイト』でもロケ現場の舞台裏を取り上げていた。こちらは一部ダイジェストで『西部警察 SPECIAL』のDVD特典映像で挿入されている。
    • 遅れネット局のうち、TBS(JNN)系列の一部の局(北陸放送山陰放送長崎放送琉球放送など)では、同じくテレビ朝日(ANN)系列で火曜21時台に放送されていた時代劇『柳生十兵衛あばれ旅』の後番組扱いとなっていた。本来の後番組が生放送も行われた音楽番組『ザ・ベストヒット'83』となり、番組の特性上遅れネットができなかったと見られる。以上の4局での放送時間は火曜日の22:00 - 22:54[1]。なお、最終回スペシャルへの各局の対応状況は不明(但し、長崎放送は、日曜日の昼ごろに放送された。)またここから福井県での放映ネット局が福井テレビ(土曜日13:00 - 13:54)から福井放送に変更され、日本テレビ系列月曜21時枠(月曜スター劇場枠)をいったん時差ネットに降格させる形で月曜日21:00 - 21:54に1日遅れで放送された。

    西部警察 PART-III-地方ロケ

    • 9話、10話:全国縦断第5弾、福島ロケ(日中ダム建設地に作られた3000万円要塞、爆破)
    • 15話:静岡ロケ
    • 17話:全国縦断第6弾、鹿児島ロケ(桜島内の採石場跡に作られた要塞?爆破)
    • 18話、19話:全国縦断第7弾、福岡ロケ(19話で爆破された漁船:1700万円)
    • 23話、24話:全国縦断第8弾、山形ロケ(23話は民間から買った倉庫、貨車、ミサイルのセットを爆破。24話は馬匹車(日野製)を爆破)
    23話日本国有鉄道新潟鉄道管理局酒田駅酒田港駅等で撮影。
    • 32話、33話:全国縦断第9弾、宮城ロケ(33話で移動アジトバス爆破)
    エンドーチェーン岩沼屋ホテル、西仙台ハイランド(現:仙台ハイランド)、日産サニー宮城(現:日産サティオ宮城)などで撮影。
    • 39話、40話:全国縦断第10弾、岡山・高松ロケ(40話は下電バスと建造物のダブル爆破、40話で爆破された建造物の爆破費用:1500万円)
    鷲羽山ハイランド高松国際ホテル加ト吉山本工場、丸亀町商店街などで撮影
    ダンプを改造した装甲車もどき登場、プレハブ倉庫爆破
    • 49話:全国縦断第11弾、京都ロケ
    宝酒造、ワコールなどで撮影
    • 50話:全国縦断第11弾、大津(琵琶湖)ロケ。
    最初の大阪市大正区内で起こったとされるニトログロセリン爆発事件のロケ地は実は大阪ではなく、48話のロケが行われた神戸市の造成地内である。
    • 最終話:パリ・北海道(札幌・夕張)・福岡・静岡・瀬戸内海(岡山)ロケ
    クライマックスシーンの「剣島(つるぎしま・博多湾沖にある島とされる)」を当初は瀬戸内海ではなく長崎県軍艦島でロケを行う予定だったが、軍艦島自体がロケに危険な場所(建造物の予期せぬ崩壊の危険とロケ中の衛生管理上の問題)であることと、当時長崎にはANN系列局がなく(とは言ってもTBS系の長崎放送で2日遅れで放送されていた。ANN系の長崎文化放送1990年開局)、また系列の瀬戸内海放送の一押しで岡山県犬島で行われた。
    また、当時完成したばかりの瀬戸内海放送・岡山本社ビルでもロケを行った。
    最終話の制作費用は6億円と言われる(関西地区の視聴率は33%を記録)。

    西部警察 PART-III-放映リスト

    通算話タイトル放映年月日脚本監督ゲスト視聴率
    第1話 強行着陸!! 1983年4月3日 日暮裕一
    宮田雪
    小澤啓一 根上淳内田勝正 14.3%
    第2話 護送 1983年4月10日 柏原寛司 野平ゆき浜田晃ミスター珍辰馬伸 17.0%
    第3話 暴走!幻のシルクロード 1983年4月24日 新井光 宮越澄 本郷直樹 16.1%
    第4話 兄妹 1983年5月1日 大野武雄 田中浩片桐竜次きくち英一庄司三郎 9.7%
    第5話 生命果つるとも 1983年5月8日 宮下潤一
    武田和也
    澤田幸弘 風間健宮川洋一 19.5%
    第6話 沖田刑事・絶唱![1] 1983年5月15日 大野武雄 宮川洋一、中庸助 20.1%
    第7話 “大将”がやってきた! 1983年5月22日 宮田雪 村川透 江角英明団時朗関川慎二藤江リカ汐路章 15.3%
    第8話 1983,西部署配属 -五代純- 1983年6月5日 峯尾基三 渡辺拓也 吉沢健 江幡高志 草薙良一 10.2%
    第9話 白銀に消えた超合金X!
    -福島・前篇-
    1983年6月12日 永原秀一 小澤啓一 下條正巳 田口計 小林勝彦 唐沢民賢 岩淵智子
    石山雄大 滝川潤 永野明彦 森幹太 外山高士
    17.8%
    第10話 雪の会津山岳決戦! -福島・後篇- 1983年6月19日 新井光 下條正巳 田口計 小林勝彦 唐沢民賢 岩淵智子 永野明彦 14.0%
    第11話 狙撃[2] 1983年6月26日 柏原寛司 村川透 東京ぽん太名和宏 10.2%
    第12話 二人だけの戦争 1983年7月3日 宮下潤一 渡辺拓也 鹿取容子島英津夫友金敏雄三角八郎 16.3%
    第13話 追跡!1825日 1983年7月10日 新井光 澤田幸弘 剣持伴紀、草薙良一、美木良介 12.1%
    第14話 マシンZ・白昼の対決!! 1983年7月17日 日暮裕一
    新井光
    長塚京三 加地健太郎 11.4%
    第15話 若き獅子 1983年7月24日 永原秀一 荻原達 川合伸旺五十嵐知子片岡五郎日向明子 9.1%
    第16話 大門軍団フォーメーション 1983年8月21日 新井光
    日暮裕一
    市川好朗高品正広壇喧太、汐路章 9.1%
    第17話 吠えろ!!桜島 -鹿児島篇- 1983年8月28日 永原秀一 小澤啓一 好井ひとみ 山本伸吾 木村元 ジョン・ランカスター 13.6%
    第18話 パニック・博多どんたく -福岡篇- 1983年9月4日 大野武雄 剛たつひと、佐藤美和子、藤木孝信実一徳北村総一朗 10.1%
    第19話 決戦!燃えろ玄界灘 -福岡篇- 1983年9月11日 宮下潤一 松本ちえこ黒部進成瀬正、中庸助、庄司三郎 11.4%
    第20話 40憶の罠 1983年9月18日 宮田雪 渡辺拓也 吉田豊明 今井健二 姿鐡太郎 トニー・マーテブー 13.0%
    第21話 PM3・消えた1億円 1983年9月25日 杉村のぼる 小野進也姫るり子森大河夏樹レナ 12.4%
    第22話 最上川舟唄[3] 1983年10月2日 永原秀一
    那須真知子
    村川透 伊佐山ひろ子山西道広山下洵一郎岩崎美由紀鶴岡修 9.2%
    第23話 走る炎!!酒田大追跡 -山形篇- 1983年10月16日 宮下潤一 谷村昌彦 田中浩 千波丈太郎 戸塚孝 江見俊太郎 外山高士 14.2%
    第24話 誘拐!山形・蔵王ルート -山形篇- 1983年10月23日 新井光 金内吉男草薙幸二郎中田博久外野村晋、庄司三郎、辰馬伸 11.4%
    第25話 長いお別れ 1983年10月30日 柏原寛司 中島ゆたか岡崎二朗睦五朗上田耕一原田力、高品正広、永野明彦 16.2%
    第26話 ぼくらは少年探偵団 1983年11月6日 中村律子 澤田幸弘 二瓶正也、草薙良一 15.1%
    第27話 銃撃 1983年11月13日 柏原寛司
    新井光
    小澤啓一 土屋嘉男 沢田和美 小池雄介 大下哲矢 沢田勝美 河合絃司 15.2%
    第28話 大将と二等兵 1983年11月20日 大野武雄 澤田幸弘 石橋雅史東山明美荻原紀、関川慎二、壇喧太 14.3%
    第29話 生命尽きても!平尾一兵 1983年11月27日 峯尾基三 小澤啓一 森山周一郎 杉江廣太郎 鈴木欽也 石山雄大 15.4%
    第30話 謀殺のタイムリミット 1983年12月4日 宮下潤一
    武田和也
    村川透 中西良太 黒部進 井上博一 15.7%
    第31話 思い出さがし 1983年12月11日 宮田雪 荻原達 宇佐美恵子 近藤宏 石橋雅史 太刀川寛 武藤英司、夏樹レナ 14.2%
    第32話 杜の都・激震!! -宮城・前篇- 1983年12月18日 峯尾基三 小澤啓一 小野武彦三浦リカ稲垣昭三、成瀬正 片岡五郎、永野明彦、
    南城竜也中田譲治田島義文幸田宗丸佐原健二
    11.0%
    第33話 仙台爆破計画 -宮城・後篇- 1983年12月25日 宮田雪 小野武彦、三浦リカ、稲垣昭三、成瀬正、南城竜也、中田譲治、
    佐原健二、チェリッシュ(クレジット表記無し)
    15.0%
    特番 燃える勇者たち(2時間スペシャル) 1984年1月1日 峯尾基三 勝新太郎 財津一郎 倉田保昭 亀石征一郎 松下達夫 松本朝夫 大竹かおる
    ウイリー・ドーシー 福本清三 石山雄大 小池雄介 椎谷建治 横山あきお 塚田ミチ
    北条ユキ 三島新太郎 南雲祐介 丹波哲郎(特別出演) 特技:宍戸大全
    第34話 刑事無情 1984年1月8日 永原秀一 村川透 神山繁鹿内孝内藤剛志 12.3%
    第35話 灼熱の拳銃 1984年1月15日 峯尾基三
    西脇英夫
    荻原達 友金敏雄、野平ゆき、小宮健吾 10.0%
    第36話 対決!!マグナム44 1984年1月22日 宮下潤一
    日暮裕一
    村川透 伊吹剛八名信夫 13.8%
    第37話 さよならに接吻を― 1984年1月29日 柏原寛司 麻丘めぐみ葉山良二、山西道広、福山象三 13.2%
    第38話 長さんと泥棒 1984年2月5日 宮田雪 荻原達 玉川良一、江角英明、小林重四郎、森幹太 12.1%
    第39話 激闘!!炎の瀬戸内海
    -岡山・高松篇-
    1984年2月12日 宮下潤一 小澤啓一 佐藤允 中山昭二 伊吹徹 井上博一 11.8%
    第40話 激突!!壇ノ浦攻防戦
    -岡山・高松篇-
    1984年2月19日 睦五朗 五十嵐知子 宮口二郎 根岸一正
    荻原紀 長江英和 庄司三郎 三上剛
    12.2%
    第41話 幻のチャンピオン 1984年2月26日 大野武雄 荻原達 松林竜夫水島美奈子堀田真三伊達三郎 13.2%
    第42話 少年Aの2時間 1984年3月4日 新井光
    永海秀国
    村川透 石濱朗 番場恵介 13.0%
    第43話 走れ一兵! 成田発PM3 1984年3月11日 神保美喜 外山高士 鶴岡修 富田浩太郎 13.5%
    第44話 幻の銀バッジ 1984年3月18日 新井光 辻理 市川好朗 黒部進 大谷朗 13.4%
    第45話 さらば友よ 1984年3月25日 永原秀一 目黒祐樹、美木良介、佐伯徹、姿鐡太郎 9.7%
    第46話 冬の軍団長 1984年4月1日 金子成人 村川透 ジョニー大倉 寺島達夫 南城竜也 福家美峰 水上功治 友金敏雄 13.0%
    第47話 戦士よ、さらば…[4] 1984年4月8日 宮下潤一
    日暮裕一
    林ゆたか、江角英明、西本裕行 11.8%
    第48話 激追!!地を走る3億ドル
    -大阪・神戸篇-
    1984年4月22日 宮下潤一 小澤啓一 小野みゆき 深江章喜 滝川潤 福本清三 10.1%
    第49話 京都・幻の女殺人事件
    -京都篇-
    1984年4月29日 新井光
    山浦弘靖
    浅野ゆう子神田隆、北村総一朗、唐沢民賢、乾浩明坂口徹郎芝本正
    塚本幸一ワコール会長)、大宮隆寶酒造会長)、西川きよし(友情出演)
    6.8%[5]
    第50話 爆発5秒前!琵琶湖の対決
    -大阪・大津篇-
    1984年5月6日 新井光 内田勝正 大下哲矢 荻原紀 庄司三郎 11.6%
    第51話 ターゲット・X!
    -鳩村、絶体絶命!-
    1984年5月20日 宮田雪 澤田幸弘 舟倉由祐子 森幹太 片岡五郎 高野眞二 千波丈太郎、
    荻原紀 永野明彦 トニー・マーティブー
    9.5%
    第52話 北帰行[6] 1984年5月27日 新井光
    大野武雄
    山口美也子佐藤浩市、福山升三 8.4%
    第53話 眼には眼を 1984年6月3日 西脇英夫 萩原達 伊藤敏八 園めぐみ 三島新太郎 神弘無 9.8%
    第54話 1984年6月10日 宮下準一 長谷川明男 剣持伴紀 永田三奈 8.3%
    第55話 80通の脅迫状 1984年6月17日 新井光
    中村勝行
    辻理 松本ちえこ 伊吹徹 吉田次昭 8.1%
    第56話 帰って来た逃亡者 1984年6月24日 宮下潤一
    日暮裕一
    藍ともこ 深水三章 武藤英司 外山高士 12.8%
    第57話 5分間の逆転!! 1984年7月1日 日暮裕一 村川透 山本ゆか里 中西良太 石橋雅史 信実一徳 9.1%
    第58話 さらば老兵 1984年7月8日 新井光
    杉村のぼる
    花沢徳衛、野平ゆき、森大河、飯田浩幾 17.0%
    第59話 跳べ!探知犬リュウ 1984年7月15日 宮田雪
    高久進
    荻原達 成瀬正 8.2%
    第60話 父と子の激走!
    -ニューマシン・刀R-
    1984年8月12日 日暮裕一
    宮下潤一
    玉川伊佐男 氏家修 姿鐡太郎 きくち英一 8.4%
    第61話 幻のチェッカーフラッグ 1984年8月19日 新井光 澤田幸弘 草川祐馬、鶴岡修、吉沢健、関川慎二、加地健太郎 8.0%
    第62話 母と子の約束 1984年8月26日 新井光
    大野武雄
    菅井きん佐藤仁哉 9.4%
    第63話 愛と哀しみの銃弾 1984年9月9日 新井光
    杉紀彦
    小澤啓一 森昌子 亀石征一郎 内田稔 岩城力也 14.0%
    第64話 14年目の賭け 1984年9月16日 宮田雪 畑中葉子 河合絃司 片岡五郎 永野明彦 12.0%
    第65話 鮮血の絆! 1984年9月23日 宮下潤一 村川透 御木本伸介 早川雄三 伊吹徹 勝村淳 井上博一 松井きみ江 12.9%
    第66話 たった一人の挑戦 1984年9月30日 日暮裕一 舟倉由祐子 鹿内孝 長江英和 笠井一彦 13.4%
    第67話 真夜中のゲーム 1984年10月14日 柏原寛司 原隆仁 三好鉄生 風間舞子 山西道広 草薙良一 13.9%
    第68話 愛の旅立ち 1984年10月21日 新井光 渡辺拓也 宍戸錠 秋山武史 きくち英一 姿鐡太郎 横山あきお 三重街恒二 17.9%
    最終回 大門死す! 男達よ永遠に…
    (3時間スペシャル)
    1984年10月22日[7] 永原秀一
    峯尾基三
    小澤啓一 原田芳雄 宝田明 中村晃子 中丸忠雄 倉田保昭 小林稔侍
    黒部進 深水三章 北条清嗣 中田鉄治 成瀬正 小野武彦 中真千子
    松本朝夫 片岡五郎 入江正徳 川口智子 福岡正剛 谷村隆之、
    迫文代 武田鉄矢(友情出演[8]山村聰
    25.2%

    1. ^ 「沖田刑事・絶唱!」のシナリオが「週刊テレビ番組」に掲載された時台本の写真が掲載されたが、その台本は「西部警察 PART-II」だった。PART-IIIの開始が前倒しされた理由は不明であるが、春の改変期に新番組としてアピールするための処置だったのではないかと推測される。
    2. ^ 本来なら第8話の放送エピソードだった。
    3. ^ 「セブン」のママ・上村七重役の吉行和子がこの回をもって降板。
    4. ^ 初代大門軍団特殊車両のマシンX爆破回。「セブン」の2代目歌姫・八木美代子がこの回をもって降板。
    5. ^ シリーズ最低視聴率。
    6. ^ 大門軍団特殊車両の特別機動車両・サファリがこの回で退場。
    7. ^ 当日は月曜日。
    8. ^ 武田鉄矢本人役で出演

    西部警察 PART-III- 主な出演者

    大門軍団
    捜査係長
    その他のレギュラー
    捜査課長
    ナレーター

    制作

    テレビ朝日 石原プロモーション

    西部警察 PART-III- 内容

    PART-IIからそのままつながっている(第1話の時点では、オープニングとエンディングの映像・音楽はPART-IIのものを使用)。

    なお、音楽は7話「大将がやってきた!」から、映像は8話より変更された(テーマ曲「ワンダフル・ガイズ」は、PART-IIに引き続きそのまま使用された)。

    また、第6話ラストで最終回的描写があることや、下記補足から、ストーリー上はここまでが実質的なPART-IIであったと考えられる。

    前作よりもさらに「爆破シーン」に重点が置かれた。

    西部警察 PART-II-登場車両

    • マシンX(~14話)
    • サファリ
    • スーパーZ(15話~)
    • マシンRS(15話~)

    備考

    • 第18話の広島ロケの爆破シーンで使用されたのは元大阪市電1801型広島電鉄750形電車766号車(登録上は755号車)であった。撮影のために塗装・広告(パールライスにしき堂)を代えて行われた。ちなみに電車の車体横の広告は「にしき堂のもみじ饅頭」だった。撮影終了後、766号車は登録抹消、解体された。
    • 土曜日昼の人気番組、独占!女の60分では、当番組の地方ロケ編が放映される前日に、アタッカー(リポーター)がロケ現場の舞台裏を取り上げていた。

    西部警察 PART-II-地方ロケ

  • 10話、11話:全国縦断第1弾、静岡ロケ(11話では、浜名湖の遊覧船爆破)
    爆破した遊覧船は時価400万円
  • 17話:静岡ロケ
  • 18話、19話:全国縦断第2弾、広島ロケ(18話では、広島電鉄路面電車にしき堂号)を広電宮島駅(現:広電宮島口駅)構内で爆破)
  • 26話、29話:全国縦断第3弾、北海道ロケ(26話はすでに横転して警官のいない白パトと犯人の乗った宝酒造のトラック(いすゞエルフ)が衝突の後に爆発、29話は元ホテルの廃屋を爆破)
  • 37話、38話:全国縦断第4弾、名古屋(三重含む)ロケ
    37話は長島温泉ナガシマスパーランドでロケを行い (三重県)38話では店舗改装予定だったステーキのあさくま藤ヶ丘店を爆破、廃工場(二村化学工業(現:フタムラ化学)名古屋工場跡)の煙突(いわゆるお化け煙突)を倒壊させる。
  • 西部警察 PART-II-放映リスト

    各話タイトル放映年月日脚本監督ゲスト視聴率
    第1話 大門軍団・激闘再び -沖田登場- 1982年5月30日 新井光 小澤啓一 亀石征一郎北村総一朗鈴木和夫
    第2話 大都会に舞う男 1982年6月6日 峯尾基三 片桐竜次 高品正広 吉沢健 水上功治
    第3話 生命ある限り 1982年6月13日 大野武雄 渡辺拓也 待田京介 片岡五郎 滝川潤 宮川洋一
    第4話 殺しのキーワード 1982年6月20日 宮下潤一 黒部進石山雄大清水宏庄司三郎
    第5話 消えた身代金 1982年6月27日 宮田雪 宮越登 安井昌二 荻原紀 草薙良一 永野明彦
    第6話 あいつは予言者 1982年7月11日 那須真知子 波多野敦子 睦五朗 山西道広 内田勝正
    第7話 狙われた天使 1982年7月18日 永海秀国
    新井光
    澤田幸弘 鹿内孝 船水俊宏
    第8話 暁の決断 1982年7月25日 大野武雄 渡辺拓也 土門峻 本間由美 南城竜也 宮川洋一 重松収
    第9話 1982年8月1日 峯尾基三 岡崎二朗 八名信夫 大下哲矢 信実一徳 加地健太郎
    第10話 大追跡!!静岡市街戦-静岡・前篇- 1982年8月8日 新井光
    宮下潤一
    小澤啓一 木村重造 立枝歩 中庸助
    太刀川寛 小池雄介 井上博一 永野明彦 上田耕一
    第11話 大激闘!!浜名湖決戦-静岡・後篇- 1982年8月15日 田中浩 木村重造 立枝歩 高品正広 小池雄介 椎谷建治
    第12話 10年目の疑惑 1982年8月29日 宮田雪 澤田幸弘 新井玉青 深江章喜 石橋雅史
    第13話 俺の愛したマリア 1982年9月12日 大野武雄 宮越澄 セーラ 成瀬正 晴乃ピーチク
    第14話 男たちの絆[1] 1982年9月19日 宮田雪 上月左知子 山谷初男 関川慎二 神田隆 夏樹レナ
    第15話 ニューフェイス!! 西部機動軍団 1982年9月26日 宮下潤一 澤田幸弘 北原義郎 伊達三郎
    第16話 追撃 1982年10月3日 柏原寛司 亜湖 三上真一郎 中田博久 江角英明 鶴岡修 志賀圭二郎 重松収 清水宏
    第17話 絶命!! 暴走トラック 1982年10月10日 宮下潤一 小澤啓一 林ゆたか 森山周一郎 草薙良一
    第18話 広島市街パニック!! 1982年10月17日 柏原寛司 渡辺拓也 内田勝正 船水俊宏 南道郎 B&B 武藤英司
    第19話 燃えろ!! 南十字星 1982年10月24日 永原秀一 風間健 黒部進 水島美奈子 大下哲矢 石山雄大
    第20話 明日への挑戦 1982年10月31日 永原秀一 小澤啓一 岡本麗 片岡五郎
    第21話 甦れ! ドッグ・ファイター 1982年11月7日 日暮裕一
    宮下潤一
    宮越澄 深江章喜 早川雄三
    第22話 大空の追跡 1982年11月14日 峯尾基三 平田昭彦 江幡高志 萩原紀
    第23話 凶悪の焔 1982年11月21日 永原秀一 渡辺拓也 近藤宏 八名信夫 高品正広
    第24話 危険なロックンローラー 1982年11月28日 柏原寛司
    宮田雪
    第25話 走る爆破指令室-マシン・RS- 1982年12月5日 那須真知子 澤田幸弘 泉じゅん小宮健吾、早川雄三、壇暄太
    第26話 -北都の叫び- カムバック・サーモン 1982年12月12日 新井光
    大野武雄
    宮越澄 中村竹弥保積ぺぺ、成瀬正、永野明彦
    第27話 傷だらけの天使 1982年12月19日 大野武雄 澤田幸弘 松本伊代[2]藤木敬士飛鳥裕子、清水宏
    第28話 涙は俺がふく[3] 1982年12月26日 宮下潤一
    日暮裕一
    佐藤仁哉
    第29話 燃える原野! オロフレ大戦争(90分スペシャル) 1983年1月2日 新井光 宮越澄 青地公美沢田勝美
    第30話 別離(わかれ)のラストフライト 1983年1月9日 宮下潤一 村川透 水原ゆう紀宮口二郎、宮川洋一、関山耕司、鈴木和夫
    第31話 1000万ドルの恋人 1983年1月16日 新井光
    平野靖士
    山西道広 岡田ますみ
    第32話 狙われたシンデレラ 1983年1月23日 宮田雪 渡辺拓也 中島はるみ 新井玉青 亀石征一郎 小池雄介 武藤英司
    第33話 鑑識ナンバー106 1983年1月30日 峯尾基三 田中浩
    第34話 トリック・ジャック 1983年2月6日 宮下潤一 小澤啓一 石橋雅史 佐伯徹 阿藤海
    第35話 娘よ、父は・・・浜刑事・絶命 1983年2月13日 永原秀一 鹿内孝 新井玉青 金井大 美木良介
    第36話 八丈島から来た刑事 1983年2月20日 峯尾基三 澤田幸弘 市川好朗 、関川慎二、清水宏
    第37話 戦慄のカーニバル -名古屋篇- 1983年2月27日 村川透 黒部進 片岡五郎 小坂明央 庄司三郎 壇暄太
    第38話 決戦・地獄の要塞 -名古屋篇- 1983年3月6日 西脇英夫 今井健二 吉田豊明 一ノ瀬康子 花かおる 神弘無
    第39話 謎の亡命者 1983年3月13日 宮田雪 渡辺拓也 堀川まゆみ ウイリアム・ターパン 田島義文 中田博久 高品正広
    第40話 ペガサスの牙[4] 1983年3月20日 永原秀一 八名信夫 小宮健吾

    1. ^ 二宮係長退場回。
    2. ^ 藤木にヘロイン中毒にされる看護師役で出演。
    3. ^ 浜源太郎刑事役の井上昭文が体調不良のため欠場している。
    4. ^ 1999年8月にテレビ朝日での再放送では「西部警察 PART-III」名義で放映された。

    西部警察 PART-II-音楽・歌

    • 音楽:羽田健太郎
    • テーマ曲:「ワンダフル・ガイズ」
    • 演奏:高橋達也と東京ユニオン
    • 音楽ディレクター:鈴木清司

    主題歌

    • 「時間(とき)よお前は…」
    • 「勇者たち」
      • 作詞:なかにし礼 作曲:浜圭介 編曲:高田弘 唄:石原裕次郎
      • 発売:テイチクレコード(現・テイチクエンタテインメント)

    挿入歌

    制作

    テレビ朝日 石原プロモーション

    西部警察 PART-II-主な出演者

    大門軍団
    捜査係長
    その他のレギュラー
    捜査課長
    ナレーター

    西部警察 PART-II-内容

    警視庁西部警察署捜査課の大門軍団と凶悪犯との闘いを重点に置いた作風は前作と変わらず。

    設定面においては前作から仕切り直しの要素が濃い。

    このシリーズより日本全国縦断ロケが各所で行われた。

    PART-Iとのつながり

    一部の出演者の入れ替えがあったり、設定にいくつか違いがあるが、PART-Iの続編である。

    2009年6月14日 (日)

    西部警察 (PART1)-装甲車との戦い

    話、2話は装甲車対大門軍団の死闘を描く。装甲車を作りその周囲にパトカーで囲み、銀座霞ヶ関などで実際に走らせて撮影している。

  • 本番組のまさにシンボルといえる1話、2話は他のストーリーに比してファンの間で人気が高く、2007年6月よりCSファミリー劇場にて開始された本放送とは別に2008年1月に1話、2話のみがファンの要望により同チャンネルで「アンコール放送」された。また、2009年7月に行われる石原裕次郎23回忌法要発表に併せて2009年5月にテレビ朝日及び各系列局でも再放送された。
  • 地方ロケ

    • 47話:山梨ロケ
    • 64話、65話:九州ロケ(福岡市(大濠ウェディングホール他)、大牟田市(三池港)、荒尾市(三井グリーンランド)、別府市、大分市)
    • 109話、110話:静岡ロケ

    関連項目

    西部警察(シリーズ全体の解説)

    テレビ朝日 日曜20:00枠
    前番組番組名次番組
    伝七捕物帳
    (テレビ朝日版)
    西部警察

    西部警察 (PART1)-放映リスト

    通算回タイトル脚本監督放映年月日ゲスト
    第1話 無防備都市(前編) 永原秀一 渡辺拓也 1979年10月14日 伊藤雄之助浜田晃ウイリー・ドーシー片岡五郎草薙良一森正親
    第2話 無防備都市(後編) 1979年10月21日 伊藤雄之助、今井健二、浜田晃、ウイリー・ドーシー、片岡五郎、加地健太郎
    第3話 白昼の誘拐 柏原寛司 澤田幸弘 1979年10月28日 鹿沼えり高野真二小宮守和田瑞穂大辻慎吾滝沢双
    第4話 マシンガン狂詩曲 浅井達也 渡辺拓也 1979年11月4日 岡田可愛成瀬正佐藤晟也三井恒鈴木和夫尾木まゆみ
    第5話 爆殺5秒前 大野武雄 澤田幸弘 1979年11月11日 小林稔侍兼松隆不知火艶川口裕子待田京介
    第6話 横浜銃撃戦 峯尾基三 小澤啓一 1979年11月18日 八名信夫榎木兵衛石山雄大永野明彦荻原紀姿鐡太郎
    第7話 暴走刑事を撃て 永原秀一
    宮下潤一
    1979年11月25日 鹿内孝小池雄介橘麻紀上田耕一
    第8話 拳銃シンジケート 新井光 渡辺拓也 1979年12月2日 中庸助土山登志幸団巌
    第9話 ヤクザ志願 柏原寛司 村川透 1979年12月9日 岩城滉一山岡徹也中田博久江見俊太郎
    第10話 ホットマネー攻防戦 新井光 小澤啓一 1979年12月16日 近藤宏江角英明椎谷建治、片岡五郎
    第11話 燃えつきた獣たち 永原秀一 1979年12月23日 あき竹城井上博一大下哲矢、大辻慎吾、草薙良一、姿鐡太郎、島英夫新山真弓
    第12話 ビッグバッド・ママ 大野武雄 村川透 1979年12月30日 三條美紀阿藤海森大河吉宮慎一、待田京介
    第13話 大門危機一髪 峯尾基三 渡辺拓也 1980年1月6日 早川雄三岩尾正隆藤山律子、兼松隆、高品正広
    第14話 殺し屋参上 浅井達也
    永原秀一
    1980年1月13日 平泉征森山周一郎吉田豊明関川慎二
    第15話 さらば愛しき女 永原秀一 小澤啓一 1980年1月20日 鰐淵晴子太刀川寛萬田久子小林勝彦川崎あかね辰馬伸信実一徳
    第16話 最後の一弾 柏原寛司 澤田幸弘 1980年1月28日 八名信夫、堀田眞三沢田勝美、永野明彦
    第17話 地獄から還った刑事 大野武雄 1980年2月3日 今井健二、片桐竜次、中庸助、榎木兵衛、
    鳥巣哲生八城夏子高木真二、宮城健太郎、三上剛
    第18話 俺たちの戦い 新井光 小澤啓一 1980年2月10日 倉石功弘松三郎加藤春哉だるま二郎二家本辰巳
    第19話 蘇える一弾 峯尾基三 渡辺拓也 1980年2月17日 根岸一正庄司三郎、檀喧太
    第20話 爆発ゾーン 浅井達也 1980年2月24日 藤木敬士寺島達夫相原巨典
    第21話 汚ない奴 永原秀一 長谷部安春 1980年3月2日 西沢利明加藤大樹、高野真二、中田博久
    第22話 少年 大野武雄 1980年3月9日 田中浩三角八郎、鈴木和夫
    第23話 トリック・プレー 柏原寛司 渡辺拓也 1980年3月16日 石橋蓮司
    第24話 獅子に怒りを!! 宮下潤一 小澤啓一 1980年3月23日 木村元、椎谷建治
    第25話 刑事を奪え 浅井達也 1980年3月30日 鹿内孝、八名信夫、中庸助、玉村駿太郎、辰馬伸
    第26話 友情の捜査線 新井光 村川透 1980年4月6日 熊谷美由紀細川俊夫、重松収、清水宏、汐路章
    第27話 傷だらけの白衣 渡辺拓也 1980年4月13日 五十嵐淳子、森山周一郎、片岡五郎
    第28話 横浜ベイ・ブルース 柏原寛司 澤田幸弘 1980年4月20日 亜湖青木卓、石山雄大、伊達三郎
    第29話 島原の子守唄 大野武雄 村川透 1980年4月27日 根岸季衣、中田博久、江角英明、高品正広、三井恒、鶴岡修
    第30話 絶命・炎のハーレー 峯尾基三 澤田幸弘 1980年5月4日 福本清三、小池雄介
    第31話 新人・リューが翔んだ 永原秀一 渡辺拓也 1980年5月11日 市川好朗、寺島達夫、岡本麗、草薙良一
    第32話 俺の愛した小さい奴 大野武雄 1980年5月18日 小宮守、田口計小野恵子、山岡徹也
    第33話 聖者の行進 新井光 澤田幸弘 1980年5月25日 トニー・マーデブー岡本ひろみ、椎谷建治
    第34話 長野行特急列車 永原秀一 1980年6月1日 泉じゅん丹古母鬼馬二、根岸一正
    第35話 ゲーム・イズ・オーバー 柏原寛司 西村潔 1980年6月8日 中島ゆたか、滝沢双、檀喧太、伊藤愛子
    第36話 燃える導火線 峯尾基三 1980年6月15日 岡崎二朗山科ゆり、江見俊太郎、戸塚孝、相馬剛三、河合絃司
    第37話 炎の中で甦れ! 大野武雄 長谷部安春 1980年6月22日 中島葵、成瀬正、塩月徳子、福岡正剛、姿鐡太郎、不知火艶
    第38話 遥かなる故郷 新井光 1980年6月29日 竹井みどり、江見俊太郎、井上博一、片岡五郎、若松和子、榎木兵衛、浜口竜哉
    第39話 消えた大門軍団 永原秀一
    永海秀国
    渡辺拓也 1980年7月6日 葉山良二綾川香高月忠、鈴木和夫
    第40話 手錠のままの脱走 宮下潤一 1980年7月13日 三上真一郎山本昌平結城マミ、辰馬伸、影山英俊、ノールマン・シーズ
    第41話 バニング・レディ 柏原寛司 村川透 1980年7月20日 長谷直美晴乃ピーチク、鶴岡修、清水宏、関川慎二、舛田紀子
    第42話 ピエロの名演 大野武雄 1980年8月3日 岩城滉一、吉田豊明、堀礼文、岡本麗、上田耕一、戸塚孝、庄司三郎
    第43話 4号岸壁の殺人 新井光 西村潔 1980年8月10日 清水まゆみ南道郎加瀬悦孝山本紀彦、兼松隆、永野明彦
    第44話 ロング・グッドバイ 柏原寛司 1980年8月17日 竜崎勝、八名信夫、工藤明子、団巌
    第45話 大激走! スーパーマシン 新井光 長谷部安春 1980年8月24日 椎谷建治、鳥巣哲生、片岡五郎
    第46話 消えた1時間 峯尾基三 1980年8月31日 小林稔侍、香野なつみ音羽千佳子、草薙良一
    第47話 笛吹川有情 永原秀一 渡辺拓也 1980年9月7日 平泉征、田中浩、鹿沼えり、晴乃ピーチク
    第48話 別離のブランデーグラス[1] 大野武雄 宮越澄 1980年9月14日 渡瀬由喜子、寺島達夫、青木卓、鈴木和夫
    第49話 俺だけの天使 宮下潤一 渡辺拓也 1980年9月21日 野瀬哲男紗貴めぐみ、佐藤晟也、石山雄大、明石勤
    第50話 少女の叫び 峯尾基三 宮越澄 1980年9月28日 内海和子、福本清三、福岡正剛野川愛
    第51話 盗まれた青春 新井光 渡辺拓也 1980年10月5日 岡本達哉泉ワ輔宮島一輔滝川潤小坂生男、荻原紀
    第52話 ギャングになった刑事 柏原寛司 渡辺拓也 1980年10月12日 松本ちえこ、八名信夫、友金敏雄、榎木兵衛
    第53話 特ダネの罠 永原秀一 長谷部安春 1980年10月19日 北條清嗣、大下哲矢、奥村公延下村節子
    第54話 兼子刑事暁に死す 大野武雄 1980年10月26日 根上淳永島暎子、江角英明
    第55話 新人ジョーの夜明け 新井光 小澤啓一 1980年11月2日 山本ゆか里、片岡五郎、庄司三郎
    第56話 時間よ止まれ! 峯尾基三 1980年11月9日 中田博久、船水俊宏、草薙良一、不知火艶
    第57話 挑戦 柏原寛司 渡辺拓也 1980年11月16日 鹿内孝、竹井みどり、三角八郎
    第58話 狙われる 永原秀一
    平野靖司
    1980年11月23日 仁和令子、高野真二、沢田勝美
    第59話 残った一発の弾丸 峯尾基三 宮越澄 1980年11月30日 高品正広、関川慎二、江見俊太郎、盛田美友紀
    第60話 男の子守唄 大野武雄 1980年12月7日 佐藤允、伊達三郎、椎谷建治、野坂信一、明石功
    第61話 暁の陽動作戦 柏原寛司 長谷部安春 1980年12月14日 滝川潤、井上博一、宮島一輔、北村大造、近藤宏
    第62話 危険な情報 峯尾基三 1980年12月21日 湯原昌幸、片岡五郎、中平哲?、壇喧太
    第63話 生きていた刑事魂 新井光 宮越澄 1980年12月28日 深江章喜小林伊津子、晴海勇三、戸塚孝
    第64話 九州横断大捜査網!!(前編) 永原秀一
    新井光
    小澤啓一 1981年1月4日 星野真弓三景啓司、太刀川寛、八名信夫、永野明彦、
    石山雄大、鈴木和夫、友金敏雄
    第65話 博多港決戦!! (後編) 1981年1月11日 星野真弓、三景啓司、太刀川寛、八名信夫、永野明彦
    第66話 17年目の誘拐 宮下潤一 宮越澄 1981年1月18日 高城淳一伊藤真奈美、中田博久、小坂生男、三重街恒二
    第67話 狙われた木暮課長 大野武雄 渡辺拓也 1981年1月25日 今井健二、成瀬正、庄司三郎、谷口芳昭、檀喧太、
    アンジェロ・アンジェリ、トニー・マーテブー、相川圭子
    第68話 地獄からの使者 永原秀一 1981年2月1日 渡瀬由喜子、織田あきら、北條清嗣、川口裕子
    第69話 マシンX爆破命令 新井光 長谷部安春 1981年2月8日 藤木敬士、潤ますみ、兼松隆、加藤和夫
    第70話 チンピラブルース 柏原寛司 1981年2月15日 中西良太金子研三園めぐみ、船水俊宏、姿鐡太郎
    第71話 燃える罠からの脱出 宮下潤一 小澤啓一 1981年2月22日 亜湖、浜田晃、辰馬伸、草薙良一、渥美国泰
    第72話 命をつなぐ鎖 峯尾基三 1981年3月1日 林ゆたか、佐藤晟也、中平哲?、速水隆、木瓜みらい、不知火艶
    第73話 連続射殺魔 永原秀一 渡辺拓也 1981年3月8日 西田健横山由美子、晴乃ピーチク、鶴岡修、吉沢由起
    第74話 出発(たびだち) 新井光 1981年3月15日 砂塚秀夫、大下哲矢、西田良、石山雄大、戸塚孝、湯原昌幸
    第75話 平尾一兵、危機一髪 柏原寛司 宮越澄 1981年3月22日 阿藤海、友金敏雄
    第76話 灼熱の追跡 宮下潤一
    新井光
    1981年3月29日 船水俊宏、檀喧太、山科ゆり、荻原紀、庄司三郎、姿鐡太郎
    第77話 38時間の戦慄 永原秀一 長谷部安春 1981年4月19日 有川博、椎谷建治、水原麻記日向夏子、団巌
    第78話 射殺 新井光 1981年5月3日 葉山良二、滝川潤、上田耕一、工藤美奈子、南道郎
    第79話 婦人警官 峯尾基三 小澤啓一 1981年5月10日 堀越陽子、成瀬正
    第80話 闇に響く銃声 柏原寛司 1981年5月17日 岡崎二朗、山岡健、丹古母鬼馬二
    第81話 愛と炎のメロディー 新井光 渡辺拓也 1981年5月24日 北條清嗣、沢田勝美、宮川洋一目黒幸子弘松三郎、井上博一、信実一徳
    第82話 ろくでなしの詩 大野武雄 1981年5月31日 市川好朗、河西健司尾木まゆみ、中田博久、川崎あかね、重松収
    第83話 西から来た刑事 永原秀一
    平野靖司
    澤田幸弘 1981年6月7日 草薙幸二郎、鹿沼えり、小宮守、
    第84話 危険な女 峯尾基三 1981年6月14日 亜湖、片岡五郎、清水宏、大石はるみ、河合紘司、姫るり子
    第85話 男の償い 新井光 宮越澄 1981年6月21日 三浦リカ南城竜也、佐藤晟也、兼松隆、鈴木和夫
    第86話 決断12時 柏原寛司 1981年6月28日 砂塚秀夫、野口ふみえ、草薙良一
    第87話 口を閉ざした少年 大野武雄 長谷部安春 1981年7月12日 井上博一、戸部夕子、三縄智、小林重四郎、晴海勇三、辰馬伸
    第88話 バスジャック[2] 新井光 1981年7月19日 深見博、椎谷建治
    第89話 もう一つの勲章 新井光 宮越澄 1981年7月26日 西川きよし(友情出演)[3]舟倉たまき、八名信夫、信実一徳
    第90話 天使の身代金 和久田正明 小澤啓一 1981年8月9日 長谷川明男志麻いづみ、山科ゆり、浜田晃、永野明彦
    第91話 鮮血のペンダント 永原秀一
    宮下潤一
    1981年8月16日 岩城滉一、大下哲矢、根岸一正
    第92話 幻の警視総監賞 峯尾基三 渡辺拓也 1981年8月23日 福崎和宏、片岡五郎、明石功、川口裕子
    第93話 氷点下の激闘 柏原寛司
    日暮裕一
    1981年8月30日 長塚京三、兼松隆、高杉玄、中庸助、
    第94話 地下水道 永原秀一
    平野靖司
    宮越澄 1981年9月6日 山下洵一郎、伊達三郎、河野登志美、晴海勇三、荻原紀
    第95話 刑事(デカ)の夜明け 大野武雄 澤田幸弘 1981年9月13日 椎谷建治、上月左知子、中田博久、榎木兵衛、朝比奈順子、辰馬伸、檀喧太
    第96話 黒豹刑事リキ 新井光 1981年9月20日 志賀勝、鈴木和夫、団巌
    第97話 第41雑居房 永原秀一
    宮下潤一
    長谷部安春 1981年9月27日 深見博、加藤大樹
    第98話 ショットガン・
    フォーメーション
    柏原寛司 1981年10月4日 内田勝正、深江章喜
    第99話 二つの顔 峯尾基三 渡辺拓也 1981年10月11日 井上博一、関川慎二、草薙良一
    第100話 爆弾を抱く少女 那須真知子 1981年10月18日 好井ひとみ、森山周一郎、船水俊宏
    第101話 甦れ、ヨタロー! 大野武雄 小澤啓一 1981年10月25日 林家こぶ平、田中浩、庄司三郎
    第102話 兇銃44オート・マグ 永原秀一 1981年11月1日 神田隆黒部進、阿藤海、中庸助、団巌、清水宏
    第103話 強攻突破 杉村のぼる 宮越澄 1981年11月8日 成瀬正、きくち英一、吉沢健、兼松隆
    第104話 栄光への爆走[4] 新井光 1981年11月15日 高峰三枝子(特別出演)、矢吹二朗睦五郎
    第105話 謎のルート・マカオ 峯尾基三 澤田幸弘 1981年11月22日 八名信夫、山岡徹也、草薙良一、小林千枝
    第106話 午前11時、爆破! 新井光
    駒田博之
    1981年11月29日 中西良太、渡瀬ゆき、山西道広、清水宏、不知火艶
    第107話 暴走トラック炎上! 宮田雪 渡辺拓也 1981年12月6日 内藤剛志吉岡睦子、中田博久、高品正広、深見博
    第108話 時効成立9分前 大野武雄 1981年12月13日 名和宏松岡ふたみ吉原正皓大村千吉、姿鐡太郎
    第109話 西部最前線の攻防(前編) 永原秀一
    宮下潤一
    小澤啓一 1981年12月20日 中村竹弥水原ゆう紀、深江章喜、佐伯徹西内彰
    大西徹哉宮田光、荻原紀、辰馬伸
    第110話 西部最前線の攻防(後編) 1981年12月27日 中村竹弥、水原ゆう紀、深江章喜、佐伯徹、西内彰
    第111話 出動命令・特車"サファリ" 新井光 宮越澄 1982年1月3日 井上博一、天野新士、永野明彦、鈴木和夫、新井一夫、明石勤
    第112話 ワイルド刑事ハート 宮田雪 1982年1月10日 加藤和夫、渡辺義之、大下哲矢、信実一徳、庄司三郎
    第113話 狙撃手、大門 大野武雄 渡辺拓也 1982年1月17日 内田勝正、兼松隆、工藤美奈子
    第114話 FBI・指名手配! 宮田雪 1982年1月24日 林ゆたか、吉田次昭、伊藤真奈美、千波丈太郎、滝川潤、重松収
    第115話 ミクロの標的 柏原寛司 澤田幸弘 1982年1月31日 深見博、高品正広、朝比奈順子
    第116話 狙撃銃・スナイパーG3 峯尾基三 1982年2月7日 鹿内孝、砂塚秀夫、有馬昌彦早川研吉、高野真二
    第117話 眼を開け!カウボーイ 那須真知子 小澤啓一 1982年2月14日 星正人、香野なつみ、上田耕一
    第118話 あの歌をもう一度 大野武雄 1982年2月21日 芦川誠、八名信夫、河合紘司、森下明
    不知火艶、庄司三郎、二家本辰巳、三重街恒二
    第119話 マフィアからの挑戦 宮下潤一 宮越澄 1982年2月28日 伊藤敏八、片岡五郎、岡本麗
    第120話 消えた白バイ隊の謎 峯尾基三 澤田幸弘 1982年3月7日 一ノ瀬康子、吉沢健、加藤大樹、内藤剛志、石山雄大
    第121話 無法の街に愛と勇気を! 宮田雪 宮越澄 1982年3月14日 竹井みどり、中山昭二、今井健二、三角八郎、姿鐡太郎、永野明彦、信実一徳
    第122話 リキ、絶体絶命 宮下潤一 澤田幸弘 1982年3月21日 永島暎子、山本昌平、江見俊太郎、中庸助、大下哲矢、関川慎二
    第123話 1982年・春
    松田刑事、絶命!
    新井光 渡辺拓也 1982年3月28日 葉山良二、江角英、船水俊宏、北村大蔵、福岡正剛
    第124話 木暮課長、不死鳥の如く・今 大野武雄 1982年4月4日 中原早苗前田昌明、草薙良一
    第125話 約束の報酬 柏原寛司
    日暮裕一
    1982年4月11日 河西健司、水上功治、森山周一郎、黒部進、
    高品正広、吉田豊明、信実一徳、田口計
    第126話 また逢う日まで 永原秀一 荻原達 1982年4月18日 奈美悦子伊達正三郎、八名信夫、阿藤海、中島葵、壇喧太

    1981年4月26日は特番「知られざるスターの横顔」を放送。
    PART1終了後の1982年4月25日~1982年5月23日は、PART1の傑作選(再放送)。

    1. ^ 木暮課長役の石原裕次郎が劇中で「ブランデーグラス」を熱唱。これにより『PART-I』の放送開始前に発売されていたものの売れ行きが伸び悩んでいた「ブランデーグラス」はヒットすることになった。
    2. ^ この回の撮影終了後、木暮課長役の石原裕次郎が解離性大動脈瘤で倒れ、次回から休養に入った。
    3. ^ 大門の情報屋・目玉の松役で出演。
    4. ^ 劇中で矢吹二朗が運転する(カースタント担当は三石千尋フェアレディZの25m運河越えシーンが披露される。着地は成功しているように見えるが、実際は着地に失敗している。(着地失敗の映像は後のPARTⅡのOPシーンで流れる)

    西部警察 (PART1)-音楽・歌

    • 音楽:宇都宮安重
    • 編曲:石田勝範
    • 演奏:ホーネッツ

    ※厳密には、作曲と編曲が完全な分担作業だったわけではない。メインテーマのように宇都宮が自ら編曲した曲や、マシンXのテーマのように石田が作曲した曲も存在する。また、寺島尚彦による『スペクトルマン』の楽曲が一部流用されている。

    主題歌

    挿入歌

    西部警察 (PART1)-主な出演者

    大門軍団
    捜査課係長
    その他のレギュラー
    捜査課長
    ナレーター(「予告編」ナレーション含む)

    西部警察 (PART1)- 内容

    警視庁西部警察署捜査課の大門部長刑事(渡哲也)とその部下たち(大門軍団と呼ばれている)と上司の木暮課長(石原裕次郎)が凶悪犯と戦う姿を描く。

    常識をはるかに超えたド派手な爆破シーンやカースタント、男達の熱い人間ドラマが評判を呼び、シリーズ化された。1980年代20世紀を代表するポリスアクションドラマ(刑事ドラマ)の1つでもある。

    西部警察-再放送・再評価

    • 本放送終了後も、地上波放送や衛星放送で再放送が度々行われた。特に、1999年石原裕次郎の13回忌記念として、全国のテレビ朝日系列で再放送が行われた(なお、一部放送回は欠番扱いされて未放送となった局もあり)。
    • この当時、峰竜太は、日本テレビ系にて、峰竜太のホンの昼メシ前を放送し、両枠に出演していた。(この事もコサキンでネタにされた。)
    • 2001年10月から2006年10月までの5年間CS361chファミリー劇場で『西部警察』全236話が放送された。
      • 2007年6月より『西部警察』が再び放送された。これはリクエストの多数応募によるものである。毎週金曜日午後8時から(2007年10月20日以降は毎週土曜日午後7時から)2話連続で放送した。2008年4月より『西部警察PART-II』が連日放送された(月~木午後11時より一話ずつ)。『PART-II』放送終了後,同じく『西部警察PART-III』が6月より連日放送が開始された。その際、60話から68話までが集中放送の形をとり、終了翌日に『大門死す!男たちよ永遠に・・・・・』を放送する形態をとった。
    • 2004年のリメイク版放送直前にも『PART-I』「無防備都市 前後編」が一部系列局でも再放送された。
    • 2009年5月25日から、石原裕次郎の23回忌記念として、テレビ朝日系列各局で過去の西部警察のベストセレクションを放送(放送時間や内容は局によって異なる)。
      • ここでも、伊集院光 深夜の馬鹿力(TBSラジオ)において伊集院光が言及。『PART-Ⅰ』第48話の『別離のブランデーグラス』における木暮課長の「ブランデーグラス」のカラオケを「いくら裕次郎本人とはいえ、一介の警察人なのに歌がうますぎる」と言及した。
    • 2002年2005年にはニューギンからパチンコ機としても登場し、放送が終了した現在でも、根強い人気を得ている。

    外部リンク

    西部警察- 補足

  • 作中、犯人の前科者カードなど記載されている住所がところどころ他府県と混ざっていたりすることがしばしばある。
    • 『PART-III』第50話「京都・幻の女殺人事件 -京都篇-」での与田探偵社の住所が京都市北区中之島(中之島は大阪市にありかつ中央区である)
    • 同第51話「爆発5秒前! 琵琶湖の対決 -大阪・大津篇」での犯人小泉の住所が大阪府西宮市(西宮市は兵庫県である)
  • パート2以降、車のナンバー(や住所の一部)で台詞音声が途切れるようになる。しかし、ナンバーについてはそのまま映ることもあるのでなぜカットしたのかは不明。
    • 例・"品川55あ00-00"の場合、「…00-00」という風に地名・分類番号が無音になることが多く、まれに「品川55……」地名・分類番号のみ読み上げるというパターンも存在する。
  • 西部警察-パロディ・オマージュ等

    バラエティ番組などでパロディ化されている。

    バラエティ番組

    その他映像作品

    ラジオ番組

    西部警察-作品ソフト化

    1999年石原プロワールド開館にあわせ同番組のVHSビデオ・DVD『西部警察 男たちの伝説』『西部警察・男たちの伝説2 殉職-わかれ-』『男たちの伝説3 大門死す!男たちよ永遠に…』の3作品が発売された。ただし『大門死す!』以外は実質総集編となっており、それ以外では2004年に発売された『西部警察 SPECIAL』と同DVDに特典映像として収録された『燃える勇者たち』以外ソフト化には至っていない。

    西部警察-パチンコ

    パチンコ機として、ニューギンから2002年に「CR西部警察」が登場。演出が好評で、人気機種となる。さらに2005年夏、続編となる「CR西部警察2」が登場。液晶が大型になり、CPUの性能向上により、前作より当時の映像がふんだんに使われるようになった。

    西部警察-PART-I,II,IIIが放映されたネット局

    ※印は、全国縦断ロケで登場し製作協力に参加した局。○印は『PART-III』最終回でも製作協力した局。

    この他、NHK-BSにおいて、石原裕次郎の特集が組まれた際、『PART-I』の第37話と第48話、『II』の第28話、『III』の第31話が放送された。また、この特集では、石原プロモーション所属俳優が西部警察にまつわる思い出を語るコーナーも設けられ、所々でハイライトシーンが放映された。

    西部警察-挿入歌

    挿入歌は「コーナーラウンジ」(通称・カド屋)や「セブン」のシーンで、歌手の弾き語りという形で使用されていた。

    • 「愛のゆくえ」(『PART-I』前半、歌:幸田薫)
    • 「想い出はたそがれ色」(『PART-I』後半、歌:幸田薫)
    • 「通り雨」(『PART-I』終盤から『PART-II』中盤まで、歌:豊島ひとみ)
    • 「男と女のWALTZ」『PART-II』後半から『PART-III』中盤まで、歌:八木美代子)
    • 「つ・ま・ん・な・い」(『PART-III』第23~48話、歌:八木美代子)
    • 「風の招待状」(『PART-III』終盤、歌:井上恵美子)※『PART-II』以降のテーマ曲「ワンダフル・ガイズ」に歌詞を付けたもの

    また、各シリーズで一度ずつ、木暮が石原裕次郎の歌を歌うシーンがある(『PART-I』第48話で「ブランデーグラス」、『PART-II』第28話で「涙は俺がふく」、『PART-III』第31話で「思い出さがし」を歌った)。いずれも本筋とは関係ない楽屋ネタだが、これにより『PART-I』の放送開始前に発売されていたものの売れ行きが伸び悩んでいた「ブランデーグラス」はヒットすることになった。

    更に木暮だけでなく大門も同様に、『PART-I』第53話冒頭で「ちいさな春」、『PART-II』第13話冒頭で「無理をするなよ」と渡哲也の歌を歌うシーンがある。

    西部警察-主題歌

    オープニングとエンディングにはインストゥルメンタルのテーマ曲が使用され、主題歌は一貫して石原裕次郎の曲が使用されており本編のラストシーンに挿入されるのが通例だった。

    エンディングテーマ

    • 「みんな誰かを愛してる」(『PART-I』前半、『PART-III』最終話)
    • 「夜明けの街」(『PART-I』後半)
    • 「時間(とき)よお前は…」(『PART-II』初回から『PART-II』終盤まで)
    • 「勇者たち」(『PART-II』終盤から『PART-III』中盤まで)
    • 「思い出さがし」(『PART-III』第31話のみ)
    • 「嘆きのメロディー」(『PART-III』中盤から)

    西部警察-スタッフ

    シリーズ

    • 制作:石原裕次郎
    • 企画:小林正彦(石原プロモーション・全シリーズ)、高橋正樹(テレビ朝日・『PART-I』のみクレジット)
    • プロデューサー:石野憲助(石原プロモーション)、星裕夫(テレビ朝日)
    • 俳優担当プロデューサー:小島克己
    • 音響効果:小島良雄(東洋音響効果グループ
    • プロデューサー補:岩崎純、高山正彦、仲川幸夫
    • 音楽ディレクター:鈴木清司
    • 衣装:第一衣装
    • 美粧:山田かつら
    • 小道具:高津映画装飾
    • 現像:東洋現像所
    • 協力:日産自動車
    • 企画協力:ブローバック・プロ(『PART-I』のみクレジット)
    • 撮影協力:朝日航洋(放送期間中に「朝日ヘリコプター」より社名変更)、共豊産業(現・共豊コーポレーション)(『PART-I』第56話より)、エンケイ・アルミホイール(『PART-I』第56話より)、鈴木自動車工業(現・スズキ)、出光興産(クレジットなし)
    • 制作:石原プロモーション テレビ朝日

    PART-I

    『PART-II』以降

    • 脚本:新井光、峯尾基三、大野武雄、宮下潤一、那須真知子、柏原寛司、永原秀一、日暮裕一、宮田雪、平野靖士
    • 監督:小澤啓一、渡辺拓也、澤田幸弘、宮越澄、村川透、萩原達、辻理、原隆仁
    • 助監督:原隆仁、萩原達、森清和夫
    • 音楽:羽田健太郎(演奏:高橋達也と東京ユニオン)

    大門軍団特殊車両

    • 本作における、もうひとつの主役。特撮作品や、『007シリーズ』に登場するような「スーパーマシン」として設定されている。
    ガゼール・オープン
    日産自動車ガゼール(S110)
    木暮課長専用車。自家用車のはずなのだが覆面パトカーとして作られており、初回初登場シーンでは木暮の身分が明かされない段階のため、警察官である事を視聴者に判らせる為か8ナンバー。一度赤色灯をダッシュボードで点灯させて臨場したことがある(後期エンディングでも点灯させている。実際には運転者が眩しくて危険なためこのような使い方はほとんどされない)。グローブコンパートメントに警察無線のモニターレシーバー、センターコンソールに自動車電話のハンドセットを装備。幌は(フェアレディZロードスターのような)畳み収納式では無く、支柱を車体に挿して装着するタイプ。
    劇中の設定では、一般車に比べて車高が20cm低いことになっており、これに目を付けた犯人が逃走用車両として指定し、車高を利用して工事中のトンネルで追跡してきたパトカーをまいたこともある(『PART-I』第75話)。
    また、2006年春の『愛のエプロン特番』のオープニングで、渡哲也がテレビ朝日に乗り付ける際に使用された。
    マシンX
    日産自動車スカイラインジャパン(HGC211後期2000ターボGT-E)
    詳細はリンク先で
    特別機動車両 サファリ4WD
    日産自動車サファリ
    フロントバンパーに散水銃2門、ルーフ内部に高圧放水銃2門を装備する、特別機動車両隊・通称特機隊の旗艦となる指令車。定員3名。配備当初(『PART-I』)は、源田刑事が、『PART-II』以降は北条刑事がメインドライバーとなった。放水の必要がある時は、後部にポンプ付きの放水用タンク車を連結する(「警視庁 特別機動 0110」のネーム入り。『PART-III』鹿児島ロケではタンク車が故障したため、単体で放水した(別なポンプからの中継送水であるのか方法は不明)、尚この回では、なぜかスーパーZのサイレン音がマシンXのサイレン音だった)。また潜望鏡式ビデオカメラ・レーダーを装備し、無線だけでなく電話回線の傍受・盗聴も可能である。放水銃・ビデオカメラ使用の際は、ルーフを前方に開ける必要がある。なお、この車両は大門が発注した唯一の車両である(他の車両は木暮の発注)。 上記の鹿児島ロケ(『PART-III』の17話)ではなく同じ『PART-III』第52話が最後の出番となり、以降本編に登場することはなかった。現在でも石原プロの車両倉庫に保管されている。
    スーパーZ
    日産自動車フェアレディZ280(S130)
    マシンXに代わる大門団長の専用車。AT車であり、ドア窓からルーフ部分を油圧ダンパー式フルオート・ガルウイングドア化。ボンネット上には2連装の催涙弾発射銃が2基搭載されており、運転しながらの発射が可能である。また、リアバンパー下部にはマフラーが5本出ているように見えるが、左右の4本は煙幕発生装置(通称「スカンク」)であり、中央部の1本が実際のマフラーである。 乗車定員4名。基本的に大門団長専用車であるが、沖田刑事、鳩村刑事、平尾刑事、山県刑事が運転することもある(『PART-III』のオープニングでは、スーパーZを運転している姿を以って山県のキャスティング紹介がされているが、山県は劇中ではむしろRS-1を運転することの方が多かった)。保管はマシンX同様に西部署にあるスーパーZ専用の保管庫があり、シルバーのドアが両側にスライドして開くと暗闇の中からエンジン始動音とライト(赤色含)点灯、そして専用サイレンが鳴り響き発進、現場に急行する。
    日産・スカイライン DR30・RS(全車前期型)
    共通装備品…FET極東製エアロパーツ・エンケイ製メッシュホイール・サイレン(SPECIALのTVRタスカンも同じ音)・赤と黒のツートンカラー
    カラーリングに関しては、当時活躍していた「シルエットフォーミュラ」を意識したものと言われている(SPECIALのMR-Sも、全日本GT選手権参戦マシンを再現したもの)。
    1. ^ 正しくは「モノクラフトGT300」。発売元はオートバックス。この車両は撮影終了後、実際にそのままの状態で、(中古)販売された。
    マシンRS(情報分析車)
    助手席をコンソール化して潰し、ここに全方向回転式サーチライトおよびサーモグラフィ対応ビデオカメラ、コンピュータ、無線機、および信号操作装置(シグナルコントロール:進行方向の信号を直前の色に関係なく青に変えられる)等の操作盤を搭載している。また車内後部にもコンピュータ、無線機、プリンター等が搭載されており、進行方向に対して横向きに取り付けられた座席で操作する。この後部座席は、2ドア車であることに加え助手席にも大型コンピュータを置いているため、乗降に難あり(ドライバーがいると後部コンソール担当者は極めて乗降しにくい。RS-3改造後のPART-3 30話では平尾が助手席ドアを開けて降車している)。スーパーZと共に配備され、主に沖田が運転し北条、平尾、五代刑事も運転をしている。乗車定員2名。NAのFJ20Eエンジン搭載。最高時速255km。基本的には運転席および後部座席の2名で乗車し、コンピュータ他の装備は後部座席側で操作するが、ドライバー1名のみが乗車した場合でも、助手席側のコンピュータで各装備の操作が可能である。赤色灯は前面バンパー下の点滅式警光灯とリヤトレイの回転灯しかないため、緊急走行時の視認性にも難がある。
    以下のRS-1~RS-3の3台のマシンを総称して「RS軍団」と呼称されることがある。
    RS-1(攻撃・戦闘指揮車)
    発砲して抵抗する犯人に対応するための単装20ミリ機関砲2門が装備されている他、マフラーに擬装した急加速装置「アフターバーナー」を装備し、追跡時に威力を発揮している。ルーフには空力抵抗を考慮した為の変形バーライト(大型警光灯)。助手席に大型コンピュータを置いているため1人乗り。そのコンピュータには敵味方識別装置(IFF)、目標物の平面・側面投影が可能な逆合成アパーチャレーダー(ISAR)、レーダーホーミング装置が装備されていたが劇中ではほとんど使用していない。エンジン出力(FJ20ET改)280ps。最高時速265km。アフターバーナー使用時の最高速度到達時間は16.3秒。 機関砲が使用されたのはPART-IIIの16話と17話のみ、アフターバーナー使用の描写も16話と33話のみである。初登場の時は大門が運転していたが、主に山県刑事、時々五代、鳩村、平尾、南刑事が運転する。
    RS-2(情報収集車)
    特殊無線機(警察無線、航空機無線、船舶無線、遭難自動通報無線、アマチュア無線、各種緊急無線等の送受信が可能。実物はアマチュア無線機)、無線傍受用アンテナ、電動式サンルーフ、4連装特殊弾発射筒(通常とは逆ヒンジで開くトランク内に装備され、無煙閃光弾、信号弾、曳光表示弾、発煙弾、催涙ガス弾の5種類の特殊弾を発射可能。ただし、劇中では未使用)、センサー信号処理装置、パルスドップラーシステム、シグナルコントロール(旧RSより移設:『PART-III』では進行方向の信号を青だけでなく赤にも変えられる)などを装備している。助手席側の床は鉄板張りのフラットフロアとなっており、シートを後部へスライドさせることでサンルーフからの安定した射撃が可能となっている。また、サンルーフを装備する為にRS-1、3に装備されている大型パトライトは設置されておらず、車体後部側面に反転式パトライトを装備しているのが特徴。そのため覆面車両として使用しやすいはずであるが、劇中でそのような出番はPART-III 第54話を除いて無かった。 乗車定員2名。エンジン出力(FJ20ET改)280ps。最高時速260km。主に五代刑事が運転をし南刑事が助手席に座っていた。
    また五代刑事が怪我等で不在の時には、平尾刑事が運転し、正月スペシャルでは北条刑事が南刑事を助手席に乗せてマクドナルドドライブスルーを利用していた。
    RS-3(情報分析車)
    旧マシンRS。RS-1、RS-2登場を期にRS-3に変更された。マシンRSにルーフ上の大型パトライト・エアロスプリットなどのエアロパーツの追加と、タイヤサイズの変更といった再改造を実施。初代マシンRSなのにナンバーが1ではなく3になった理由は不明。主に北条刑事が運転し、平尾刑事が後部座席に座っているが、平尾刑事が運転する事もある。(地方ロケでは、南刑事が運転する姿も見られ、最終話のみ山県刑事も運転)
    スズキ・カタナ
    スズキGSX1100S KATANA
    PART-IIから使用された鳩村専用のバイク。『PART-III』終盤で大破炎上してしまう(実はダミー)。
    スズキ・カタナR
    スズキ・カタナを元にしたカスタム車両
    上記のカタナの後に乗り換えたバイク。後年に発売された市販車ではなく、ロケ用オリジナル改造車。レース出場用として製作していたものを警察車両に転用したもの。エンジンは、元々レース用としてチューンアップされた為、公道用にデチューンされた可能性がある。エンジンの他、パワーアップに対処する為、大型オイルクーラーへ換装すると共にサスペンションとフレーム周りを強化。エンジン出力170ps。最高時速270km。ゼロヨンタイム10秒。前照灯脇に赤色点滅灯を備え、鳩村用バイクとしては唯一緊急走行が可能(前身の巽刑事が乗っていたハーレーダビッドソンは、『PART-I』第30話でパトライトを装着しサイレンを鳴らしていた)。
    ※大門軍団が対峙する犯人は武装している率が高い以上、特装車両は防弾仕様である事を要するはずだが、その事に触れられたエピソードはなく、更にはその割に被弾した様子もないのがいささか不思議ではある。

    西部警察-各種データ

    1979年から1984年までの放送の約5年間での数字

    • 制作数…236話
    • 平均視聴率…約15%前後(関東地区)
    • 出演俳優…12,000人
    • ロケ地…4,500箇所
    • 封鎖した道路…40,500箇所
    • 飛ばしたヘリコプター…600機
    • 壊した車両の台数…約4,680台(1話平均・20台)
    • 壊した家屋や建物…320軒
    • 使用された火薬の量…4.8t
    • 使用されたガソリンの量…12,000リットル
      • (爆破シーンをより効果的に見せるための火炎を発生させる為)
    • 爆破費用トップ5
      • 1位:5,000万円(無防備都市で登場したLADY BIRD)
      • 1位:5,000万円(最終回で登場したテロ組織のアジト)
      • 3位:3,000万円(福島ロケで爆破された犯人アジト)
      • 4位:1,700万円(福岡ロケで爆破された漁船)
      • 5位:1,500万円(高松ロケで爆破された瀬戸内赤潮研究所)
      • 参考までに車両1台の爆破の経費は約300万円
      • なお、趣旨上ランクからは外れるが、2004年放映の『西部警察SPECIAL』で登場したテロ組織のアジトは4,000万円だった。

    西部警察・日本全国縦断ロケ

    木暮課長役を演じる石原裕次郎が、乖離性大動脈瘤による長期にわたる闘病生活から復帰できた事を記念すると共に、闘病中自分を応援してくれた全国のファンに対するお礼と、自分の元気な姿を少しでも多くの人に見てもらいたいという意味を込めてPART-II~PART-IIIと股にかけて行われた、テレビドラマとしては異例の大規模な地方ロケ。

    西部警察-スポンサー企業

    スポンサー企業

    日産自動車
    劇用車の全面提供、撮影場所の提供、地方ロケ時の各日産販売会社の社長・スタッフの出演など。
    東急グループ
    ダイエー
    ダイエー
    買い物客が多数いるダイエーの店内を犯人がバイクで逃走しているシーンもあり。ローソン
    当時のコンビニエンスストアは、深夜も営業している小規模のスーパーマーケットとして認識されていたためか、西部警察PART-Iでは「スーパーの「ローソン」」として劇中に登場していた。
    オートバックス
    劇用車のオイル交換でオートバックスの店舗に訪れるシーンがあったり、オートバックスの店舗が地方ロケ時の捜査の聞き込み先や事件現場として登場していたほか、最後期(PART-III・第8話以降、最終話まで)のオープニングのキャスト紹介のうち鳩村(舘ひろし)のシーンで、舘がオートバイで乗りつけポーズを決めるバックとしてオートバックスの店舗ガレージが宣伝的に用いられている。
    宝酒造
    北海道・京都ロケで、石原裕次郎の友人である宝酒造社長(当時)大宮隆氏も登場していた。撮影打ち上げの際には、同社の日本酒松竹梅」の樽酒が使われた。
    共豊産業(現・共豊コーポレーション)&エンケイ・アルミホイール
    西部警察PART-Iの中盤の放送回から、ほとんどの車両のホイールで同社の製品が使われていた。
    鈴木自動車工業(現・スズキ
    バイクにおける劇用車の協力。
    朝日航洋(旧・朝日ヘリコプター
    同社の塗色のまま企業ロゴの上に旭日章や「警視庁」の文字を貼り付けて警察ヘリコプターに仕立てていた。本物の警察ヘリは銀と青のツートーン+ノーズにオレンジの帯のカラーリングである。
    東芝
    第1話・第2話「無防備都市」ではヘッドホン式の無線機やその他の劇中、盗聴した電話や留守番電話を録音したテープを、東芝製のラジカセで再生する場面が幾度も登場する。特殊車両に搭載されているモニタも多くが東芝製。
    出光興産
    車両走行、爆破シーンに使用するガソリンの提供。地方ロケ時、出光興産のガソリンスタンドも登場していた。それ以前は主に共同石油(現・JOMO)のガソリンスタンドが登場していた。
    田崎真珠
    本編で登場する宝石、強盗が押し入る宝石店として度々登場した。
    米澤玩具(現・セガトイズ
    特殊車両のトイラジコン、当時同社が製造販売していたミニカーシリーズ「ダイヤペット」、LSIゲームの発売。
    青島文化教材社
    特殊車両のプラモデルシリーズの製造販売。
    チェスコム
    転送電話サービスの企業。PART-III末期で登場。

    西部警察- 作品

    放送開始前

    • 日本テレビ系で放映された『大都会 PARTIII』制作終了直後の1979年、この番組の制作の石原プロが、その設定を元にテレビ朝日用に作ることになった。設定の最大の違いは
      • 大都会 PARTIII』では医者役の石原裕次郎が、
      • 本作では警察官(捜査課長)役
    であること。

    設定

    • 舞台
    東京・城西地区(渋谷区・港区・新宿区・目黒区一帯)を所轄する警視庁西部警察署。捜査課の大門部長刑事とその部下たちは通称「大門軍団」と呼ばれており、犯罪者から恐れられ、時に挑戦すべき対象として名を知られていた。この大門軍団とこれを見守る捜査課長・木暮謙三(石原裕次郎)を中心に、犯罪捜査における活躍を描いたものである。なお、「西部警察署」というネーミングは、西部劇のようなイメージの刑事ドラマ、とのコンセプトから来ており、放映開始時のテレビ朝日の番組広告等には「コンクリート・ウェスタン」と付記されていた。
    • 刑事の風貌
    団長役の渡哲也、巽刑事役の舘ひろし、源田刑事役の苅谷俊介などを見ても分かるように、特に放映初期は刑事というよりむしろヤクザ、あるいは機動隊自衛隊上がり的風体であった。ただ、放送年数とともにいでたちも、当時受け入れられやすい方向に変化していく。渡のサングラスに関しては、本人がその理由を後に述懐している。
    • 犯罪
    殺人強盗誘拐拉致監禁放火公務執行妨害威力業務妨害銃刀法違反覚せい剤取締法違反、麻薬及び向精神薬取締法違反、脅迫恐喝暴力団関連の犯罪、または一連の犯罪の教唆などといった凶悪犯罪がベースとなっている。
    放映時間帯などを意識してか、性犯罪は出てこない。
    一般市民や警察官が殺傷されることが多い。10名以上の死亡者が出る事件も珍しくない。
    • 犯人像
    容赦なく市民を殺害するなど見るからに凶悪な犯人であり、黒幕によって重層的に組織された犯行グループであるケースが多い。暴力団、脱獄囚や前科者も多い。ほぼ全ての犯人がグループで行動し、銃器を使用する。大門軍団によって犯人が射殺されることも少なくない。
    全シリーズを通して「爆弾テロリスト」が登場する頻度が高い。その為その仕組はベーシックな「リモコン式」&「時計」に始まって「高度計」から「速度計」から「風力計」、果ては「音量計」に至るまで、それこそありとあらゆる「計器類」に連動した〝BOMB(爆弾)のアラベスク〟が見られる。

    • 捜査方法
    警察官職務執行法に抵触するような方法がことのほか多い。例を挙げれば盗聴、不法侵入、おとり捜査、果ては爆破工作といった方法である。被疑者制圧時や取調べの際には暴力行為も辞さない。
    携行する武器も多岐にわたる。ショットガンライフル、特殊車両が配備されており、随所で活躍をみせる。
    大門軍団の過激な捜査が内外の苦情を生み、マスメディアによって批判的に取り上げられるシーンもある。
    • 国の機関の名称
    防衛隊(=自衛隊)や日本国際銀行(=日本銀行)のように、国の機関の名称を若干修正している。法務省海上保安庁内閣調査室など実名で登場する機関もある。

    作風

    • ドラマとしてはハード・アクションが前面に出ており、人情物や社会派物と呼ばれるような、視聴者に問題意識を投げかけて「考えさせる」「悩ませる」といった要素は少なく、ただただ理不尽なまでに凶悪な犯罪者たちを、悩まずに徹底的にハードに追い詰め、戦うという側面が強調されていた。脚本家の宮下隼一によると、師である永原秀一は本作脚本執筆の際、犯人が思想を持つと西部警察はそれを取り締まる思想警察になってしまうため、故意にそういう部分を排除し単なる粗暴犯として描いていたとのこと。勧善懲悪とも違う「犯人の苦悩を描かない」という描写は、石原プロ製作による『西部警察』の後番組や、人気シリーズ『踊る大捜査線』にも踏襲された理念であり、警察ドラマの王道の一つでもある。
    • 確かに『西部警察』は、確実に警察不祥事や警察官の市民暴行ととられる描写が多々あり、警察のイメージダウンにつながる可能性もあった。しかし、過激な描写はあくまでも『西部警察』の物語上での演出の一環として、承知の上で製作されたドラマであったといえるだろう。裏を返せば、上述のようなマスコミ等による警察批判の描写は、ある種の「バランスの産物」とも解釈できる余地がある。
    • 作風の特徴とその変化は以下の通りである。
      • 初期…バイオレンスタッチな印象が極めて強い。その一方で、凶悪な犯罪者を通して人間や社会の暗部を鋭く描くといった側面も持ち、アクションシーンのみに頼らない作品が多く見られた。また、見過ごされがちだが、『野獣死すべし』や『蘇える金狼』の村川透(『大都会』シリーズにも監督として参加している)など、新進気鋭の若手監督も大胆に起用し、映像美の追求もそれと同時に行われていたのは、特筆に価する(この特質は、シリーズが進むにつれ次第に薄れていった)。この時期は『大都会』の延長線上、と言うべきものである。ちなみに『西部警察』は開始当時、一年放映の契約であったそうである。
      • 『PART-I』・後半…新たな特殊車両「マシンX」「サファリ」の投入や、桐生一馬(演・加納竜)の後継の平尾一兵(演・峰竜太)の登場とともに、雰囲気がやや軟化。テレビや時代、視聴者を意識しだした頃でもある。以後の『西部警察』を見る限り、この時期は過渡期と言えよう。
      • 『PART-II』以降…リニューアルし、娯楽性が一気に高められた(つまり、ストーリーとしては浅くなった)。初期のようなハードな世界とは一線を画するようになっていった。現在、リアルタイムで西部警察を見てない世代がイメージする西部警察はむしろこちらである。全国縦断ロケに代表されるように、ある意味では映画でもできないような事がテレビでなされていった。スーパーマシンの類も途中でリニューアルし、より子供やその親の層を意識した番組構成となった。
      •  『PART-II』から登場した沖田五郎(演・三浦友和)に、過去の事件での負傷から死期が迫るという設定がなされ、沖田のカウントダウン的エピソードが時折織り込まれることで、一時は一転ストーリー全体に悲愴感が漂う。沖田の退職(殉職ではない)により、物語は一度クライマックスを迎える。
      •  ポスト沖田としては山県刑事(演・柴俊夫)、五代刑事(演・石原良純)という陽性のキャラクターが配され、作風が再度一転、地方ロケを中心にアクション重視の傾向に。それ以降は大きな流れの変化は無いが、最終年となった1984年放映分の最後期のエピソードには、アクション面を抑え、人情物に近い作風の回も見られ、最終回にて大門の殉職によるクライマックスを迎えることとなった。

    悪役

    制作費とその捻出方法

    銃撃戦やカーチェイス、爆破シーンが毎回のように盛り込まれ、ヘリコプターを飛ばし、日本中をロケするスケールの大きい刑事ドラマである本作には、多額の制作費が必要となる。そのメインはスポンサー収入である。

    『大都会』よりもスケールの大きいドラマを作りたいと考えていた石原プロは、増収のために画期的な手法を用いた。広告代理店の介入を排し、テレビ朝日との直接契約を結んだのである。つまり、テレビ朝日が石原プロから映像を買い、スポンサーは石原プロに直接スポンサー料を払うという仕組みである。

    従来の民間放送では、ほぼ全ての番組でスポンサーと局の間に広告代理店が介在して番組内容に注文をつけるほか、スポンサー料の10〜20%を手数料として徴収する形をとっていた。

    直接契約によって本作では広告会社への手数料相当額を制作費に投入することが可能となった。番組の長期ヒットに伴い、石原プロは過去の映画製作で負った数億円の負債を完済し、30億円の資産を形成することができた。

    なお、すべての広告代理店を排除したわけではない。東急エージェンシーが企画段階から関わっている。

    1. ^ 『週刊金曜日』取材班 『電通の正体―マスコミ最大のタブー』
    2. ^ 柏木純一 『渡哲也 俺』

    ゲスト

    • 主に地方ロケにおいて、協力した会社の社員や地元役場の職員だけでなく幹部やトップクラスの人もゲストでカメオ出演している。

    素晴らしきヒコーキ野郎

    Those Magnificent Men in Their Flying Machines or How I Flew from London to Paris in 25 Hours and 11 Minutes
    監督ケン・アナキン
    製作スタン・マーガリーズ
    脚本ケン・アナキン
    ジャック・デイヴィス
    音楽ロン・グッドウィン
    撮影監督クリストファー・チャリス
    編集ゴードン・ストーン
    アン・V・コーツ
    配給20世紀FOX
    公開1965年6月16日 アメリカ合衆国の旗
    1965年10月 日本の旗
    上映時間138分
    製作国 イギリス
    言語英語
    制作費$5,600,000
    allcinema

    IMDb

    飛行機発展の黎明期であった1910年を舞台に、大手新聞社主催によるロンドン-パリ間の飛行機レースに世界中の強者を集めて開催されるレースの模様をケン・アナキンが、国際的スターを集めて作った豪華な大作映画。日本からは石原裕次郎が参加し、ハリウッド映画初進出を果たした。

    スタッフ

    • 監督・脚本:ケン・アナキン
    • 製作:スタン・マーガリーズ
    • 脚本:ジャック・デイヴィス
    • 撮影:クリストファー・チャリス
    • 音楽:ロン・グッドウィン

    キャスト

    外部リンク

    城取り

    スタッフ

    キャスト

    城取り
    監督舛田利雄
    製作石原裕次郎
    中井景
    脚本池田一朗
    舛田利雄
    出演者石原裕次郎
    千秋実
    近衛十四郎
    音楽黛敏郎
    撮影横山実
    編集辻井正則
    配給日活
    公開1965年3月6日 日本の旗
    上映時間136分
    製作国日本
    言語日本語
    allcinema
    キネマ旬報
    IMDb

    黒部の太陽-テレビ版

    1969年8月3日~10月12日の日曜21:30~22:26に日本テレビ系列で放送された全11回の連続ドラマと、フジテレビ開局50周年記念ドラマとして2009年3月21日・22日の二夜連続放送のスペシャルドラマがある。

    外部リンク

    黒部の太陽-舞台版

    2008年には、『黒部の太陽』の舞台となった関電トンネル開通50周年と映画上映40周年を記念して舞台化された。実際に関電トンネルの工事を担当した関西電力熊谷組が支援、映画を製作した石原プロモーション三船プロダクションが全面協力している。主演は中村獅童神田正輝、出演は大地康雄勝野洋ベンガル月影瞳宮川一朗太石井智也ほか。妹尾和夫も特別出演しており、妹尾がパーソナリティを担当するABCラジオの『全力投球!!妹尾和夫です』と被らない土曜・日曜・平日夜の公演などに出演する。ただし、第二部に一瞬だけとなる。

    2008年10月6日10月26日梅田芸術劇場メインホールで公演された。石原裕次郎の没後23回忌に当たる2009年には東京での再演の計画もある。

    この舞台化には、梅田芸術劇場の岡田正行プロデューサーが石原プロ側を口説き落とし、ようやく実現させたという。

    また、12月8日には梅田芸術劇場でオリジナル版映画がノーカットで上映された。完全ノーカットの劇場公開は40年ぶりと言われる。

    黒部の太陽-映画概要

    劇団民藝の全面協力による、三船プロダクション石原プロモーションの共同制作。電力会社やその下請け関連企業に大量のチケットを買ってもらい巨大な興収をあげた。いわゆる動員映画・前売券映画の先駆けとなった作品としても知られる。

    製作発表から公開まで

    1962年日活から独立した石原裕次郎は、五社協定の枠に苦しめられ、「自分で映画を作る」という当初の目標が揺らいでいた。1963年には独立第一弾として、堀江謙一をモデルとした『太平洋ひとりぼっち』が公開されたが、興行面では失敗に終わった。

    1964年三船敏郎と石原裕次郎の2人が会見し、三船プロ・石原プロの共作で映画化すると発表した。しかし実現までには間隔が空いた。

    日活との問題に加え、当時、石原プロの元には、スタッフ・キャスティングに必要な人件費が500万円しか無かった。石原裕次郎はこの500万円を手に、劇団民藝の主宰者であり、俳優界の大御所である宇野重吉を訪ね、協力を依頼。宇野は民藝として全面協力することを約束し、宇野を含めた民藝の所属俳優、スタッフ、必要な装置などを提供。以降、裕次郎は宇野を恩人として慕うようになった。

    1966年、再び三船と裕次郎が会見を開き、毎日新聞で連載されていた『黒部の太陽』を映画化すると発表。莫大な資金が必要で、実際に事故も起こるなど大掛かりな撮影となった。1年以上の撮影期間を経て、1968年2月に公開された。

    その後

    後に文部省の推薦映画に選ばれ、現在の40~50代の人の中にはこの映画を小学校の校外学習で見たという人も多く見られる。

    現在版権は石原プロが所有している。ビデオ化については、石原裕次郎自身が「こういった作品は映画館の大迫力の画面・音声で見て欲しい」と断ったため見送られ、その後何度もビデオ化の打診はあったが、現在もソフト化されていない。

    テレビでは、1979年10月8日(月)にテレビ朝日系で「秋の特別ロードショー」(20:02~22:48)として放映された。ただし、これも短縮バージョンであった。予告編が2007年に『NHKスペシャル・石原裕次郎、没後20年~裕さんへのラブレター~』にて初めてテレビ公開された。また、予告編は『サライ』(小学館)の2007年8月16日号の特別付録DVDに「狂った果実」「太平洋ひとりぼっち」の予告編とともに収録されている。

    一方で、当初石原裕次郎が主張していた映画館などでのスクリーン上映も滅多に行われていない。現在では、裕次郎13回忌など、数年に1回程度、石原プロが関係するイベントで上映されている。ただし、「その際も、海外公開用に2時間十数分程度に編集された1時間短縮バージョンを公開している」と監督した熊井などは話している。ノーカット版の上映は2009年4月現在、大阪市と黒部市での2回のみである。

    後に民藝制作で、日本テレビ系にてテレビドラマ化され(『黒部の太陽(テレビドラマ)を参照)、また『週刊少年マガジン』(講談社)で漫画化も行われた(作画・横山まさみち)。

    キャスト

    データ

    1968年2月17日公開

    • 配給収入:約7.9億円
    • 観客動員数:約730万人

    スタッフ

    • 音楽:黛敏郎
    • 撮影:金宇満司
    • 配給:日活株式会社
    • 製作:三船プロダクション、石原プロモーション

    紅の翼

    紅の翼(くれないのつばさ)1958年に公開された石原裕次郎主演の映画。観客動員数は約640万人である。

    スタッフ

    キャスト

    紅の翼
    紅の翼
    監督中平康
    製作水の江滝子
    脚本中平康、松尾昭典
    出演者石原裕次郎中原早苗二谷英明
    音楽佐藤勝
    配給日活
    公開1958年12月28日
    興行収入約4億円

    2009年6月13日 (土)

    狂った果実-テレビドラマ版

    2002年9月9日TBSの単発スペシャルドラマにて『狂った果実2002』として放映された。

    舞台設定を現代に変更している。

    キャスト

    狂った果実

    狂った果実』(くるったかじつ)は、石原慎太郎小説及びそれを原作とした映画テレビドラマ作品である。

    アリス (フォークグループ)の作品「狂った果実」とは別発想のものである。

    ポスター

    映画版

    1956年日活により映画化・公開された。石原慎太郎がこの作品を書き始める段階で日活から「映画化したい」という話があり、慎太郎が弟・裕次郎の主演を条件に承諾したという。また、津川雅彦についてもある結婚式で慎太郎がたまたま見かけた津川の印象が強烈で「彼でなければ駄目だ」という慎太郎の強力な推薦により出演が決定した。ちなみに津川の芸名もこの作品に出演した時に慎太郎が自らの小説『太陽の季節』のメインキャラクター「津川竜哉」から命名した。(いずれのエピソードも慎太郎の小説『』に詳細が書かれている)

    キャスト

    なお、『海浜の情熱』というタイトルで海外でも上映されている。

    影狩り-テレビドラマ

    テレビドラマ

    1983年版

    キャスト

    スタッフ

    1992年版

    • 1992年4月8日水曜日)、19:00 - 20:54
    • フジテレビ系にて単発のスペシャル時代劇として放映。

    キャスト

    スタッフ

    影狩り-映画

    1972年、「影狩り」と「影狩り ほえろ大砲」の二作が公開された。

    キャスト

    第1作
    第2作

    スタッフ

    • 監督:舛田利雄
    • 脚本:池上金男
    • 製作:石原裕次郎、奥田喜久丸、小林正彦
    • 音楽:石原裕次郎、広瀬健次郎(第1作)、玉木宏樹(第2作)

    影狩り-登場人物

    影狩り三人衆

    室戸十兵衛
    三人のリーダー格で、影との戦いの際には十兵衛が上忍と相対し、その間に日光・月光の二人が下忍たちを蹴散らすのが定番である。また、油断した日光を救う役割も多い。
    神道無念流の皆伝を受けている。
    かつて越後一条の森家の幼君・輝若の君側として仕えていたが、“影”の暗躍と国家老・大渕左衛門の内通により幼君は切腹、主家は断絶。浪人となった十兵衛は同じように“影”の暗躍によって危機に陥る藩を救い、それによって理不尽な外様藩取潰し政策を取る幕府に一矢報いんとする“影狩り”を行うようになった。
    その後は大場瀬左衛門と名を変え“影”を操る大目付となった大渕左衛門との戦いを続けるが、ある時大場が大目付就任と引き替えに十兵衛の切腹を回避させていたことを知り、大場と直接の対話に及ぶ。その席で大場の真意を聞き、互いの道を歩むことを誓い合った。
    主家を失った無念のため、男性機能が不能となってしまっている。それによって事件に巻き込まれたり、くのいちの襲撃に対して難を逃れてもいる。
    将棋が趣味で、月光や一色残無斉と楽しんでいる場面があるが、日光は将棋のルールを知らないらしく、将棋が始まると女を求めて行ってしまう。
    話の最後は、影狩りの任務を果たした三人衆が馬上から藩を眺め、十兵衛が「行くか……」と呟き、藩を後にするのが定番となっている。
    日光
    本名、乾武之進。三河の出身。
    もと、鳴瀬藩でお膳番、鬼役(毒味役)を務めていたが、藩主・加納が“影”に暗殺され藩は改易。
    女好きで、旅先では必ず女郎屋を探すことから始めている。くのいちに近づかれることもしばしばあり、情を抱いてしまうことも数多い。しかし、常に相手が寝首をかこうとする気配を察して切り抜けており、大雑把な性格であるが意外にも隙がない。
    影狩りで得た金を各地に預けていたり、それを元手に商売を始めたりもする、影狩り三人衆では最も生活感のある人物。しかし商売はことごとく失敗し、いかさま博打で無一文にされ、結局は影狩り業に戻ってくる。
    かつて毒味役であった経験からか、食べ物の臭いを嗅ぎ分ける特技があり、諸藩に赴いた際に出される食事の毒味は彼が行っている。
    一町四方(約100m平方)の音を聞き分ける特技を持つ。
    指先が敏感で、肌を撫でただけで梵字の痕の形を読み取ることができる。
    敵を霧中に誘い込み、いかめしい騎馬武者姿で気を引いて逆方向から伏兵が斬り込む「陰形化身の術」を得意とする。
    ……など、多芸多才な特技を持っている。
    月光
    本名、日下弦之介。伯耆流抜刀術の達人。顔の右側に大きな痣がある。
    もと今津藩藩士で、家老の汚職を巡る内紛に巻き込まれて妻子を失い、藩を抜けることになる。
    挙母藩に仕えていた友人・大杉のもとで食客となるが、大杉は病死。その時期に日光、次いで十兵衛と出会い、影狩りに身を投じる。
    陽気な性格の日光に対して月光と名乗るなど、寡黙で落ち着いた性格。この性格は十兵衛とも共通しており、十兵衛とは将棋の相手としても良い勝負である。

    宿敵

    将軍
    少なくとも二人、ないし三人の将軍が登場している。それぞれ何代将軍なのかは明示されない。
    • 「棕櫚緒忍衆」「傀儡術山彦」に登場する、若いシルエットの将軍。
    • 「影死すべし」の、精根尽き果てた将軍。前者が老いたか、それとも別人か。
    • 「十兵衛は影だ!!」に登場する、大目付・青江に騙されている将軍。前記の将軍とは明らかに別人。

    大目付

    大場瀬左衛門
    もと、森家の国家老・大渕左衛門。影と裏取引をして幼君・輝若を謀略に陥れ、主家断絶に追いやった。
    その後は大場瀬左衛門と名を変え、“影”を暗躍させ諸藩取潰しにかかる大目付に就任。数多くの藩を取り潰していった作中最大の敵役である。
    だが、後日意外な事実が発覚する。
    大場は当初“影”に協力することで輝若の助命を望んだのだが、それがかなわぬと知った時、輝若の切腹と大目付就任を承諾する代わりに側役であった室戸十兵衛の助命を嘆願した。つまり十兵衛は大場に命を救われていたのである。事に興味を持った十兵衛は大場と会見。両者の意思を確認した。
    「時の勢いには抗しきれぬ」が持論であり、いずれは自分自身も用済みの者として始末される事を察知していた。そして予測通り“影”の手が迫ると、せめてもの抵抗として自刃。「大場死すと聞けば、必ず自決せるものと知るべし」との遺書を十兵衛に宛てて遺していた。
    青江下坂
    大場の後任の大目付。前任者以上の謀略家である。
    影狩りの存在のために外様大名が自藩の生き残りにのみ執心し、本気で幕府に対して反旗を翻す気概を失っていることに注目。
    室戸十兵衛は幕府の命を受けて影狩りをしている“影”だという噂を流して影狩り三人衆を仲違いさせて壊滅に追い込み、速水喬四郎を操り「幕府に操られる影狩り」を実現しようと画策。その陰謀のためには将軍までも騙していた。
    十兵衛の剛速の剣は影狩りの首領として群れをなす“影”を斬るのに適しており、月光の剣は一対一の戦いにこそ真価を発揮し、十兵衛をも斬れると評価した。しかし実際の戦いでは上忍と一対一の戦いをするのは十兵衛で、大勢の“影”を相手にするのは月光と日光である。

    隠密支配

    石根刀自斎
    棚倉藩などの取潰しに成功していたが、影狩りとの戦いで受けた被害の責任を取って自害する。
    後任の堂本無格は彼を「温情派の人」と評した。
    堂本無格
    切腹した石根刀自斎の後任。峻烈な性格。
    世襲制によって忍びの気概を忘れる者たちを憂え、忍びの技をもって生業となすことを誇りとする。
    伊賀忍者の精鋭を集めた「棕櫚緒忍衆」を結成させるが、棕櫚緒衆もまた影狩り三人衆に敗れ去った。

    “影”

    幕府が諸藩に差し向ける公儀隠密。「声があって声なく、姿があって姿なし」と恐れられ、「天地に接して天地に逆らわず、大気になじんで大気を斬る」と言われる「四足の法」を身に付けている。

    主に伊賀同心、甲賀同心、根来同心、黒鍬組、二十五騎組があり、他にも将軍家護衛の黒縄組、大目付さえ存在を知らぬ老中直属の影がある。また、彼らも裏切り・逃亡を許さぬため「影目付根来衆」に常に監視されている。

    甲賀組は野武士・乱波の戦術を受け継ぎ、火付け、破壊、流言などを得意とする。

    黒鍬組は毒物を専門とし、“影”の体術を身に付けていない者もいる。

    影狩り三人衆が相手ではほとんど斬られ役にすぎないが、太平の世に慣れきった武士や諸藩の仕立てた隠密では相手にならず、城侍が“影”を倒すと影狩りからは「城侍などが易々と“影”を倒せるはずがないから何か怪しい」と考えられるほど。

    影狩りによって“影”が仕留められている事は幕府にとっても痛手であるようで、たびたび諸藩取潰しのためではなく影狩り抹殺のための作戦が行われている。

    如来ヶ衆
    唐人・劉某が伝えた唐天竺渡来の秘術を伝える一団。体に歯形で阿弥陀如来を意味する梵字の痕を刻み込んでいる。
    お羽織衆
    大奥にあって将軍の身辺を警戒し、その私用を務める忍びの集団。その頭領は徳川の「葵」の紋の羽織着用を許されている。

    柳生新陰流の剣士たち

    柳生三羽からす
    疋田刃吾、庄田斬左衛門、出淵鞘香の三名。
    影狩り三人衆がその名を聞いただけで震え上がり、必死の奇策でようやく倒し得た作中最強の強敵。この後に登場する柳生の剣士たちには、影狩り三人衆は恐れることもなく普通に勝利しているため、他の柳生とは別格の存在と言える。
    柳生藤江一門
    小栗藩剣術指南役・藤江兵庫助を師範とするが、兵庫助は謎の刺客に討たれてしまう。
    息子・藤江左馬之助は仇討ちを誓って犯人を捜すが、殺人鬼の跳梁は止まらなかった。
    影狩りが招聘されると反目しつつも事件の解決に当たるが、事件は藩政を攪乱し落ち度を作り上げるための“影”の謀略であり、真犯人は藤江左馬之助自身であった。
    柳生一色一門
    一色残無斉は老齢ではあるが剣の冴えは一流。温厚な人格者で、そのために公儀隠密の任を辞退し隠居していた。彼が旅先で強盗を斬ったことで影狩り三人衆と知り合い、それと察しながらも「敵意を持って目の前に現れるまでは同じ人間、こちらから敵意をもってあたれば世の中全てが敵」として、十兵衛と将棋を通して互いの人格に触れ合い、敵味方ながら快い時間を過ごす。
    しかし残無斉を探していた一色一門の高弟・愛知が宿に現れ、影狩りの姿を認めると、残無斉の息子・鞘四郎率いる一色一門を呼び寄せてしまう。残無斉は十兵衛との対決を良く思っていなかったが、影狩りと激突した一色一門は全滅。残無斉も十兵衛の剣に倒れた。
    残無斉は死の直前に、一門の後続部隊が来襲する道を十兵衛に教え、戦いを回避させた。

    輝若
    かつて十兵衛が仕えた9歳の幼君。十兵衛を心から信頼していた。
    将軍家から下賜された壺を取り落とし、割ってしまったために切腹を命じられ、森家は断絶。
    壺には表面に油が塗られており、国家老・大渕左衛門と“影”が組んだ謀略であった。
    磯崎小平太
    月光こと日下弦之介の親友。
    国家老・奥平の汚職の証拠となる帳簿を弦之介に預け、家老一派の刺客が弦之介の家を焼き討ちにして証拠を葬り去ろうとした。弦之介は刺客を返り討ちにして生き延びたが、顔に大きな火傷を負い、多くの藩士を斬ったことで逃亡を余儀なくされる。また、その際に妻・千勢と息子・多一郎を失っている。
    巻き込まれた形で藩を追われた弦之介であったが、後に故郷を訪れた際に、磯崎が幕府の送り込んだ「草」と呼ばれる“影”であり、図らずも今津藩取潰しの一役を担っていたことが判明。磯崎は責務と友情の間に心揺れるが、「俺は生まれながらの犬なのだ」との悲痛な訴えと共に弦之介と対決。かなわぬ事を知りながら討たれていった。
    立花賀風斎
    柳生・藤江兵庫助の親友で鎖鎌の達人。武芸は一代のものとして弟子は取らず、鎖鎌も自己流で編み出したもの。
    藤江兵庫助の死を聞き、仇討ちに協力するため小栗藩を訪れ、互いに犯人と誤解した影狩り三人衆と激突。三対一の戦いもものともせずに互角の戦いを見せた。
    しかし犯人は兵庫助の息子・左馬之助であり、不意打ちの一撃で討たれた。
    速水喬四郎
    もと森家の藩士であり、十兵衛とも旧知である。大目付・青江下坂の陰謀により幕府の犬として働く影狩りに仕立てられようとしていたが、十兵衛によって斬られた。

    影狩り-概要

    徳川時代、封建制度のひずみはその財政破綻となって現れた。無策に悩む幕府は、最も卑劣な手段で、その窮地から逃れようとした。それは諸大名の取潰しによる領地没収である。

    そのため、数多くの隠密や忍者が諸大名の些細な落ち度を暴こうとして、各地で暗躍した。世人は、この隠密や忍者を“影”と称して恐れおののいていた。

    影の跳梁に対する大名の自衛手段はひとつ……、それは密かに潜入してくる“影”を殲滅し、その口を封じることである。

    ここに、三人の浪人が世に現れた……。

    一人を、室戸十兵衛と言い、残る二人を、日光、月光と呼ぶ三人衆である。彼等は大名に雇われて、その“影”と対決する“狩人”である。

    やつらが血の臭いに乗ってやって来た!!

    弟-外部リンク

    テレビ朝日・「弟」公式ページ

    弟-スタッフ

    • 制作・テレビ朝日、石原プロモーション
    • 演出・若松節朗(共同テレビ)
    • 原作・石原慎太郎
    • 脚本・ジェームス三木
    • 音楽・住友紀人
    • 企画・早河洋(テレビ朝日)、小林正彦石原プロモーション
    • チーフプロデューサー・五十嵐文郎(テレビ朝日)
    • スーパーアドバイザー・金宇満司(石原プロモーション)
    • プロデューサー・西河喜美子・大川武宏(テレビ朝日)、福原昇(石原プロモーション)
    • 撮影・伊藤清一(ジェニック
    • 照明・椎野茂(石原プロモーション)、加瀬弘行(FLT
    • 音声・佐藤泰博(石原プロモーション)、高橋英史(テイクシステムズ
    • テクニカルプロデューサー・説田比登志(テレビ朝日)
    • テクニカルディレクター・山岸桂一(ジェニック)
    • カメラ・熱田大(テレビ朝日)
    • 美術監督・高原篤(テレビ朝日)
    • デザイン・宮崎洋(テレビ朝日クリエイト)、村竹良二(テレビ朝日)
    • 演出補・村谷嘉則(共同テレビ
    • 衣裳・渋沢茂・会田晶子(東京衣裳)
    • メイク・森田京子、マービィ
    • 結髪・本田文子
    • 美術プロデュース・草間康雄(テレビ朝日クリエイト)
    • 車両・宇角長七、森田三良

    弟-主題歌

    • 第1夜「父の背中」 石原裕次郎『俺は待ってるぜ』
    • 第2夜「家族の崩壊」石原裕次郎・牧村旬子『銀座の恋の物語』(挿入歌:石原裕次郎『錆びたナイフ』)
    • 第3夜「スター誕生」石原裕次郎『嵐を呼ぶ男』
    • 第4夜「黒部の太陽」石原裕次郎『赤いハンカチ』
    • 最終夜「日本中が泣いた日」 石原裕次郎『わが人生に悔いなし』

    弟-キャスト

    石原家

    石原プロモーション

    慶應義塾大学病院

    その他

    弟-サブタイトルと視聴率データ

    • 放送日:2004年11月17日~21日

    以下の視聴率データはビデオリサーチ・関東地区調査のものである。放送時間はJST

    』(おとうと)は、テレビ朝日開局45周年記念スペシャルドラマとして、2004年11月17日から21日にかけて5夜連続で放送されたテレビドラマ。製作は石原プロモーションハイビジョン制作だが、アナログ放送では14:9のサイズで放送された。

    石原慎太郎による、弟・石原裕次郎の生涯を題材にした小説(1996年幻冬舎)を原作とする。

    石原慎太郎と弟の裕次郎との絆を描く。随所の端役においても豪華なキャスティングで仕立てられた。報道ステーションを通常の放送より後ろにずらし、土曜ワイド劇場日曜洋画劇場枠でも放送された(厳密には両番組は休止という扱いである)。ハワイにある裕次郎の実際の別荘や黒部ダムなどでのロケも話題を呼び、視聴率が連日20%越えを達成した。

    また、劇中で、裕次郎が出演した「松竹梅」(宝酒造) のCMの製作過程が描かれ、その後に実際の映像がCMとして放送された。

    乳母車

    乳母車』(うばぐるま)は1956年に制作された日本映画。原作は石坂洋次郎の同名小説。日活製作。

    乳母車
     

    キャスト

    乳母車
    乳母車
    監督田坂具隆
    製作高木雅行
    脚本沢村勉
    出演者宇野重吉
    石原裕次郎
    新珠三千代
    音楽斎藤一郎
    撮影伊佐山三郎
    編集辻井正則
    公開1956年11月14日 日本の旗
    上映時間110分
    製作国日本
    言語日本語
    allcinema
    キネマ旬報
    IMDb

    石原裕次郎のシングル一覧

    CD

    石原裕次郎-外部リンク

  • 公式ウェブサイト
  • ―石原裕次郎専科―夜霧よ今夜も談話室
  • 石原裕次郎-評価

    • 浅丘ルリ子:「彼は明るく太陽のようで、スーパースターなのに形容のしようがない不思議な人。だから老若男女に愛されている。」
    • 由美かおる:「彼はスターでカッコイイ兄貴で、先に帰ろうとすると寂しそうな顔を見せたりするような少年で、彼そのものが太陽のように明るく(健康的で)自然体ですべてが絵になっていた。」
    • ペギー葉山:「彼は若者のリーダーで、アイドルより上。礼儀正しさ、マネージャーにもあいさつする気配りする繊細さは、彼を不良とは感じさせない輝きを持っていた。」
    • 浅野ゆう子:「彼はあまりにも大きな存在で、思うのもおこがましいと子供心に感じた。親しさを感じることができた。」
    • 橋本文雄:「今の俳優・女優は口で台本を読むから説得力がない。彼をよく見習うべきだ。」
    • 長門裕之:「彼の言動が目新しくリーダーシップが取れる。彼がいたから(裕次郎の在り方、生き方を継承できたことに影響している)今の人生がある。」
    • 井上梅次:「彼は台詞覚えも頭も良い。彼こそ一番親近感があると誇れる(彼は裕次郎と同じ大学の学友でもある)。」
    • 鵜殿洋子 (フリーライター):「彼は飲んでも冷静であり、さわやかな笑顔も特徴だ。(元女将として)彼を夢のような時間に連れて行く心構えを学ぶことができた。」
    • 植松康郎 (日活元宣伝部長):「大スターの彼は異質な存在の人で、本当に役者になれるのかと不安がったが、劇場の人気が騒ぎ始めたことを考えると、彼は人間味のある人だといえよう。」
    • 中村玉緒 :「彼は何をしても格好がよくて、男の友情をうらやましく思えるような人物だった。」
    • 井戸川絹子東洋の魔女):「彼の色紙で、オリンピックで金メダルを取ることができた。そして彼似の夫も手に入れた。」
    • 江崎実生:「彼はスーパースターであるがゆえに芝居をしない。座っているだけでお金が取れる。つまり芝居というのは人生と一緒だと彼の行動でわかった。」
    • 笹島信義笹島建設会長):「彼はまじめに何でもやる男。底抜けに明るい笑顔で頼もしいその姿はまさに太陽であった。」
    • 難波靖治NISMO社長):「彼のハンドルさばきは素人には見えなかった。車好きで動物的感覚が備わっていた。」
    • 近藤真彦:「彼に近づくにはいろんなことを経験しないといけない。もう一つはいい男にもなるべきだ。」
    • 岡田晋吉川喜多財団顧問):「彼はカッコよくもあり憧れで怖かった。命がけのドラマ(太陽にほえろ!)を救った恩人でもあった。」(高校時代横須賀線を一緒に利用していたことがある)
    • 大古誠司(元バレーボール選手):「(脚の長さの勝負で)彼の脚の長さをごまかして勝たせてあげたことは、大スターにとっては失礼に当たる。彼は悠然とウイスキーを飲み、他の歌手の歌を歌った低音の声はしびれた。」

    石原裕次郎-エピソード

  • 2009年は彼の23回忌のメモリアルイヤーであり、石原プロが『 I LOVE YUJIRO ~ありがとう 天国からのラストメッセージ~ 』と銘打って7月5日国立競技場で大法要を実施すると発表した。同プロの小林正彦専務によれば、スタッフの高齢化もあり、大がかりな法要はこれが最後になるという。ちなみに今回の23回忌は13回忌(総持寺で20万人が来場)で起こったトラブルの関係で別の場所でおこなうことになった。7回忌にはヨットを献花台にした。
  • 食通としても知られ、懐石料理・カレーライス・ビーフステーキなどを好み、洋和食問わず好物が多かった。また、料理好きでもあり、自宅には自身の調理器具もあったほか、別荘やヨットハーバーでバーベキューや手弁当を楽しむ写真も数多く残されている。晩年には妻の食生活管理の下玄米パン野菜サラダのみの生活を送っていた。
  • チェーンスモーカーであり、大病を患う前は、休暇中には朝食にビールを飲むほど(事実撮影所には「ビールは水」という考えから冷蔵庫が置かれていた。)の酒豪であった。また、日本酒も好み、宝酒造のイメージキャラクターを務め、企業のイベントに参加するなど親密な関係を築いた。(喫煙も大病後に一時禁煙していた。)
  • 「身長182センチ・体重75キログラム・股下90センチ」と、日本人離れした大柄な体型であると宣伝されたが、178cmの長嶋茂雄と並ぶ写真をみると、その公称身長には疑問もある。兄の石原慎太郎は公式HPで181cmとしている(小樽駅の4番ホーム「裕次郎ホーム」には等身大の裕次郎が置かれ身長182センチ・体重75キログラム〔1978年当時〕となっている) 。
  • 台詞覚えが悪いことで知られ、最初は妻に注意されていたが、挙句の果てには台本を開いた状態で机の中において演技をしたこともあるという。
  • 別荘山中湖石和温泉にもち、芦原温泉の定宿で寛ぐ事が晩年多くなった。
  • レコードが擦り切れるほどジャズ山中節を聞いていた。
  • 彼が赤坂にいくとき約10人が、店に電話して、宍戸の車を手配するという準備を細かくやってくれたという。気配りがトップマネージメント力において上手であったとされている。
  • ガッチャマン』は日活版(実際には作らなかった。※主役は裕次郎)を想定して作られたとされている。
  • 一度失踪した経験がある。原因は三枝との結婚を真剣な答えを探そうとして逃げたのである。実際はホテル『ブルースカイ』の打ち上げ中急行「銀河」に乗り京都の都ホテルそして神戸のオリエンタルホテルを経て松廼家に滞在した。事実、帽子を目深にかぶった彼は芸者と朝から晩まで大宴会をしていた。10日後スタッフや関係者が松廼家を包囲した。この件で彼は芸者たちに正座をしながら『ここで過ごしてきたご恩は忘れることはできません』と大粒の涙を流し続けたという。後年彼は「マスコミノイローゼもあるが、僕のわがままでやってしまった」とあっさりと否定している。
  • 1962年雑誌の取材でアメリカ旅行へ2週間長嶋を誘った。5番街の高級帽子店でソフト帽をつくったり、ブロードウェーで観劇したり、エンパイアステートビルを上るスケジュールであった。宿舎では長嶋が彼の足をマッサージしたという。そのあとロジャー・マリスにあったり、フロリダ州マイアミで海水浴やヨットで遊んだともいう。
  • 1965年ピストル密輸事件で家宅捜索され、拳銃不法所持問題で謝罪する(主犯格は百瀬博教)。
  • 1971年療養を兼ねて静観荘に滞在した。5月までにはロードワークをこなし、入院中の患者を見舞ったりしてあげる人であったという。 
  • 太陽にほえろでは実際に目を負傷した刑事エピソードに彼が『この回は絶対に放送するな』とカセットテープに録音して送ったことがあった。
  • 1981年の手術後、「喉が渇いているので、ポカリスエットが飲みたい。」と筆談で懇願し、売上が急増。大塚製薬からはトラック1台分のポカリスエットが病院に届けられたといわれている。
  • 1980年頃、裕次郎は視聴率の件でニールセンを肯定しビデオリサーチ電通が影響している理由で否定するスタンスをとっていたという。
  • 紅白歌合戦には「歌は素人」という理由で毎年辞退していたといわれている。
  • 三回忌や七回忌、十三回忌などの節目の日や、裕次郎の命日近くになると必ずと言っていいほど雨が降ったことから、森田正光が「裕次郎雨」という単語を季語にすることを提唱し、俳句の募集を行っている。
  • メキシコオリンピックビートルズ日本公演を観戦したといわれている。
  • 日活の堀久作社長は「赤い波止場」のラストシーンで手錠をかけられたことを受けて「彼に手錠をかけた馬鹿者がいる」と年頭の挨拶に出るほど激怒したことがある。
  • 青山の『ブルーシャトー』へ飲みに向っているときに土砂降りにあったり、長岡からの帰りに大磯ロングビーチのレストランで小銭しかないため年配が「出世払いで払え」と申し出た。1年の間払っていなかったが、払いに行こうとしたらその年配がすでに他界していたため店名名義で支払ったエピソードがある。
  • 勝とは京都や渋谷のドンキホーテで酒を飲んでケンカしたことがある。勝はこのとき「これは芝居だ」と優しい目がすばらしかった彼を賞賛している。これ以降勝は彼をすごい人すなわち計算が早い人(彼の『嵐を呼ぶ男』のドラマーのまねが大好きだったという。)だとしている。死後彼の自宅を訪問した際、彼以外座れない染みだらけのスネークソファーで寝転んだ。まき子夫人は頷くしかなかったといわれる。
  • 由美とは11PM のカバーガールに抜てきされたとき、問い合わせ殺到で日本テレビの電話回線がパンクしたが、その中に彼のものもあったといわれている。
  • 浅野ゆう子(中学生を警察で働かせていいのか=労働基準法に抵触する恐れがあるという要望から短期間での降板であった。)は「私の方が彼よりまた下が長い」といった逸話が知られているが、本人は否定している。(だが浅野は彼に対してフランクな態度で接していたという説もある。)その後彼は「お前、世界に向けて仕事をしていくべきだ」と女優生活の糧となる言葉を贈っている。
  • 余談としてクリスマスソング(1966年)のアルバムに初挑戦。担当者(テイチク)は「実はストーリー性に富んでいることを意識して制作するのではなく、新しいものに挑戦した結果そうなった。クリスマスソングのアルバム発売も、おそらく日本人では初めてだった(不明)と思う。」と振り返っている。「赤鼻のトナカイ」を例にして考えると山本ただしの訳詩を採用している。
  • 最初ドラマの仕事は気乗りをしていなかった。映画が失敗し、金銭的に苦境だったからである。「太陽にほえろ」では最初1クールの出演を予定していたが、竜雷太(『テレビをバカにしないでください』)や日本テレビ等の説得もあり15年のロングランとなったのである。
  • 黒部の太陽では熊谷組豊川工場で2ヶ月の間作業員を10人ほどつれて演技練習をしたが、掘削機で岩を掘ったり、破砕帯を突破できるかどうかを関西電力から迫られたシーンは有名である。
  • 近藤は彼の『歌手をやめろ。俳優をやれ』という衝撃的な言葉を受け入れることができなかったが、彼が後に発した『俳優は一生の仕事にあらず』という言葉を聞いて立ち直ったといわれている。
  • またある日のこと。青山のブルーシャトーに酒酔い状態で入った近藤はマスターが「彼が来ると思わなかった」と『裕次郎』(ラベル)を差し出した瞬間マスターは立ち去ってしまった。それを見計らってそのブランデーを飲み干したという。
  • 常に時代を先取りしたファッショナブルな人物で、自身の普段着はじめ、ドラマ内で着用する衣装にも独特の拘りがあったという。
  • 1973年の船乗り大会(トランスパシフィック太平洋横断レース)では、最初、コンテッサIII世号の飲料水を確保するタンクから水漏れが起こった。スキッパーの彼は 飲料水に海水を足して米を炊くことで乗り切った。貿易風を受けながらクルー8人は彼のパンツをはきながら15日間ロサンゼルスからホノルル約4200キロを横断した。
  • 石原裕次郎-大会出場

    • 大島ヨットレース(1959年・1963年)このときに「コンテッサIII世号」がデビュー。
    • トランス・パシフィック・レース(1965年・1973年・1975年)
    • アドミラルズ・カップ・レース(1977年)
    • パンナム・クリッパーカップ・ヨットレース(1982年)
    • インビテーショナル・ゴルフ大会-途中ホールアウト(1986年)
    • 石原裕次郎メモリアルヨットレース(死後)

    石原裕次郎-CM

    石原裕次郎-連載

    裕次郎のつづり方』(1958年サンデー毎日

    石原裕次郎-出版

    わが青春物語』(1958年東西文明社

    石原プロモーション-関連企業

    公式サイト内では、系列会社として扱っている。
    • 石原音楽出版社
    • 石原インターナショナル
    • アイ・ピー・エフ
    • 石原ミュージック
    • 石原裕次郎記念館
    また、系列会社ではないが、石原プロが設立に関わっている会社もある。

    関連項目

    外部リンク

    石原プロモーション-作品

    映画

    1963年1月16日に設立された石原プロ製作による劇場映画第1弾。第18回芸術祭賞、ブルーリボン企画賞受賞。原作:堀江謙一、監督:市川崑
    同時上映は石原プロ現社長・渡哲也のデビュー作「あばれ騎士道」。
    黒部ダムを建設する男たちの試練を描いた映画。
    ※1969年に日本テレビ系列でテレビドラマ化された。石原はこのテレビドラマ版にも出演している。
    日産・ブルーバードのラリーカーで、サファリラリーで活躍する日本人ドライバーをテーマにした日産自動車とのタイアップ映画。
    渡哲也主演の刑事アクション映画。
    渡哲也主演の刑事アクション映画。ゴキブリ刑事の続編。
    ショートフィルムのオムニバス作品。一編を製作している。

    テレビドラマ

    同社が初めて制作したテレビドラマ。
    前作「大都会 PART II」「- PART III」の設定をほぼ引き継ぎ、よりスケールアップさせた、同社にとっての代表作。
    「西部警察」にて人気を得た舘を主演に据えた作品。ウイングルーフのトラックで出張演奏する売れないバンドを描く。
    石原亡きあと、「西部警察」を超える作品を目指して制作されたが、わずか1年にて打ち切り。
    前作「ゴリラ」とは打って変わり、舘を主演に据え、下町を舞台にした人情劇を盛り込んだ作品。
    渡哲也本格復帰記念ドラマスペシャル。サブタイトルは「-石原裕次郎に捧ぐ- 妻よ娘よ、わが人生に悔いなし」
    代表取締役刑事と同じく、人情劇を中心とした作品。
    実に20年ぶりの復活。前年に完成していたが、1年遅れで放映。
    • テレビ朝日開局45周年記念作品「」(2004年11月17日-11月21日の5夜連続、テレビ朝日)
    石原の兄・慎太郎の小説をドラマ化した作品。
    愛しの刑事以来、14年ぶりの連続ドラマで、初のホームドラマ制作。
    テレビ朝日開局50周年記念作品。

    バラエティ

    石原軍団がコントに挑戦したクイズ番組
    石原軍団が愛のエプロン軍団と料理で対決。

    CM

    石原プロモーション-会社概要

    役員

    • 元代表取締役社長兼会長-石原裕次郎
    • 代表取締役会長-石原まき子(裕次郎未亡人
    • 代表取締役社長-渡瀬道彦(渡哲也)
    • 代表取締役専務-小林正彦
    • 代表取締役常務-金宇満司(現在は退職)
    • 常務取締役 - 仲川幸夫
    • 取締役 - 舘廣(舘ひろし)、神田正輝、福原昇(現在は退職)

    社歌

    太陽と星(月)の賛歌」 作詞:なかにし礼、作曲:浜圭介、編曲:羽田健太郎

    石原プロモーション-かつて所属していた俳優/歌手

  • 石原裕次郎(設立者)
  • 寺尾聰
  • 苅谷俊介
  • 五代高之
  • 御木裕
  • 石原良純
  • 秋山武史
  • 峰竜太
  • 谷川竜(現・谷川竜太郎)
  • 浅丘ルリ子
  • 石山雄大
  • 小高雄二
  • 川地民夫
  • 浜田光夫
  • 黛ジュン
  • 深江卓次
  • 玉川伊佐男
  • 武藤章生
  • ウラン - 現在「青木カレン」名義でジャズ歌手として活躍中。
  • 石原プロモーション-所属俳優

    一般に「石原軍団」(-ぐんだん)の愛称で親しまれている。

    石原プロモーション-名物の炊き出し

    石原プロは撮影用の車やバイクなどのほかに、餅つき機や3000人分の炊飯が出来る炊事器などを所有しており、石原プロ関係のイベントで炊き出しをするのが恒例となっている。小林専務が自ら調理して所属俳優が料理を配るのも人気の1つだが、カレー、赤飯、豚汁、おはぎ、雑煮など種類も豊富である。現在「炊き出しカレー」が市販されている。

    1995年1月17日阪神・淡路大震災では渡の弟の渡瀬恒彦と共に焼きそばの炊き出しを行った。

    2006年4月12日放映の『愛のエプロン3時間スペシャル』(テレビ朝日)では、渡をはじめとする所属俳優が料理を披露。2007年1月1日放映の『SMAP×SMAP』(フジテレビ)の料理コーナー「ビストロSMAP」に渡、舘、神田、徳重の4人が出演した際には、過去のイベントでの炊き出しの模様を記録したプロモーションビデオの存在が明らかになり、「THE炊き出しPART4」なるビデオの一部が紹介された。その中で舘は「ただ、俳優のプロモーションビデオはひとつもない」とも明かしている。

    石原プロモーション-概要

    同社設立者の石原裕次郎は、元々水の江瀧子と「石原商事」を経営していたが、1963年1月16日に石原の個人事務所(プライベートオフィス)として設立された。「黒部の太陽」や「栄光への5000キロ」に代表される石原の主演映画の製作も手掛けていた。しかし、当時は徐々に映画産業の斜陽化が始まろうとしていた頃であり、興行的に失敗した作品も多く、経営が苦しくなり会社存続が危ぶまれ、当時8億円近い借金を背負った時期もあった。

    そんな折、もともとは映画俳優でありテレビへの出演を頑なに拒否していた石原であったが、周囲の強い説得で嫌々ながらもテレビドラマ太陽にほえろ!」(東宝日本テレビ製作)に出演する事となる。放送開始された「太陽にほえろ!」は見事、高視聴率・高人気を獲得する事となり、そこでテレビが持つ影響力の大きさを身をもって体験したことがもとで、後に活動の軸足を映画からテレビに移していくこととなる。そして、会社の再建のため、また自分が愛してやまない映画をもう一度作りたいという理由で、自社でテレビ映画「大都会」「西部警察」シリーズを製作して高視聴率をたたき出し、10億円近くの借金を返済したのみならず30億円近くの資産を築き、見事再建を果たした。

    また、会社存続が危ぶまれた当時、日活に所属しながらも石原を兄のように慕っていた渡哲也を皮切りに俳優が所属するようにもなり、彼らのマネジメントも手掛けるようになった。石原亡きあとの現在は渡が社長を務め、所属俳優でもある舘ひろし神田正輝取締役に名前を連ねている(それぞれ登記上は本名名義)。なお、専務に「コマサ」こと小林正彦がいる。

    株式会社 石原プロモーション

    Ishihara International Productions, Inc.
    種類株式会社
    市場情報非上場
    略称石原プロ
    本社所在地〒182-0024
    東京都調布市布田4-20-2 オリックス調布ビル3階
    設立1963年(昭和38年)1月16日
    業種芸能事務所 番組制作会社
    代表者代表取締役会長 石原まき子
    代表取締役社長 渡瀬道彦
    代表取締役専務 小林正彦
    資本金3000万円
    売上高非公表
    従業員数30人(所属タレントを除く)
    主要子会社石原音楽出版社
    石原インターナショナル
    アイ・ビー・エフ
    石原ミュージック
    石原裕次郎記念館
    外部リンクhttp://www.ishihara-pro.jp/

    石原プロモーション

    石原プロモーション(いしはらプロモーション) は、日本の芸能事務所制作プロダクションである。本社は東京都調布市に所在。

    社名の由来は、設立者及び初代社長であった石原裕次郎の名字から付けられたもの。略称は「石原プロ」。

    また、所属タレントが出演していた「大都会 PARTIII」の『黒岩軍団』、「西部警察」シリーズの『大門軍団』の名残で、所属タレントの集団は『石原軍団』(いしはらぐんだん)の愛称で広く親しまれている。

    代表取締役社長は、所属俳優でもある渡哲也(登記上名義は、本名の渡瀬道彦である)。

    石原裕次郎のアルバム一覧

    SP

    1957年11月テイチク歌の玉手箱

    LP

    EP

    ソノシート

    CD

    嵐を呼ぶ男-1957年版

    1957年12月28日公開。

    • 配給:日活
    • 配給収入:約3.4億円
    • 観客動員数:約594万人

    スタッフ

    • 製作:日活
    • 企画:児井英生
    • 監督:井上梅次
    • 脚本:井上梅次、西島大
    • 音楽:大森盛太郎
    • 撮影:岩佐一泉

    キャスト

    嵐を呼ぶ男

    嵐を呼ぶ男

    嵐を呼ぶ男』(あらしをよぶおとこ)1957年に公開された石原裕次郎主演の映画。石原裕次郎の代表作の一つ。その後も、主演渡哲也1966年)、近藤真彦1983年)によってリメイクされている。 北原三枝演じるヒロインの女帝マネージャーのモデルは当時女性マネージャーのはしりとして注目を集めていた渡辺美佐である。主題歌も裕次郎自らが歌い彼にとっての最初のヒット曲となり独特の歌い方がいまでもものまねの対象になっている。

    あいつと私(1961)

    あいつと私(1961)
    監督中平康
    脚本池田一朗
    中平康
    出演者石原裕次郎
    芦川いづみ
    小沢昭一
    吉永小百合
    ほか
    音楽黛敏郎
    主題歌石原裕次郎「あいつと私」
    撮影山崎善弘
    編集辻井正則
    配給日活
    公開1961年9月10日日本の旗
    上映時間105分
    製作国 日本
    言語日本語
    allcinema
    キネマ旬報
    IMDb

    石原裕次郎-公式サイト

    公式サイト

    石原裕次郎- 基本情報

    石原 裕次郎
    基本情報
    出生名石原 裕次郎
    別名Yujiro、タフガイ、裕ちゃん、裕さん、裕次郎
    出生1934年12月28日
    血液型A型
    学歴慶應義塾大学法学部中退
    出身地日本の旗 兵庫県神戸市須磨区
    死没1987年7月17日
    ジャンルジャズ演歌歌謡曲ポップス
    職業俳優
    担当楽器ドラムギターピアノ
    活動期間1956年 - 1987年
    レーベルテイチクレコード石原音楽出版石原ミュージック
    事務所日活石原商事石原プロモーション
    共同作業者中島賢治高柳六郎後藤武久他。
    影響水の江瀧子
    公式サイト[1]
    メンバー

    石原軍団リーダー。

    旧メンバー

    寺尾聰

    著名使用楽器
    ウクレレハーモニカ

    石原裕次郎- 実績

    2005年5月現在、2217タイトルの音楽作品が発表されており、約6960万枚、738億円を売り上げている。

    石原裕次郎- コンサート

    • 1965年:「芸能生活10周年記念・全国縦断リサイタル」(全国26都市・35ヶ所)
    • 1967年:「芸能生活10周年記念・第2回全国縦断リサイタル」(東京・大阪・名古屋・京都で24ステージ)

    石原裕次郎-賞歴

  • 日本テレビ音楽祭特別賞(死後)
  • 銀座音楽祭 特別賞(死後)
  • 全日本歌謡音楽祭 朝日新聞社賞(死後)
  • 日本レコード大賞特別賞(1967年、1975年、死後にも受賞)(1981年『ブランデーグラス』ロングセラー賞)
  • 日本ゴールドディスク大賞特別賞(死後)
  • 日本歌謡大賞特別賞(死後)
  • 日本有線大賞『ブランデーグラス』特別賞(1981年)
  • 石原裕次郎-写真集

    海とトランペット』(1958年斎藤耕一三笠書房

    石原裕次郎-ゲスト出演

  • 太陽の季節をめぐって(1957年・文化放送)
  • ひこばえショー<銀座の夜は生きている>(1957年・日本テレビ)
  • 七面鳥の贈り物(ナレーションとして1957年・文化放送)
  • ジェスチャー(1958年・NHK)
  • 私の秘密(1958年・NHK)
  • 歌謡ビッグ・パレード<結婚記念特集>(1960年・文化放送)
  • テイチク大行進(1963年・新宿厚生年金会館
  • 女性専科(1964年・東京放送)
  • ゴールデン歌まつり<石原裕次郎リサイタル>(1965年・フジテレビ)
  • 歌謡ビッグショー(1966年・東京放送)
  • スクープ!!<男・裕次郎再起す!>(1971年・テレビ東京)
  • 金曜スペシャル<男の世界>(1972年・テレビ東京)
  • ビックショー<あの青春の詩―そして今も―>(1975年・NHK)
  • 太陽は今も輝く!(1975年・テレビ朝日)
  • 徹子の部屋(1977年・テレビ朝日)
  • 水曜スペシャル<~この素晴しき仲間たち~>(1977年・テレビ朝日)
  • 人に歴史あり(1978年・テレビ東京)
  • ビックショー<男ひとり、気ままな夜>(1978年・NHK)
  • 北帰行・小樽(1978年・NHK)
  • 水曜スペシャル<石原裕次郎25周年記念>(1979年・テレビ朝日)
  • スター千一夜(1979年・フジテレビ)
  • 石原裕次郎のすべて(1982年・テレビ朝日)
  • 石原裕次郎スペシャル(1985年・テレビ朝日)
  • ザ・ベストテン(1987年・東京放送/死後)
  • 石原裕次郎-レギュラー番組

    2009年6月12日 (金)

    石原裕次郎-出演ドラマ(ラジオ)

  • 海峡を越えてきた男(1957年、ニッポン放送
  • 石原裕次郎-出演ドラマ(テレビ)

    石原裕次郎-出演映画

    (1966年)

    (1967年)

    (1968年)

    (1969年)

    石原裕次郎-系譜

    石原家
    石原家の先祖について佐野眞一の著書『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』28-30頁によると、石原家はの2代前の石原安太夫の時代に絶家となった(理由は不明)が、服部家から服部信義の二男の信直が石原家に入り家を再興したという。慎太郎の父・潔は信直の三男である。佐野との対談の中で慎太郎は「うちの本家はそもそも石原ではなく服部なんです。…(中略)…先祖は武田残党でそれが松山に流れて服部姓を名乗った。…(中略)…歴代服部勘助を名乗った服部本家の血筋をひいている親父の親父が石原家に入ってそれ以来石原姓を名乗った」と述べている。潔は警察官だった父・信直の人事異動に伴って愛媛県各地を転々とし成長したという。
    小泉又次郎━━芳江
            ┃
            ┣━━━━━┳小泉純一郎━━┳小泉孝太郎
            ┃     ┃       ┃
           小泉純也   ┗小泉正也   ┗小泉進次郎
                    ┃   
                    ┃
    ┏石田重蔵━━石田吉之輔━━━美枝子
    ┃
    ┃
    ┗石田光治━━典子
           ┃
           ┣━━━━━━┳石原伸晃
           ┃      ┃
    石原潔━┳石原慎太郎    ┣石原良純
        ┃         ┃
        ┃         ┣石原宏高
        ┃         ┃
        ┃         ┗石原延啓
        ┃
        ┗石原裕次郎
            ┃
                まき子
    

    石原裕次郎-家族・親族

    2009年6月10日 (水)

    石原裕次郎-主な代表映画

    映画配給代表20作品(年代順・日活調べ)

    • 1957年:「嵐を呼ぶ男」-3.4億円
    • 1958年:「陽のあたる坂道」-4.0億円
    • 1958年:「明日は明日の風が吹く」-3.2億円
    • 1958年:「風速40米」-3.1億円
    • 1958年:「赤い波止場」-2.7億円
    • 1958年:「嵐の中を突っ走れ」-2.8億円
    • 1958年:「紅の翼」-3.6億円
    • 1959年:「若い川の流れ」-2.7億円
    • 1959年:「世界を賭ける恋」-2.7億円
    • 1960年:「天下を取る」-3.2億円
    • 1960年:「喧嘩太郎」-2.7億円
    • 1960年:「闘牛に賭ける男」-2.9億円
    • 1961年:「あいつと私」-4.0億円
    • 1961年:「堂々たる人生」-2.9億円
    • 1961年:「アラブの嵐」-2.8億円
    • 1962年:「銀座の恋の物語」-3.0億円
    • 1962年:「花と竜」-3.6億円
    • 1964年:「赤いハンカチ」-2.8億円
    • 1968年:「黒部の太陽」-7.9億円(観客動員734万人、興行収入16億円)
    • 1970年:「富士山頂」-2.8億円
    • 上記のほかにもすべての映画をあわせると、現在の物価で換算すると約1兆円にもなるという。

    石原裕次郎-怪我・病気の遍歴

    彼は怪我や病気と多く闘っていた。そこで年譜にしてまとめる(1956年以降)。

    • 1956年:この頃まで、酒とたばこと女に溺れる無職の日々を送る(高校生の頃に黄疸が出る)。
    • 1957年:自由が丘で無免許運転し右足打撲(もう一つは映画ロケ中にデッキチェアーに手を挟み右手薬指負傷)。
    • 1961年:スキー場でスキーヤーと衝突し右足首粉砕複雑骨折(後に右太股腫性膿瘍の手術で入院)。
    • 1964年:ハワイでヨット乗船中に右瞼を11針縫う。
    • 1965年:ヨット乗船中に腹痛のため大会を途中断念。
    • 1967年:右手親指骨折及び左足打撲で入院。
    • 1968年:右足打撲で全治1ヶ月入院。
    • 1971年:心労と胸部疾患(後に急性肺炎肺結核)のため映画宣伝中に入院。
    • 1974年:階段から転倒し左肩打撲(後に左鎖骨骨折)
    • 1978年:舌下潰瘍舌ガン)で入院し悪性と診断される(1983年再発)。
    • 1979年:舌下白板症と診断され術後部に潰瘍ができ再び手術。
    • 1981年:背中と胸に激痛が走り椎間板ヘルニアと疑われる。そしてついに生還率3%の解離性大動脈瘤と診断(後に左耳が難聴となる)→退院後首や腰に痛みが出るもお炊き上げで回復するが発熱。
    • 1984年:肝臓ガンと発覚し、倦怠感・腰痛の末原因不明の発熱にいたる(前の定期健診で肝細胞ガンと診断される)。
    • 1986年:慶應義塾大学病院に緊急入院。肝内胆管炎の為、療養先で静養。
    • 1987年:慶應義塾大学病院に入院、退院した(カテーテル治療)ものの容態悪化(高熱)、ついには幻覚症状を発する。そして肝細胞癌でこの世を去る。父と同じ52歳であった。

    石原裕次郎-死後の活躍

    死後にもテレビドラマや映画、楽曲は高い人気を誇り、また兄の慎太郎によるベストセラーである『』をはじめとする関連図書も多く出版されている。近年もジョイサウンドダイドードリンコCMにデジタル合成で出演した事があり、話題を呼んだ。

    なお、2005年頃より通信カラオケシステムDAMの機種改良に伴い、同機種で配信する裕次郎の代表曲の多くに裕次郎の映画の背景映像等を流用したものが使用されている。代表例が石碑である「狂った果実・恋の街札幌・そして銀座の恋の物語」である。銀座の恋の物語の石碑は銀座の老舗バールパン」のマスターだった高崎武の呼びかけで、銀座通連合会やテイチクなどが中心となり1990年7月に建立。黒御影石で高さ90センチ、幅1メートル70センチ。碑の両側にはカップルが座れるスペースがあり、大高ひさを直筆の碑文となっている。

    2009年6月 9日 (火)

    石原裕次郎-死去

    再び慶應義塾大学病院へ入院し一時帰宅が許されたものの本人が拒否、治療も空しく、1987年7月17日金曜日16時26分に入院先の慶應義塾大学病院にて肝細胞癌で死去した。52歳没。実は幼少時代から肝臓は悪かったといわれている。

    なお死去当日のミュージックステーションテレビ朝日)は19:30から90分の緊急追悼特番を組み故人を偲んだ(この対応はきわめて異例であった)。また、フジテレビジョンは21時00分からの金曜エンタテイメントシリーズ枠で『紅の翼』(日活映画)を追悼番組として急遽放送した。

    7月19日に関係者による密葬が行われ、8月11日青山葬儀所で石原プロ・テイチク合同葬が行われた。その後海洋葬として海に散骨した。理由は慎太郎が湘南の海が好きだった裕次郎の遺骨を散骨したいと願い出たからである。その間の1990年に映画の殿堂入りを果たしている。

    石原が亡くなった日、東京は梅雨明け宣言がされたばかりであったが、その翌日から葬儀・告別式が終わるまでは戻り梅雨に見舞われ、東京の梅雨明け宣言が取り消しになった。なお、裕次郎が亡くなった1987年、自宅に強盗が入ったことがある。また、2004年には彼の墓が何者かにずらされていたこともある。

    戒名は陽光院天真寛裕大居士。墓は神奈川県横浜市鶴見区にある總持寺に立てられている。墓碑には夫人が彼に対するイメージを詠った詩が刻印されている。

    「美しき者に微笑を、淋しき者に優しさを、逞しき者に更に力を、全ての友に思い出を、愛する者に永遠を。心の夢醒める事無く。」

    石原裕次郎-闘病の中での活躍

    彼の変革は「恋の町札幌」が発売された1972年に始まる。編曲者の(小谷充)は今までのムード歌謡から一変してリズミカルな演奏をしながら石原裕次郎が歌ってレコードがヒットしたことから、以後他の作詞者、作曲者、編曲者、スタッフそして共演者が亡くなるまで徐々にポップス路線に切り替えている工夫が伺える。また俳優としての仕事において同年には日本テレビ太陽にほえろ!』(東宝制作)に出演。

    これを期に映画を離れ、本人及び石原プロはテレビドラマに足場を移す。名実ともに“ボス”であった。その後、同じく日本テレビ「大都会」シリーズを制作し、事実上続編のテレビ朝日西部警察』が大ヒットを飛ばすが、その最中の1978年舌癌により入院した。なお本人には「舌白板症」と伝えられた。1980年には成城の自宅において、古墳時代の遺跡、土器が発見されたこともある。

    以降も俳優や歌手としての活動を続けたものの、1981年解離性大動脈瘤で入院し、担当医も「危険な状態」と記者会見で述べるなど重篤な症状だったが、手術によって奇跡の復活を果たす。手術成功のあと、慶應義塾大学病院の屋上から、まき子夫人、渡哲也と共に手を振るシーンがワイドショーで中継され、お茶の間に感動を与えた。この時の担当医の一人が、後に宇宙飛行士となる向井千秋である。この件を巡っては異常な報道合戦が繰り広げられたのみならず、見舞い客は12000人、手紙5000通、花束2000束、千羽鶴1000束、さらには彼の車のボディーにも励ましのメッセージを書く人もあった。またこの頃、アニメ映画『わが青春のアルカディア』で初代ハーロックの役で声優デビューしている。その出演時間が約5分間であったにも関わらず出演料が1000万円以上であったため話題となる。なお、大動脈瘤を患って以降は左の耳に難聴を来たしていたが、歌や俳優の仕事に大きな影響はなかった。このあたりからポップス路線に完全に切り替わった。

    その後原発性肝臓癌に侵されるが、本人には告知されなかったために俳優および歌手活動を続けた。癌が見つかった時に兄の慎太郎は「本人に癌であることを告知すべきだ」と主張したが、石原プロモーションの大番頭小林正彦専務は「度重なる大病との闘いであの人(裕次郎)はもうへとへとになっている。そこでもし今回の病の正体を告げたら自ら命を絶ちかねない」と反論、それを慎太郎も受け入れて告知しないことに決めたという。また石原まき子も彼の熱意に答えて病気と悟られないように演技をしていたという。

    1986年の『太陽にほえろ』の最終回にて「1シーンだけ自分の言葉で語らせてほしい。」と言う彼のリクエストにより、10分間にわたり命の大切さを語っている場面がある。

    闘病さなかの1987年に発表した『北の旅人』はオリコン1位を獲得した。当時52歳7か月であった裕次郎は、2007年小田和正が『こころ』でその記録を更新するまで、歌手として最年長オリコン1位獲得者となっていた。このレコーディングには酸素マスクをしながらの録音を2月中に2日間行った。『我が人生に悔いなし、俺の人生』も同様である。

    『我が人生に悔いなし、俺の人生』は裕次郎が「人生の歌を歌いたい」と作詞家のなかにし礼に直接リクエストして出来た曲であるが、なかにしはこのリクエストを聞いた瞬間に「死の匂いをかいだ」と後に語っている。

    なお、『北の旅人、想い出はアカシア』は療養のために滞在していたハワイでレコーディングされたが、裕次郎は絶え間ない微熱とたびたび大量の鼻血を出すような体調の中でレコーディングをしていたという。そのため、作曲家の弦哲也は見かねてハワイに飛び立ち気遣うようにしたという。裕次郎は最後のレコーディング後、テレビ朝日ミュージックステーション』にてハワイからの衛星生中継に登場し、近況報告を行い「BEYOND THE REEF」を現地から熱唱した。しかし、これが最後のテレビ生出演となった。ハワイでの療養中にも体調の悪化が見られた裕次郎は帰国を嫌っていたが宝酒造会長大宮隆の進言により帰国を容認した。

    石原裕次郎- 趣味

    なおこの頃も兄の慎太郎とともに学生時代から続けていたヨットレースを続けていた。ヨットにかける情熱は俳優活動よりも強かったと言われ、初の太平洋単独横断を行った堀江謙一の実話をモデルとした『太平洋ひとりぼっち』に主演した(この作品が石原プロモーション設立後の最初の作品である)。

    また映画の撮影やヨット活動のために度々訪れていたハワイが一番好きな場所であり、静養のためにハワイに別荘を所有していた。現在、正月をハワイで過ごす芸能人が多いが、そのハシリとなった人物である。

    他にも、当時日本では力道山三橋美智也と裕次郎の3人しか個人で所有していなかったと言われるメルセデス・ベンツ 300SLを所有していた他、キャディラックなど複数の高級車を所有するほどのカーマニアであった。

    実はキャンピングカー(撮影用・特製車両)を所持している。ヨットをイメージしており内部は彼自身がデザイン(海とヨットをイメージし、白いボディーには赤と青のラインが描かれている)と設計(船体にある丸窓やキャプテンシート)を手掛けたという。3500万円で購入したが、その内の3000万円を内装などにかけたといわれる。

    メルセデス・ベンツ 300SL

    石原裕次郎-交友関係

    交友関係が広いことでも有名で、落語家林家三平とは家族ぐるみの付き合い(後に三平一家と石原軍団との付き合いに発展して、裕次郎・三平が共に亡くなった現在も深い関係は続いている。司葉子、(同様な例に映画でジャニーズと共演したことをきっかけとして親密となっているジャニーズ事務所も挙げられる)歌手美空ひばりや、俳優勝新太郎とは義兄弟の契りをかわしていたと言われる(裕次郎の告別式の際には勝が弔辞(引用:「生きている時も死んでいる時も思いやりがあったが、生きていながら、死んでいるようなやつが多い中で、死んで、また生き返ったこのすごさ。頭が下がる。そんなすごい男から「兄弟」と呼ばれて、オレも幸せだった。ありがとう。どうせどっかで会うんだから…。(勝は10年後にこの世を去る。)」)を読んでいる。高倉健は葬儀には参列せず静かに見守るだけであった)。また安藤昇横井事件安藤組と揉めて歌謡ショーの興行の禁止通告されたことがある。)とは犬猿の仲である。

    交友の広さはスポーツ界にもおよび、栃錦若乃花力道山や往年の読売ジャイアンツクリーンナップ2人と親交が深く、長嶋茂雄を「しげ」(ベースボールマガジンで対談経験も持つ)、王貞治を「さだはる」と呼んでいた。特に長嶋との親交は深く、1962年には夫人とともにアメリカに年始旅行にも行っていた。他に池田勇人青木功エルビス・プレスリー岡本太郎とも交遊している。

    2009年6月 8日 (月)

    石原裕次郎-大スター

    『太陽の季節』の映画化に際して、日活に原作使用を依頼された兄は弟の主演を条件に出していた(日活側も「彼をスターにしたい」という条件で出していた。)が、すでに主演が長門に決まっていたために、翌1957年に映画化された『狂った果実』に、『太陽の季節』以降人気が高くなっていた裕次郎が主演した。『狂った果実』はその衝撃的な内容と裕次郎の演技が話題を呼び、裕次郎の歌と共に大ヒットし、この作品以降裕次郎の人気は決定的なものとなった。多忙のため1957年に大学を中退している。母は「仕事をしたい気持ちは分かるが、大学を出るまでは学業に専念せよ」と祈念している。(余談だが台詞のない映画もある。)

    なおこの年に裕次郎はテイチクと専属契約し、若者の“太陽”であり歌う映画スターともなる(1966年には東芝レコードに移籍の可能性があったとされる)。意外にも副業にも手を出していて四谷でステーキハウス「フランクス」を経営していたことがある。彼はあがり症だった為、車に乗ったとき自分の曲を音楽関係者が歌っているデモテープを聞き、彼なりの独特の歌唱方法を身に付ける。当日のうちに曲と詞を覚え、レコーディングスタジオをについたときには水の江の進言によりレコーディングの時は必ずビールを飲む。レコーディングの際ヘッドホンを生涯一度も付けなかった。またレコーディングは一回で成功したとも言われ、その後はすぐに忘れてしまうという。再度同じ曲に試みる場合は楽譜(詞入り)があれば思い出せるという。吹込みでは数多くのバンドのセッションをレコーディングでこなしてきた。彼はペン字も達筆(手紙において多い)、英語も読み書きが出来たそう(映画・曲で随時流暢なアメリカ英語を披露している)である。

    これ以降立て続けに主演映画が(代表作:「嵐を呼ぶ男」)ヒット(台本ネタが3行だったこともある。)し、ブームが起こる。庶民性が大衆に支持されたからである。客が殺到して、草履や羽織まで落ちていたという逸話もある。1959年には成城に豪邸を完成させ話題となった。北原と米国旅行にいき、人気が絶頂を迎えた1960年に日活の堀久作社長の許諾を得て女優の北原三枝と結婚(看病にも来るぐらい仲がよかった)<400人が出席・250人の報道陣>(取材を受けたマスコミよりも、宣伝部長とは彼が生前『ちょっと来ないか。飲もう』という電話をかけるぐらい仲がよかった。)、当時映画スター同士の結婚はタブーであり、また裕次郎はデビューする前から北原(女優業を引退とあるがあれは完全な間違いである。少しではあるがドラマや映画などに出演している。)のファンで、いくつかの映画で共演もしていた。結婚後の記者会見で「独身最後の夜だと思って、ハシゴ酒をあおり、5:30に帰ってきた。」というエピソードがある。(ただし彼の好きなタイプは髪の毛の長い女性だった)彼女のために英語にカナ(ルビ)で発音を書き実際に発音をし苦労をした話が残されている。彼女いわく、「家族は一番、仕事が二番」と評価している。1963年には株式会社石原プロモーション設立と順風満帆の活動を続けた(設立の理由は赤木圭一郎の急死で彼はプロダクションの設立を計画したことによる)。また、『銀座の恋の物語』(1961年)などヒット曲を連発したほか、海外作品『素晴らしきヒコーキ野郎』へ出演するなど幅広い活動を行った。1968年 には三船プロとの合作で『黒部の太陽』を制作し大ヒットした。また芸能人所得番付が5000万円(当時)→8000万円(当時)と別格であった。

    沖縄県出身の男性は「さっそうと町を歩く米兵より、彼の歩き方がいい。彼を見ると勇気がわいた。歩き方をまねて、肩を揺すりながら映画館から町に繰り出した。心の底までしびれるようなときめきを思いだすと、胸を張って歩ける」と彼の生き様を生き生きと語っている。

    石原裕次郎-デビュー

    その後慶應義塾大学法学部政治学科に進学したが、俳優になるために東宝大映日活のオーディションを受けるも全て不合格。しかし1956年に、映画プロデューサーの水の江瀧子(『彼の姿、形、言動をすべて真似してください』と長門裕之にアドバイスした。)と兄の推薦もあり、兄の芥川賞受賞作である日活作品『太陽の季節』の映画版で(太陽族)つまり学生言葉若者言葉湘南弁)とヨット(風俗)の指導として駆り出されたが水の江の進言によりチョイ役(台詞としては多少不明瞭だった部分を差し引いても低い声が客席全体に聞こえてくる感じである。つまり台詞の抑揚があって説得力があるという意図がある。)としてデビューした(主演は長門裕之と南田洋子)。

    最初の頃は満面の笑みで役者に向っていったが、この頃から裕次郎は遅刻が目立ったために、世田谷区の水の江の自宅に住むようになる。デビューして与えられた仕事は髪型モデルである。カメラマン伊佐山三郎をして、「彼はとんでもない大物になる。阪妻の再来だ。」と言わしめたことがある。裏表がない彼はこのことが大スターのきっかけかもしれない。日活仲間の会は以前に東映から映画作りをしたいと言い出した。それでも彼は「その提示額(映画制作費)じゃ、映画はできないよ」と強攻策に出た。それで長門はアルミの灰皿をぶつけて悔しさを露にして以降口を利かなかったが、しばらくたつと全部記憶を忘れてしまっているおおらかな人でもあった。浅丘ルリ子は「恋人役をやらせたら一番」と称す。

    ちなみに劇中での結婚シーンがないがないのは「映画を見た人に夢を与えるため」である日活の方針だったといわれている。

    石原裕次郎- 生い立ち

    海運会社・山下汽船(現:商船三井)に勤める父・石原潔 母・石原光子(彼いわく「田中絹代を美人にした人」と当時は普通に言えた時代があったといわれる)の次男として生まれる。現東京都知事の石原慎太郎は実兄。父の転勤により、兵庫県神戸市須磨区北海道小樽市神奈川県逗子市、と港町に育つ。稲穂国民学校時代ではアカシアを好み、逗子中学時代からバスケットボールに熱中し、将来はオリンピック出場を夢見るスポーツ少年だった。また近所と野球チームを結成し、レフトとして活躍したことがある。少年時代、勉強をしないで飛行機の模型を作るのが夢中になり、潔は腹を立てて、模型を全て焼いてしまった。それを見た直後の裕次郎は「死にたいぐらい悔しかった」との事。しかし大人になってみるとその悔しさが全くなくなってしまっていた。それ以降彼の才能(絵画彫刻写真)が花開いていく一片かもしれない。

    慶應義塾高等学校を目指すが受験に失敗し、当時慶應高校の予備校的な存在だった慶應義塾農業高等学校に籍を置くが、悪友たちにそそのかされ酒と女とケンカ三昧の日々に入る。もともとは海と模型飛行機作りが趣味でこの頃はかなり裕福な生活を送っていたようで、裕次郎16歳、兄の慎太郎が18歳の時に父より当時の日本では珍しかったヨットを与えられるほどであった。これをきっかけに、裕次郎はヨットに情熱を傾けるようになった。父の影響と海への憧れから将来は世界を股に駆けるような船乗りになることを希望していた。

    1951年に慶應義塾高等学校に入学し再びバスケットボールに熱中するが、左足膝に大怪我をしたため選手生活を断念せざるをえなくなった。17歳の頃、脳溢血で後遺症の父親の突然の死(彼が日本酒を飲みながらあいさつをしにいったが、死と同時に父を抱き上げて体をゆすりながら優しい顔をしていたエピソードがある。)により性格がぐれ、再び酒と女、そして喧嘩と麻雀三昧といった放蕩の日々に入る。しかし一家の主を失った石原家は困窮に陥っており、1955年の兄慎太郎の芥川賞受賞がなければ一家は裕次郎の為に破産していただろうと後に慎太郎は語っている。

    時代は飛ぶが母の死の直前には「モダンだね」と言ったといわれる。

    「赤い波止場」のポスター

    石原裕次郎

    石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年12月28日 - 1987年7月17日)は、日本俳優歌手石原軍団初代総帥、石原プロモーション創始者(元代表取締役社長兼会長)。永遠の大スター日本人が最も愛した男)と称されることがある。現在のイケメンの元祖でもある。裕次郎カットやポケットに手を突っ込みながら肩をいからせて歩く姿は誰もが真似をしたといわれている。サングラスを掛け、魅力的な容姿と、破天荒ながら包容力にあふれる心遣いで日本中の老若男女があこがれた。担当マネージャーは関町進

    2009年6月 6日 (土)

    GOLDEN☆BEST 内山田洋とクール・ファイブ-収録曲

    1. そして、神戸
    2. 長崎は今日も雨だった
    3. 愛の旅路を
    4. 恋さぐり夢さぐり
    5. 愛のいたずら
    6. 恋は終わったの
    7. この愛に生きて
    8. 噂の女
    9. すべてを愛して
    10. 逢わずに愛して
      • 作詞: 川内康範、作曲: 彩木雅夫 、編曲: 森岡賢一郎
    11. 北ホテル
      • 作詞: 夢野めぐる、作曲: 猪俣公章、編曲: 小杉仁三
    12. 港の別れ唄
    13. 東京砂漠
    14. 気まぐれ雨
      • 作詞: 斎藤保 、作曲: 吉田佐、編曲: 森岡賢一郎
    15. 中の島ブルース
    16. 思い切り橋
    17. 西海ブルース
      • 作詞: 永田貴子、作曲: 尾形よしやす、編曲: 森岡賢一郎
    18. さようならの彼方へ
    19. 恋唄
    20. Last Song

    メンバー

    GOLDEN☆BEST 内山田洋とクール・ファイブ- 解説

    レコード会社から発売されている“ゴールデン☆ベスト”シリーズの中の1枚。

    レコード・デビュー曲「長崎は今日も雨だった」をはじめ、「東京砂漠」「そして、神戸」「中の島ブルース」など、ご当地ソングNHK紅白歌合戦で歌われた楽曲が多数収録されている。本ベスト・アルバムの発売から約1年後、グループのリーダーで作曲もこなした内山田洋が亡くなった(2006年11月3日没)。

    GOLDEN☆BEST 内山田洋とクール・ファイブ

    GOLDEN☆BEST 内山田洋とクール・ファイブ』(ゴールデン☆ベスト うちやまだひろしとクール・ファイブ)は、コーラス・グループ、内山田洋とクール・ファイブベスト・アルバム。2005年10月26日発売。発売元はBMG JAPAN。規格品番:BVCK-38109。

    GOLDEN☆BEST 内山田洋とクール・ファイブ
    内山田洋とクール・ファイブベスト・アルバム
    リリース2005年10月26日
    ジャンルJ-POP
    時間75分
    レーベルBMG JAPAN
    内山田洋とクール・ファイブ 年表
    内山田洋とクール・ファイブ コンプリート
    1999年
    GOLDEN☆BEST 内山田洋とクール・ファイブ
    2005年
    ありがとう、さようなら・内山田洋さん
    2006年

    内山田洋とクール・ファイブ 基本情報

    出身地 日本
    ジャンル歌謡曲ムード歌謡
    活動期間1967年-
    事務所有限会社前川企画他
    メンバー
    前川清(ボーカル)
    宮本悦朗(ピアノ・キーボード)
    小林正樹(ベース)
    大沢允
    西田涼馬
    山上哲也
    旧メンバー
    内山田洋(ギター)
    宮内タカユキ(ボーカル)
    岩城茂美(サックス・フルート)
    森本繁(ドラム)
    帆足新一(付き人)

    内山田洋とクール・ファイブ- ディスコグラフィー

    シングル

    1. 長崎は今日も雨だった(1969年2月1日) 作詞 永田貴子/作曲 彩木雅夫
      クールファイブのシングルで最高のセールスを記録。
    2. わかれ雨(1969年7月5日)
    3. 逢わずに愛して(1969年12月5日) 作詞 川内康範/作曲 彩木雅夫
      クールファイブのシングルで唯一のオリコン1位を獲得。
    4. 愛の旅路を(1970年4月5日) 作詞 山口あかり/作曲 藤本卓也
    5. 噂の女(1970年7月5日) 作詞 山口洋子/作曲 猪俣公章
    6. 愛のいたずら(1970年10月5日) 作詞 安井かずみ/作曲 彩木雅夫
    7. すべてを愛して(1971年1月10日)
    8. 女の意地(1971年2月25日)
    9. 女のくやしさ(1971年4月5日)
    10. 港の別れ唄(1971年7月25日) 作詞 有馬三恵子/作曲 内山田洋
    11. 悲恋(1971年11月25日)
    12. この愛に生きて(1972年3月15日) 作詞 阿久悠/作曲 彩木雅夫
    13. 恋唄(1972年7月25日) 作詞 阿久悠/作曲 鈴木邦彦
    14. そして、神戸(1972年11月25日) 作詞 千家和也/作曲 浜圭介
      神戸を代表するご当地ソングとして知られる。
    15. 男泣き(1973年2月25日) 作詞 千家和也/作曲 猪俣公章
    16. 出船(1973年5月25日) 作詞 千家和也/作曲 浜圭介
    17. 海鳥の鳴く日に(1973年9月15日)
    18. 心がわり(1973年12月5日)
    19. 雨のしのび逢い(1974年5月15日)
    20. 晩夏(1974年8月15日)
    21. 海鳴り(1974年9月15日) 作詞 千家和也/作曲 劉家昌
    22. うわさ(1975年2月5日)
    23. 北ホテル(1975年4月25日)
    24. 中の島ブルース(1975年7月25日) 作詞 斎藤保/作曲 吉田佐
    25. 二人の御堂筋(1975年12月5日)
    26. 気まぐれ雨(1976年2月5日)
    27. 東京砂漠(1976年5月10日) 作詞 吉田旺/作曲 内山田洋
      1980年代前半から2000年代前半までダイア建設のCMソングに起用されていた事で、一般大衆にも『ダイア建設=東京砂漠=前川清=クールファイブ』でおなじみであり、曲の人気と共にダイア建設の知名度向上にも貢献していた。
    28. 女の河(1976年10月5日)
    29. 西海ブルース(1977年2月5日) 作詞 永田貴子/作曲 尾形よしやす
    30. 二人の海峡(1977年5月25日)
    31. 思い切り橋(1977年8月25日) 作詞 山田孝雄/作曲 浜圭介
    32. 港の忘れ草(1977年12月5日)
    33. 愛の扉(1978年3月5日)
    34. さようならの彼方へ(1978年5月25日) 作詞 千家和也/作曲 筒美京平
    35. 昔があるから(1978年12月20日)
    36. あきらめワルツ(1979年6月5日) 作詞 ゆいまさお/補作詞 千家和也/作曲 内山田洋
    37. Last Song(1980年3月21日)
    38. 魅惑・シェイプアップ(1980年9月25日) 作詞 伊藤アキラ奈良橋陽子/作曲 タケカワユキヒデ
      1980年、資生堂化粧品(主演:横須賀昌美)のCMソングに起用された。
    39. 女・こぬか雨(1981年) 作詞・作曲 たきのえいじ
    40. おんなの愛はブルース(1982年) 作詞 杉紀彦/作曲 彩木雅夫
    41. 恋さぐり夢さぐり(1984年8月21日) 作詞 嶺岸未来/作曲 ニール・セダカ
      米歌手ニール・セダカのヒット曲「きみこそすべて」の日本語版。

    以上のほか、前川の独立までに、全部で50枚以上のシングルをリリース。

    アルバム

    1. 長崎は今日も雨だった(1969年) - 30万枚以上のセールス
    2. 夜のバラード(1970年)
    3. クールファイブ 第2集(1970年)
    4. オン・ステージ(1970年)
    5. 第3集、4集、5集、6集、7集、8集、9集
    6. オン・ステージ・アンコール(1974年)
    7. GOLDEN☆BEST 内山田洋とクール・ファイブ(2005年)

    内山田洋とクール・ファイブ- NHK紅白歌合戦出場履歴

    出場回曲目備考
    第20回 1969年 長崎は今日も雨だった メンバー各々が楽器を演奏しながらの初出場
    第21回 1970年 噂の女
    第22回 1971年 港の別れ唄 前川清急病で紅組・藤圭子と他メンバーが熱唱した為正式な出場回数に含まれず
    第25回 1974年 海鳴り
    第26回 1975年 中の島ブルース
    第27回 1976年 東京砂漠
    第28回 1977年 思い切り橋
    第29回 1978年 さようならの彼方へ
    第30回 1979年 昔があるから
    第31回 1980年 魅惑・シェイプアップ 初出場以来2度目の楽器演奏しながらの登場
    第32回 1981年 女・こぬか雨
    第33回 1982年 噂の女 名曲紅白のため2回目の歌唱
    第57回 2006年 長崎は今日も雨だった 内山田洋を追悼する意味で、一夜限りの再結成。前川のサポートの形である為正式な出場回数に含まれず
    第58回 2007年 そして、神戸 前年のメンバーにお笑い芸人のムーディ勝山を加えて登場。同じ理由で正式な出場回数に含まれず
    第59回 2008年 東京砂漠 同じく正式な出場回数に含まれず

    計11回出場

    内山田洋とクール・ファイブ-略歴

    • 1967年9月 長崎市でグループ結成。キャバレー「銀馬車」の専属バンドとなる。
    • 1968年 前川がボーカルとして参加。自主制作した「西海ブルース」(1977年にメジャーリリース)などが地元民放ラジオや有線放送で評判となる。
    • 同年秋、「ロッテ歌のアルバム」、長崎にて公開録画。同番組で演奏を担当していた東京パンチョスのリーダーチャーリー石黒は、長崎放送の接待で立ち寄った長崎市内のキャバレーでグループの歌唱を聞き、その場で彼らに協力を申し出たと言われる。
    • 1969年2月 「長崎は今日も雨だった」でメジャーデビュー。当時のメンバーは内山田、岩城、小林、森本、宮本、前川。
    • 1969年12月 第11回日本レコード大賞新人賞受賞。第20回NHK紅白歌合戦に初出場。
    • 1987年 前川、メンバーから脱退。
    • 1992年 大幅なメンバー交替を行う。大沢允西田涼馬山上哲也が参加。
    • 1996年 宮本悦朗新進党公認で千葉7区から衆議院選挙に出馬。53,484票を獲得するが次点で落選。
    • 2006年11月3日 内山田、肺がんのため横浜市内の病院で死去。享年70。
    • 2006年12月31日上述の事から「第57回NHK紅白歌合戦」に前川のサポートで内山田を除く前川在籍時のメンバーが集まりクール・ファイブが一夜限り(前川談)の“再結成”を果たした。
      この紅白での再結成が好評だったことから、前川清&クール・ファイブ名義で往年のメンバー5人で新たに吹き込んだシングル「恋唄-2007-」が2007年7月1日に発売が決定、同年9月には北海道でコンサートツアーを行った。「恋唄-2007-」発売以後は「NHK歌謡コンサート」などのテレビ番組や前川と梅沢富美男のジョイント公演にゲスト出演したり…と積極的に活動している。なお「恋唄」が選ばれた理由は、G1制覇した前川清の愛馬がコイウタであることから「馬だけではなく、歌も知って欲しい」ということから。

    内山田洋とクール・ファイブ-メンバー(1968 - 1987)

    • 内山田洋(うちやまだひろし、1936年6月6日 - 2006年11月3日)、ギター担当
    • 前川清(まえかわきよし、1948年8月19日 - )、ボーカル担当
    • 宮本悦朗(みやもとえつろう、1948年1月15日 - )、ピアノ・キーボード担当
    • 小林正樹(こばやしまさき、1943年1月1日 - )、ベース担当
    • 岩城茂美(いわきしげみ、1943年1月5日 - )、サックス・フルート担当
    • 森本繁(もりもとしげる、1942年1月23日 - )、ドラム担当

    内山田洋とクール・ファイブ

    内山田洋とクール・ファイブ(うちやまだひろしと - )は、日本のヴォーカル・グループ。リーダーは内山田洋前川清をメイン・ヴォーカルに据え、1970年代の歌謡界で一世を風靡した。

    前川在籍時代のメンバーは全員九州出身で、リーダーの内山田をはじめ、薄い頭髪とメガネがトレードマークの宮本悦朗、厳つい顔立ちながら南州太郎のモノマネで笑わせた小林正樹、美男の岩城茂美森本繁と、個性豊かなメンバーが揃っていた。結成時はバンドであり、テレビでは自ら演奏することは少なかったものの、コンサートではそれぞれ楽器を持って演奏するコーナーが必ず存在していた。

    平成に入ってからは、「仮面ライダーBLACK RX」等の特撮テレビ映画主題歌で知られる宮内タカユキも在籍していた(現在は脱退)。

    Hiroshi Uchiyamada and Cool Five

    Hiroshi Uchiyamada and Cool Five
    Also known asKiyoshi Maekawa and Cool Five
    Cool Five
    OriginJapan
    Genre(s)Kayōkyoku, enka, adult contemporary, pop
    Years active1967–1990s
    2006–present
    Label(s)Victor Entertainment
    BMG Japan
    Members
    Kiyoshi Maekawa
    Etsuro Miyamoto
    Masaki Kobayashi
    Masashi Osawa
    Ryoma Nishida
    Tetsuya Yamagami
    Former members
    Hiroshi Uchiyamada
    Takayuki Miyauchi
    Shigemi Iwaki
    Shigeru Morimoto

    Hiroshi Uchiyamada and Cool Five-Discography

    Charting singles on the Japanese Oricon

    YearSingleChart positions
    JP
    1969 "Nagasaki wa Kyō mo Ame Datta (長崎は今日も雨だった?)" 2
    "Wakare Ame (わかれ雨?)" 32
    "Awazu ni Aishite (逢わずに愛して?)" 1
    1970 "Ai no Tabiji wo (愛の旅路を?)" 4
    "Uwasa no Onna (噂の女?)" 2
    "Ai no Itazura (愛のいたずら?)" 10
    1971 "Subete wo Aishite (すべてを愛して?)" 24
    "Onna no Iji (女の意地?)" 43
    "Onna no Kuyashisa (女のくやしさ?)" 26
    "Minato no Wakareuta (港の別れ唄?)" 11
    "Hiren (悲恋?)" 22
    1972 "Kono Ai ni Ikite (この愛に生きて?)" 7
    "Koiuta (恋唄?)" 14
    "Soshite, Kōbe (そして、神戸?)" 6
    1973 "Otokonaki (男泣き?)" 14
    "Shussen (出船?)" 15
    "Umidori no Naku Hi ni (海鳥の鳴く日に?)" 24
    "Kokorogawari (心がわり?)" 32
    1974 "Ame no Shinobiai (雨のしのび逢い?)" 41
    "Banka (晩夏?)" 64
    "Uminari (海鳴り?)" 45
    1975 "Uwasa (うわさ?)" 41
    "Kita Hotel (北ホテル Kita Hoteru?)" 31
    "Nakanoshima Blues (中の島ブルース Nakanoshima Brūsu?)" 9
    "Futari no Midousuji (二人の御堂筋?)" 44
    1976 "Kimagure Ame (気まぐれ雨?)" 40
    "Tokyo Sabaku (東京砂漠?)" 19
    "Onna no Kawa (女の河?)" 53
    1977 "Saikai Blues (西海ブルース Nakanoshima Brūsu?)" 20
    "Futari no Kaikyou (二人の海峡?)" 57
    "Omoikiri Bashi (思いきり橋?)" 45
    "Minato no Wasuregusa (港の忘れ草?)" 76
    1978 "Ai no Tobira (愛の扉?)" 91
    "Sayounara no Kanata e (さようならの彼方へ?)" 56
    "Mukashi ga Arukara (昔があるから?)" 91
    1979 "Akirame Waltz (あきらめワルツ Akirame Warutsu?)" 83
    1980 "Last Song" 87
    "Miwaku Shape Up (魅惑・シェイプアップ Miwaku Sheipu Appu?)" 93
    1984 "Koi Saguri Yume Saguri (恋さぐり 夢さぐり?)" 58

    • The group released over 50 singles until Kiyoshi Maekawa left the band in 1987, and those sales have been estimated more than 5.9 million copies.

    Hiroshi Uchiyamada and Cool Five-Band members

    1967-1987
    • Hiroshi Uchiyamada (内山田 洋 Uchiyamada Hiroshi)(birthname: Michio Uchiyamada (内山田 道生 Uchiyamada Michio;, June 6, 1936November 3, 2006) - guitars, vocals
    • Kiyoshi Maekawa (前川 清 Maekawa Kiyoshi)(August 19, 1948 –) - lead vocals
    • Masaki Kobayashi (小林 正樹 Kobayashi Masaki)(January 1, 1943 –) - bass guitar, vocals
    • Etsuro Miyamoto (宮本 悦朗 Miyamoto Etsurou)(January 15, 1948 –) - keyboards, piano, vocals
    • Shigemi Iwaki (岩城 茂美 Iwaki Shigemi)(January 5, 1943 –) - saxophone, flute, vocals
    • Shigeru Morimoto (森本 繁 Morimoto Shigeru)(January 23, 1942 –) - drums, vocals

    Hiroshi Uchiyamada and Cool Five

    Hiroshi Uchiyamada is redirected here. The article is written about the band led by a musician named Hiroshi Uchiyamada. For the imaginary person on the Japanese manga "Great Teacher Onizuka", see List of Great Teacher Onizuka characters.

    Hiroshi Uchiyamada and Cool Five (内山田洋とクール・ファイブ Uchiyamada Hiroshi to Kūru Faibu?) are a Japanese kayōkyoku group, formed by the late Hiroshi Uchiyamada (born Michio Uchiyamada, 1936-2006) in 1967 and fronted by the lead vocalist Kiyoshi Maekawa.

    In 1969, the group debuted with the 11th Japan Record Award-winning song "Nagasaki wa Kyou mo Ame datta". They enjoyed highly successful career mainly during the first half of 1970s, producing numerous hit singles including "Awazu ni Aishite", "Uwasa no Onna","Soshite, Kōbe", "Nakanoshima Blues" and "Tokyo Sabaku". They lost popularity after the leaving of a frontman in the late 1980s, and their career went into hiatus after the band lineup was radically altered around the 1990s.

    After a founder of the band died of lung cancer in 2006, the remainders including Maekawa reunited.

    Kiyoshi Maekawa

    Birth nameKiyoshi Maekawa (前川 清 Maekawa Kiyoshi?)
    BornAugust 19, 1948 (1948-08-19) (age 60)
    OriginSasebo, Nagasaki, Japan
    Genre(s)Kayōkyoku, enka, adult contemporary, contemporary folk, rock, pop
    Occupation(s)Singer, tarento
    Years active1967–present
    Label(s)Victor Entertainment
    BMG Japan
    Pony Canyon
    Gauss Entertainment/Tokuma Japan Communications
    Teichiku
    Associated actsHiroshi Uchiyamada and Cool Five
    Websitewww.maekiyo.com

    Kiyoshi Maekawa-Notable singles

    • "Hana no Toki, Ai no Toki (花の時 愛の時?)"(1987)
    • "Ai ga Hoshii (愛がほしい?)" (1988)
    • "Namida (?)" (1988)
    • "Koiuta (恋唄?)" (1989, remake of Cool Five hit) - #87
    • "Otoko to Onna no Kakera (男と女の破片?)" (1991) - #61
    • "Yume Ichibyou (夢一秒?)" (1992) - #71
    • "Wakareuta Demo Utatte (別れ曲でも唄って?)" (1992) - #78
    • "Koisuru Omise (恋するお店?)" (1994) - #95
    • "Kanashimi no Koisekai (悲しみの恋世界?)" (1994) - #69
    • "Shuchakueki Nagasaki (終着駅 長崎?)" (1996) - #96
    • "Dakishimete (抱きしめて?)" (1996) - #70
    • "Bara no Orgel (薔薇のオルゴール Bara no Orugōru?)" (1997) - #97
    • "Kōbe (神戸?)" (1998) - #93
    • "Hayariuta (流行歌?)" (2000) - #93
    • "Osaka (大阪?)" (2001) - #92
    • "Rinrin to (霖霖?)" (2001) - #88
    • "Himawari (ひまわり?)" (2002) - #13
    • "Yakan Hikou (夜間飛行?)" (2003) - #74
    • "Furusato no Hana no You ni (故郷の花のように?)" (2003) - #69
    • "Mado (?)" (2006) - #62

    Notes

    1. Chart positions provided by the Oricon, and sources are from the archives on its official site (not available before 1988).

    Kiyoshi Maekawa

    Kiyoshi Maekawa (前川 清 Maekawa Kiyoshi) (born August 19, 1948(1948-08-19)) is a Japanese singer and tarento.

    He is best known as the first lead vocalist of Hiroshi Uchiyamada and Cool Five, which was formed in 1967 and debuted in 1969 with the Japan Record Award-winning song "Nagasaki wa Kyō mo Ame Datta". As a frontman of the band, he spawned multiple hit singles such as "Awazu ni Aishite", "Uwasa no Onna","Soshite, Kōbe", "Nakanoshima Blues" and "Tokyo Sabaku" during the 1970s. In 1982, he released the first solo single "Yuki Ressha" composed and produced by Grammy-winning musician Ryuichi Sakamoto, and left the group five years later. Throughout his solo career, he released a sole top-20 hit "Himawari" in 2002, a ballad Masaharu Fukuyama contributed. 

    Aside from the recording career, Maekawa has also built up popularity as a TV star, appearing some television shows that comedians such as Kinichi Hagimoto and The Drifters hosted and aired around the latter half of 1970s and the 1980s.

    He is also known as a former spouse for singer Keiko Fuji, who later married to Teruzane Utada and had a daughter Hikaru.

    2009年6月 5日 (金)

    前川清 -外部リンク

    先代:
    山川豊
    (演歌・歌謡曲部門)
    松田聖子
    (ポップス・ロック部門最優秀ボーカル賞)
    日本レコード大賞
    最優秀歌唱賞受賞歌手
    1993年
    次代:
    川中美幸

    前川清 -主な出演番組

    前川清 -主な出演ドラマ

  • 時間ですよ・昭和元年TBS
  • 月曜ドラマランドキップくん」(フジテレビ
  • 月曜ミステリー劇場駅前タクシー湯けむり事件案内」(TBS
  • 前川清 -出演映画

    前川清 -NHK紅白歌合戦出場履歴

    出場回曲目備考
    第42回 1991年 そして、神戸 ソロとして初出場。
    第43回 1992年 男と女の破片
    第44回 1993年 別れ曲でも唄って
    第45回 1994年 恋するお店
    第46回 1995年 そして、神戸 同年1月の阪神・淡路大震災追悼の意味も込めて歌唱、瞬間最高視聴率を獲得。
    第47回 1996年 抱きしめて
    第48回 1997年 薔薇のオルゴール TOKIOマジックを披露。
    第49回 1998年 神戸 梅沢富美男女形を披露。
    第50回 1999年 東京砂漠
    第51回 2000年 長崎は今日も雨だった 細川たかし鳥羽一郎吉幾三山本譲二DA PUMPがバックコーラスを担当。
    第52回 2001年 大阪
    第53回 2002年 ひまわり RAG FAIRがバックコーラスを担当。
    第54回 2003年 東京砂漠
    第55回 2004年 そして、神戸 ゴスペラーズがバックコーラスを担当。その後ゴスペラーズが「ミモザ」を歌う前にはMCで「前川清がゴスペラーズに入って『ロクペラーズ』だ」とジョークを飛ばす。
    第56回 2005年 夜霧よ今夜も有難う(石原裕次郎) 白組司会の山本耕史が前川清を「山川」と間違え、慌てて訂正。
    第57回 2006年 長崎は今日も雨だった この年亡くなった内山田洋を追悼する意味で、クール・ファイブが一夜限りの再結成。
    第58回 2007年 そして、神戸 クール・ファイブ、ムーディ勝山と共演。
    第59回 2008年 東京砂漠 クール・ファイブと共演。

    計17回出場中

    2009年6月 4日 (木)

    前川清 -主なヒット曲

  • 長崎は今日も雨だった(1969.2.5発売)
  • 逢わずに愛して(1969.12.5発売)
  • 愛の旅路を(1970.4.5発売)
  • 噂の女(1970.7.5発売)
  • 愛のいたずら(1970.10.5発売)
  • 港の別れ唄(1971.7.25発売)
  • この愛に生きて(1972.3.15発売)
  • 恋唄(1972.7.25発売)
  • そして、神戸(1972.11.15発売)
  • 北ホテル(1975.4.25発売)
  • 中の島ブルース(1975.8.5発売)
  • 東京砂漠(1976.5.10発売)
  • 西海ブルース(1977.2.5発売)
  • さようならの彼方へ(1978.5.25発売)
  • 昔があるから(1978.12.10発売)
  • Last Song(1980.3.21発売)
  • 魅惑・シェイプアップ(1980.9.25発売)
  • 雪列車(1982.10.21発売) ソロ第一作
  • 恋さぐり夢さぐり(1984.8.21発売)
  • 花の時・愛の時(1987.2.21発売) クールファイブ独立第一弾
  • 涙(1988.2.21発売) 中島みゆき作詞・作曲。中島も同年発売のアルバム『グッバイガール』でセルフカバーしている。
  • 愛がほしい(1988.10.21発売)
  • 男と女の破片(1991.7.21発売)
  • 夢一秒(1992.6.19発売)
  • 別れ曲でも唄って(1993.5.21発売)
  • 終着駅長崎(1995.7.21発売)
  • 抱きしめて(1996.4.24発売)
  • 明日に(1999.7.23発売)
  • ひまわり(2002.6.5発売) 福山雅治作詞・作曲。
  • 前川清 -クリスチャン

    敬虔なクリスチャンで、洗礼名「セバスチャン」を持っている。進学した高校もカトリック系。特に隠している訳ではなく、コンサートなどで時折話のネタに使うことがある。

    自宅の近所にある教会のパーティに「同じクリスチャンだから」とノーギャラで出演を快諾したこともある。また母親は前川の離婚・再婚問題で時の教皇パウロ6世に直談判したことがある。

    前川清 -競走馬オーナーとして

    前川清はまた、競馬好きであり、自身も競走馬オーナーとしても知られており、勝負服は、緑,桃縦縞,緑袖である。中央競馬JRA)の所有馬は以下の通り

    前川清 -歌手として

    1968年、高校中退後セールスマンなどを経て、佐世保のキャバレーで歌っていたところを内山田洋に見出され、「内山田洋とクール・ファイブ」にリード・ヴォーカリストとして参加。

    1969年2月5日、『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビュー。同年の紅白歌合戦第20回NHK紅白歌合戦)に初出場。「噂の女」(1970年)、「そして、神戸」(1972年)、「中の島ブルース」(1975年)、「東京砂漠」(1976年)など、国民レベルのヒット・ナンバーを数多く世に残した。

    クール・ファイブの一員だった時代の初期は、常に澄まし顔で斜に構え、殆ど喋らないと言う冷たい二枚目キャラクターだった。だが1970年代半ばに萩本欽一フジテレビ欽ちゃんのドンとやってみよう!」のレギュラーに起用。二枚目キャラの裏側に隠れていた大ボケな個性を引き出し、お笑いの才能も広く認められるようになった。なお前川は後に、初期のクールキャラも「欽ドン!」時代の朴訥な大ボケキャラも「演技だった」と告白している。

    以降、歌手としてはもちろん「8時だョ!全員集合」「ドリフ大爆笑」や前述の「欽ドン!」といったバラエティ番組のコントでも活躍。「欽ドン!」では萩本欽一と“コント54号”を結成していた。現在でも梅沢富美男とのコンビでテレビ(NHKBSふるさと皆様劇場」)や舞台でコントを繰り広げることがある。

    1987年、クール・ファイブ脱退によりソロ活動を本格的に開始。大物歌謡シンガーとして、揺るぎない評価を獲得している。現在では珍しくなった直立不動の基本姿勢からなされる揺るぎのない発声と176cm(公式)という比較的長身、安定した節回しの底に潜む情熱的な表現力が持ち味。

    1971年藤圭子と結婚したが翌年に離婚している。一時期アン・ルイスとのロマンスも噂された。「欽ドン!」出演時(1970年代後半)、萩本欽一が「会わせたい人がいる」と前川を一人置いて舞台からいなくなった後に、何の前触れもなく前妻の藤が登場したことがある。それまでボケキャラ(演技)で客席を沸かせていた前川だったが、いきなり藤と二人きりにされたため、真顔に戻って絶句してしまった。

    若い時期は演歌歌謡曲だけではなく欧米のポップスロックも好きで、コンサート等でもよく歌っていた。また、当時のライブ盤に多数収録されている。ソロ活動では坂本龍一が作曲したソロデビュー曲「雪列車」や井上大輔が作曲した「フィクションのように」など、ポップス色を出した曲も歌うようになり、「花の時、愛の時」や「抱きしめて」などバラードの名曲も数多く歌っている。

    1997年ニッポン放送福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ」にゲスト出演した際、前年の紅白歌合戦で歌い大きな反響があった「抱きしめて」にリクエストが殺到、この時同郷(長崎出身)の福山に曲制作を依頼、2002年発売の「ひまわり」でコラボレーションが実現した。なお、このCDのジャケット写真も福山が撮影している。結果、この曲はヒットして、同年の紅白歌合戦でその曲を披露している。

    マイクを片手に、一本立ちで歌う姿が特徴的であるが、Mr.Children桜井和寿は、「一本立ちであれだけの表現力を持っているところは尊敬に値する」とラジオ番組で語っていた。後に、雑誌のアンケートでも「自分の書いた曲を歌ってほしい人」という質問に対し「前川清さん」と書いている。

    2007年3月11日NHKのど自慢チャンピオン大会でゲスト歌唱の際、司会の宮本隆治が「氷川きよしさんで『一剣』、前川清さんで『せめて今夜だけは』」と言うところを「前川清さんで『一剣』、氷川きよしさんで『せめて今夜だけは』」と言い間違えたことを逆手に取り、「せめて今夜だけは」を歌い終えると「氷川きよしでした!」と言って笑いをとった。この手のネタは2005年の紅白歌合戦でも司会の山本耕史が前川を「山川」と紹介しそうになった際にも見せている。

    自身の持ち馬であるコイウタ2007年ヴィクトリアマイルを優勝したこと及び、2006年紅白歌合戦にクール・ファイブとして出場したことが契機となり、クールファイブのメンバーと共に20年ぶりにレコーディングを行い、「前川清&クール・ファイブ」として新曲を出すこととなった。そのタイトルは『恋唄-2007-』である。以降、「NHK歌謡コンサート」などにも"前川清&クールファイブ"として度々出演し、ソロ活動と平行し、クール・ファイブとしての活動を再開している。

    2008年8月、60歳を前に小学3年生の頃から悩まされていたという変形性股関節症の手術を受けたことを明らかにした(8月5日に施術)。

    レコード会社はクール・ファイブを脱退以後、ポニーキャニオン(1987年~1996年)、BMGビクター(1996年~1999年)、ガウスエンタテインメント(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)(1999年~2002年)を経て、2002年からはテイチクエンタテインメントに所属。

    前川清 - 若き日

    1948年長崎県佐世保市出身。父は佐世保の米軍基地に船大工として勤務していたという。少年時代の前川清は野球が好きで、米軍基地で働く日本人職員の子弟を集めてチームを作っていたことがある。

    米軍の佐世保基地の兵舎が流れてきたジャズに衝撃を受け、中学、高校とジャズに熱中する。ジャズ好きが高じて歌手への夢を抱くようになる。

    前川清 ( 演歌歌手 )

    前川 清(まえかわ きよし、本名同じ、1948年8月19日 - )は演歌ムード歌謡歌手、バラード歌手である。長崎県佐世保市松山町出身。 長崎南山高等学校中退。長男は歌手の前川紘毅。 

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