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2010年4月の14件の記事

2010年4月27日 (火)

内山田洋とクール・ファイブ-ディスコグラフィー

シングル
長崎は今日も雨だった(1969年2月1日) 作詞 永田貴子/作曲 彩木雅夫
デビュー曲にして最高のセールスを記録。
わかれ雨(1969年7月5日) 作詞 鳥井実/作曲 彩木雅夫
逢わずに愛して(1969年12月5日) 作詞 川内康範/作曲 彩木雅夫
クールファイブのシングルで唯一のオリコン1位を獲得。
愛の旅路を(1970年4月5日) 作詞 山口あかり/作曲 藤本卓也
噂の女(1970年7月5日) 作詞 山口洋子/作曲 猪俣公章
愛のいたずら(1970年10月5日) 作詞 安井かずみ/作曲 彩木雅夫
すべてを愛して(1971年1月10日) 作詞 川内康範/作曲 鈴木淳
女の意地(1971年2月25日)
女のくやしさ(1971年4月5日) 作詞 鳥井みのる/作曲 猪俣公章
港の別れ唄(1971年7月25日) 作詞 有馬三恵子/作曲 内山田洋
悲恋(1971年11月25日) 作詞 川内康範/作曲 中村泰士
この愛に生きて(1972年3月15日) 作詞 阿久悠/作曲 彩木雅夫
恋唄(1972年7月25日) 作詞 阿久悠/作曲 鈴木邦彦
そして、神戸(1972年11月25日) 作詞 千家和也/作曲 浜圭介
神戸を代表するご当地ソングとして知られる。
男泣き(1973年2月25日) 作詞 千家和也/作曲 猪俣公章
出船(1973年5月25日) 作詞 千家和也/作曲 浜圭介
海鳥の鳴く日に(1973年9月15日) 作詞 有馬三恵子/作曲 森田公一
心がわり(1973年12月5日) 作詞 神坂薫/作曲 猪俣公章
雨のしのび逢い(1974年5月15日) 作詞 石坂まさを/作曲 鈴木邦彦
晩夏(1974年8月15日)
海鳴り(1974年9月15日) 作詞 千家和也/作曲 劉家昌
うわさ(1975年2月5日) 作詞 阿久悠/作曲 浜圭介
北ホテル(1975年4月25日) 作詞 夢野めぐる/作曲 猪俣公章
中の島ブルース(1975年7月25日) 作詞 斎藤保/作曲 吉田佐
秋庭豊とアローナイツのカバー
二人の御堂筋(1975年12月5日) 作詞 石原信一/作曲 中村泰士
気まぐれ雨(1976年2月5日) 作詞 斉藤保/作曲 吉田佐
東京砂漠(1976年5月10日) 作詞 吉田旺/作曲 内山田洋
1980年代前半から2000年代前半までダイア建設のCMソングに起用され人気を博した
女の河(1976年10月5日)
西海ブルース(1977年2月5日) 作詞 永田貴子/作曲 尾形よしやす
二人の海峡(1977年5月25日) 作詞 五木寛之/作曲 内山田洋
思い切り橋(1977年8月25日) 作詞 山田孝雄/作曲 浜圭介
港の忘れ草(1977年12月5日) 作詞 山田孝雄/作曲 浜圭介
愛の扉(1978年3月5日)
さようならの彼方へ(1978年5月25日) 作詞 千家和也/作曲 筒美京平
昔があるから(1978年12月20日) 作詞 杉紀彦/作曲 曽根幸明
あきらめワルツ(1979年6月5日) 作詞 ゆいまさお/補作詞 千家和也/作曲 内山田洋
Last Song(1980年3月21日) 作詞 伊達歩/作曲 都倉俊一
魅惑・シェイプアップ(1980年9月25日) 作詞 伊藤アキラ・奈良橋陽子/作曲 タケカワユキヒデ
1980年、資生堂化粧品(主演:横須賀昌美)のCMソングに起用された。
女・こぬか雨(1981年) 作詞・作曲 たきのえいじ
おんなの愛はブルース(1982年) 作詞 杉紀彦/作曲 彩木雅夫
恋さぐり夢さぐり(1984年8月21日) 作詞 嶺岸未来/作曲 ニール・セダカ
米歌手ニール・セダカのヒット曲「きみこそすべて」の日本語版。
以上のほか、前川の独立までに、全部で50枚以上のシングルをリリース。

アルバム
長崎は今日も雨だった(1969年) - 30万枚以上のセールス
夜のバラード(1970年)
クールファイブ 第2集(1970年)
オン・ステージ(1970年)
第3集、4集、5集、6集、7集、8集、9集
オン・ステージ・アンコール(1974年)
GOLDEN☆BEST 内山田洋とクール・ファイブ(2005年)

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内山田洋とクール・ファイブ-NHK紅白歌合戦出場履歴

1 第20回 1969年 長崎は今日も雨だった メンバー各々が楽器を演奏しながらの初出場
2 第21回 1970年 噂の女 
第22回 1971年 港の別れ唄 前川清急病で紅組・藤圭子と他メンバーが熱唱した為正式な出場回数に含まれず
3 第25回 1974年 海鳴り 
4 第26回 1975年 中の島ブルース 
5 第27回 1976年 東京砂漠 
6 第28回 1977年 思い切り橋 
7 第29回 1978年 さようならの彼方へ 
8 第30回 1979年 昔があるから 
9 第31回 1980年 魅惑・シェイプアップ 初出場以来2度目の楽器演奏しながらの登場
10 第32回 1981年 女・こぬか雨 
11 第33回 1982年 噂の女 名曲紅白のため2回目の歌唱
第57回 2006年 長崎は今日も雨だった 内山田洋を追悼する意味で、一夜限りの再結成。前川のサポートの形である為正式な出場回数に含まれず
第58回 2007年 そして、神戸 前年のメンバーにお笑い芸人のムーディ勝山を加えて登場。同じ理由で正式な出場回数に含まれず
第59回 2008年 東京砂漠 同じく正式な出場回数に含まれず

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内山田洋とクール・ファイブ

内山田洋とクール・ファイブ(うちやまだひろしと - )は、内山田洋率いる歌謡グループ。前川清をメイン・ヴォーカルに据え、昭和40~50年代の歌謡界で一世を風靡した。

オリジナルメンバー
内山田洋(うちやまだひろし、1936年6月6日 - 2006年11月3日)、ギター担当
前川清(まえかわきよし、1948年8月19日 - )、ボーカル担当
宮本悦朗(みやもとえつろう、1948年1月15日 - )、ピアノ・キーボード担当
小林正樹(こばやしまさき、1943年1月1日 - )、ベース担当
岩城茂美(いわきしげみ、1942年1月5日 - )、サックス・フルート担当
森本繁(もりもとしげる、1942年10月23日 - )、ドラム担当
オリジナルメンバーは全員九州出身で、リーダーの内山田以下、薄い頭髪とメガネがトレードマークの宮本悦朗、厳つい顔立ちながら南州太郎のモノマネで笑わせた小林正樹、美男の岩城茂美に小柄な森本繁と、個性豊かなメンバーが揃っていた。

元々ジャズ、ラテンなど幅広いレパートリーを持つバンドであり、その演奏力は確かなもので、テレビで演奏する機会は少なかったもののコンサートでは各自のパートの楽器で独奏するコーナーが必ず存在していた。

ボーヤを務めていた帆足新一は、後のゆーとぴあ・ピースである。

略歴
1967年9月 長崎市内のグランドキャバレー『銀馬車』の専属バンドとして結成。競合店『十二番館』の専属バンドは中井昭・高橋勝とコロラティーノで、『思案橋ブルース』で1年早く世に出た。
1968年 佐世保のナイトクラブ歌手として頭角を現わしていた前川が、メインボーカルとして参加。自主制作した『涙こがした恋』や『西海ブルース』が元民放ラジオや有線放送で評判となる。
『ロッテ歌のアルバム』の公開収録で長崎を訪れた東京パンチョスのチャーリー石黒が、長崎放送の接待で『銀馬車』に立ち寄りクール・ファイブの生歌に触れ、その場で日本ビクター(RCA事業部、後のアリオラジャパン)への紹介を約束した。
1969年2月 『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビュー。当時のメンバーは内山田、岩城、小林、森本、宮本、前川。
当初メジャーデビュー曲には『西海ブルース』が予定されていたが、プレス直前に作詞・作曲者の尾形義康が翻意し破談になったため、『銀馬車』のマネージャーだった吉田孝穂(筆名:永田貴子)が、自ら急造した詞を北海道放送のディレクターだった新居一芳(筆名:彩木雅夫)に手渡して完成した。
この『西海ブルース』は、クール・ファイブが大御所に成長した1977年、歌詞を吉田が補作した上で改めて吹き込まれている。
1969年12月 第11回日本レコード大賞新人賞受賞。第20回NHK紅白歌合戦に初出場。
1987年 本来ポップス指向が強く演歌嫌いを公言していた前川が、自然気胸を患ったのを期に脱退。低迷状態に陥る。
1992年 大幅なメンバーチェンジ。宮本と小林が脱退し、大沢允、西田涼馬、山上哲也が加入。『仮面ライダーBLACK RX』等のテレビ特撮物の主題歌で知られる宮内タカユキも短期間在籍した。
1996年 宮本悦朗が新進党公認で千葉7区から衆議院選挙に出馬。53,484票を獲得するが次点で落選。
2006年11月3日 内山田が肺がんのため横浜市内の病院で死去。享年70。同年大晦日の第57回NHK紅白歌合戦では、前川のサポートで内山田を除くオリジナルメンバーが集結し、クール・ファイブが一夜限り(前川談)の“再結成”を果たした。
しかしこの再結成が好評だったことから、その後前川清&クール・ファイブ名義でグループ活動を事実上再開。シングル『恋唄-2007-』を新たに吹き込み2007年7月1日に発売、同年9月には北海道でコンサートツアーを行った。同曲発売以後は『NHK歌謡コンサート』などのテレビ番組や、前川と梅沢富美男の共演にゲスト出演するなど、積極的に活動している。
活動再開に当り『恋唄』を選んだ理由は、2007年ヴィクトリアマイル(JpnI)優勝馬で、同年JRA賞最優秀4歳以上牝馬を獲得した前川の愛馬コイウタに因む。「馬だけではなく、歌も知って欲しい」(前川談)。

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2010年4月25日 (日)

明日の愛

『明日の愛』(あしたのあい)は、1974年11月に発売された五木ひろしのシングルである。

解説
作詞は山口洋子、作曲は筒美京平である。TBS系テレビドラマ「日本沈没」の主題歌となった(B面のバラード「小鳥」も、挿入歌として重要なシーンでたびたび使用された)。尚、ドラマのオープニングクレジットでの表記は「あしたの愛」になっている。五木自身、第14話「明日の愛」に航海士役で特別出演している。
「みれん」とほぼ同時期の発売となったが、年末の賞レースへ向けては「みれん」の方を強力にプッシュしていたので、この曲はあくまで「テレビドラマの主題歌」という位置づけである。ドラマ内でのオンエア以外には強くプロモーションされることもなく、テレビの歌謡番組等でも一切歌唱していない。

収録曲
明日の愛
作詞:山口洋子/作曲:筒美京平/編曲:ボブ佐久間
小鳥
作詞:山口洋子/作曲:筒美京平/編曲:ボブ佐久間

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灯りが欲しい

『灯りが欲しい』(あかりがほしい)は、1977年9月に発売された五木ひろしのシングルである。

解説
作詞は藤田まさと、作曲は遠藤実である。
オリコンでは2週間14位にランクされるなど、20万枚を超すセールスを記録した。
12月31日の第28回NHK紅白歌合戦では、全出場歌手の最後に歌う「大トリ」を同曲で初めて務めた。

収録曲
灯りが欲しい
作詞:藤田まさと/作曲:遠藤実
花の名前の女
作詞:山口洋子/作曲:遠藤実

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2010年4月24日 (土)

紅い花

『紅い花』(あかいはな)は、1974年6月に発売された五木ひろしのシングルである。

解説
作詞は山口洋子、作曲は中村泰士である。
次作の浜昼顔が3週間後にリリースされ、伸び悩んだ。

収録曲
紅い花
作詞:山口洋子/作曲:中村泰士
愚痴
作詞:山口洋子/作曲:中村泰士

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哀恋記

『哀恋記』(あいれんき)は、1975年2月に五木ひろしが発売したシングルである。

解説
作詞は山口洋子、作曲は森田公一である。新沼謙治はこの曲で日本テレビ「スター誕生!」に合格し、歌手としてデビューした。
「夜汽車の女」以来のポップス演歌。
オリコンでは10位まで上昇し、15万枚を超えるセールスを記録した。


収録曲
哀恋記
作詞:山口洋子/作曲:森田公一
恋は雨のように
作詞:山口洋子/作曲:平尾昌晃

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愛の始発

『愛の始発』(あいのしはつ)は、1976年2月に発売された五木ひろしのシングルである。

解説
作詞は山口洋子、作曲は猪俣公章と『千曲川』から3作連続で同じである。
オリコンでは1週間のみのBEST10入りだったが、30万枚近いセールスを記録した。この曲以降、オリコンでのBEST10入りは1979年の『おまえとふたり』までなかった。
収録曲
愛の始発
作詞:山口洋子/作曲:猪俣公章/編曲:森岡賢一郎
恋は淡雪
作詞:山口洋子/作曲:猪俣公章/編曲:竜崎孝路

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愛しつづけるボレロ

『愛しつづけるボレロ』(あいしつづけるボレロ)は、1982年3月に五木ひろしが発売したシングルである。

解説
作詞は阿久悠、作曲は1974年の『明日の愛』以来の筒美京平である。
オリコンでは辛うじてBEST20にランクされ、10万枚を超えるセールスに終わった。
収録曲
愛しつづけるボレロ
作詞:阿久悠/作曲:筒美京平
明日に向かって
作詞:喜多条忠/作曲:五木ひろし,服部克久

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能登半島

『能登半島』(のとはんとう)は1977年に発売された石川さゆりのシングルである。発売元は日本コロムビア。

概要
1977年(昭和52年)5月10日に発売されたシングルで前作の『津軽海峡・冬景色』に続く曲である。北島三郎の『加賀の女』と並ぶ1970年代の石川県の代表的なご当地ソング。
恋焦がれる女性の想いが描かれており、夏から秋にかけての能登半島が歌詞の中に表現されている。それもあり、この曲で能登半島への観光客の増加に一役を買ったとされている。
オリコンの週間チャートでは22位に初登場(6月2日付)し、最高10位を記録(7月28日付)。
この曲のシングル盤レコードは日本コロムビアから発売されたが、石川さゆりがポニーキャニオン、テイチクエンタテインメントへそれぞれレコード会社を移籍したことに併せて、各レコード会社から発売された石川さゆりのベスト・アルバムに収録されている。
2003年(平成15年)の『第54回NHK紅白歌合戦』で紅白で初めて歌われた。

収録曲
能登半島
作詞:阿久悠、作曲・編曲:三木たかし
帰りたくない
作詞:阿久悠、作曲・編曲:三木たかし

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津軽海峡・冬景色

『津軽海峡・冬景色』(つがるかいきょう ふゆげしき)とは1977年に石川さゆりが歌い、日本でヒットした歌謡曲である。

作詞は阿久悠、作曲・編曲は三木たかし(新録音版の編曲は今泉敏郎)。

石川はこの曲で1977年の第19回日本レコード大賞歌唱賞、第6回FNS歌謡祭最優秀グランプリを受賞し同年末の第28回NHK紅白歌合戦への初出場も果たして一気にスターダムへとのし上がることになる。

作品概要
恋に破れて東京を去り、北海道へ帰郷するため真冬の津軽海峡を連絡船で渡って行く女の辛い心情を哀調をこめて切々と歌った曲で津軽海峡と港町・青森、そして青函連絡船(1988年3月13日に青函トンネル開通で廃止)をも象徴する歌としてカラオケなどでも長く歌い継がれている。

なお1995年7月には青森市の青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸横、1996年7月には竜飛岬と歌詞に登場するゆかりの地にそれぞれ歌碑が建立されている。

2005年にNHKが実施した「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」では、紅組39位にランクインされた。

カラオケチェーン・ビッグエコーでこの曲をリクエストすると石川さゆり本人も出演する映像の中で、青函連絡船現役時代の風景を一瞬であるが見ることができる。

阿久悠の歌詞
多作で知られた阿久悠の作品中でも、この曲の歌詞は代表的な傑作とされる。

「上野発の夜行列車」を雪の青森駅で降り、連絡船へと乗り継いで行く描写がある。東京と北海道との間の交通手段は1970年代初頭までは鉄道・連絡船の乗り継ぎと航空機利用が拮抗していたが、この頃から航空機転移が顕著になってきた。当時ヒットしたこの曲は、連絡船の全盛期を偲ばせる歌である[2]。

連絡船の利用率がまだ高かった当時、実際の青森桟橋では席取りのために駆け足で移動する乗客が多く混雑時には非常な雑踏ぶりで騒々しかった。そのため、歌詞の中で「無口」であると歌われるのは連絡船乗船後の乗客たちの姿である。

「竜飛岬」など青函連絡船から見える光景が描写される(ただし青函連絡船が通常航路をとった場合、竜飛崎は船内から見ることはできなかった。なお、青函連絡船最末期の航海では船長のサービスにより竜飛崎が見える航路をとったこともある)。交通の便がきわめて悪いため、観光地としてはマイナーであった竜飛岬はこの歌によって全国的な知名度を得た。

歌詞は函館への到着までは描写せず、船上での女の心情を吐露させて終わる。

歌のタイトルの「津軽海峡」の後に「・」を入れた理由を阿久自身は覚えておらず、後には「津軽海峡冬景色」という1つの象徴語なので「・」は不要だと考えるようになったという。

その他
1988年3月13日に青函連絡船が最終運航を迎えたとき、青森出航時には誰からともなくこの歌の大合唱が起こったと言う。この便が函館港に着岸する時には同様に北島三郎の「函館の女」の大合唱が起こった。
かつて、中近東方面に赴任するビジネスマンたちの間で『ホルムズ海峡砂景色」という替え歌が歌われていたことがある。日本から遠く離れた砂漠の国での勤めを嘆いた戯れ歌である。
日本やアメリカのフィギュアスケート選手の一部が、ピアノやヴァイオリンで演奏された歌詞なしのヴァージョンを競技曲として使ったことがある。世界選手権出場経験のある南里康晴も、2008-2009シーズンのエキシビションで競技曲に採用している。
2006年10月3日にはバンダイナムコゲームスのゲーム『THE IDOLM@STER』のオフィシャルグッズとして、ネット通販限定で販売されたカバー曲CD『Your Song』にキャラクターの1人「萩原雪歩(落合祐里香)」のカバー曲として収録された(2007年10月3日発売の「MASTER ARTIST 09」に再収録)。
2007年の第58回NHK紅白歌合戦では阿久の追悼として、石川が紅組トリで同曲を歌唱した(白組トリも同じく阿久が作詞の『契り』を、五木ひろしが歌った)。また2009年の第60回NHK紅白歌合戦でも三木を追悼し同曲を歌唱した。
2009年現在、上野発青森行きの夜行列車は「あけぼの」のみとなっている。

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天城越え

『天城越え』(あまぎごえ)は、石川さゆりが1986年に発売した曲であり、「津軽海峡・冬景色」と並ぶヒット曲(代表作)である。 作詞・吉岡治、作曲・弦哲也、編曲:桜庭伸幸(新録音版は今泉敏郎)。 1986年の第28回日本レコード大賞金賞受賞曲。

概要
演歌の入門曲でもあり、演歌を知らない若者でも「天城越え」なら知っているという者は多い。カラオケで歌われる事が多い演歌のひとつであるが、決して歌いやすいわけではない。

毎年12月31日に行われる「NHK紅白歌合戦」では合計6回にわたり同曲を披露、また音楽(歌謡)番組においても、石川本人がしばしば歌唱している。2005年に実施された「スキウタ〜紅白みんなでアンケート〜」では、紅組の16位に選ばれた。

また、歌手の中森明菜が、2007年6月に演歌を歌ったカバーアルバム『艶華 -Enka-』をリリースし、インターネット投票でもっともリクエストの多かった「天城越え」をアルバムに収録した。また、マーティ・フリードマンがロック調にアレンジしたことがある。2010年には、misonoによってもカバーされた。

2008年シーズンのイチローの打席曲にもなった。これはシーズンオフに帰国して紅白を見ていたイチローが石川の歌う「天城越え」を聴いて、「記録など、いろいろな物を越えたい」と思ったからだという。その後石川はマリナーズのホームゲームに招待されたが、石川本人は野球音痴だという。

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長崎ブルース

『長崎ブルース』(ながさき - )は、1968年7月に発売された青江三奈のシングル。青江にとって『池袋の夜』に次ぐ大ヒットとなった。

解説
作詞:吉川静夫、作曲:渡久地正信。
『長崎の女』(春日八郎、1963年)、『思案橋ブルース』(中井昭・高橋勝とコロラティーノ、1968年)、『長崎は今日も雨だった』(内山田洋とクール・ファイブ、1969年)、『長崎の夜はむらさき』(瀬川瑛子、1970年)と、長崎県のご当地ソングにヒット作が続いた事から、全国的な長崎ブームを巻き起こし観光面でも大きく貢献した。
200万枚を超すセールスを記録したピンキーとキラーズ『恋の季節』に阻まれたが、発売5ヵ月後にオリコンの2位まで上昇した。翌1969年も年間売上第10位に輝いた。

EP
長崎ブルース(3分37秒)
作詞:吉川静夫/作曲:渡久地正信/編曲:寺岡真三
一人になりたい(3分00秒)
作詞:平山忠夫/作曲:渡久地正信/編曲:近藤進

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伊勢佐木町ブルース

伊勢佐木町ブルース』(いせざきちょうブルース)は1968年1月に青江三奈が発売したシングルである。

解説

  • 作詞は川内康範、作曲は鈴木庸一による。特に冒頭部分の色っぽい吐息で知られる。伊勢佐木町横浜市の繁華街である。なお、青江三奈はこの曲のほかに『恍惚のブルース』『長崎ブルース』など「ブルース」の付いた曲が多い。「第10回日本レコード大賞」歌唱賞、「第1回全日本有線放送大賞」優秀スター賞を受賞した。
  • 徐々に売れ始め、発売から5ヶ月経ってからオリコンのBEST10に初登場した。3週間5位にランクされるなど、1968年の年間第11位に輝いた。
  • 上述にあるように、冒頭の「色っぽい吐息」が本作を世代を越えて有名にさせており、リリース時には「“吐息”は子供向きではない」「お色気だ」と指摘され、「紅白歌合戦」などNHKの歌番組では、カズーの音と差し替えられることがあった。
  • 本曲のリリース当時、横浜市営地下鉄はまだ着工したばかりであり、同1号線における伊勢佐木町の最寄り駅の仮称は当初「長者町」駅だったが、本曲の大ヒットにより「伊勢佐木町」駅に変更しよう、という声が横浜市議会で上がりかけたこともあった。最終的には両区域を「ちょう」という言葉で結びつけた「伊勢佐木長者町」という折衷型の駅名が誕生した。
  • 伊勢佐木町4丁目イセザキモールには、青江三奈の没後に歌碑が建立されている(平成13年7月1日)。スイッチがあり、押すとスピーカ他内蔵「伊勢佐木町ブルース」が一分間演奏される。
  • 2001年公開の映画ウォーターボーイズ」では、劇中の挿入歌としても使われた。

収録曲

  1. 伊勢佐木町ブルース(3分22秒) 
    • 作詞:川内康範/作曲:鈴木庸一/編曲:竹村次郎 
  2. 霧のハイウェー(3分08秒) 大海晴彦
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