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2010年5月の9件の記事

2010年5月 2日 (日)

北空港

『北空港』(きたくうこう)は、1987年11月5日に発売された浜圭介と桂銀淑のデュエット曲である。発売元は東芝EMI。

解説
作曲家・浜圭介と桂銀淑の師弟コンビによる初のデュエット曲。
デュエット・ソングの定番となり、発売から20年以上経った2010年現在でも、カラオケ・ランキングで常に上位をキープしている。
札幌の夜を舞台に、北の空港から旅立つ男女の恋を歌っており、2004年7月24日には新千歳空港ターミナルビル2階のセンタープラザに歌碑が建てられた(高さ2メートル、幅93センチのステレンス製)。同曲の歌詞が刻まれ、ボタンを押すとメロディーが流れる仕組みになっている。

収録曲
北空港
作詞: やしろよう、作曲: 浜圭介、編曲: 桜庭伸幸
別れのグラス
作詞: やしろよう、作曲: 浜圭介、編曲: 桜庭伸幸

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大阪暮色

『大阪暮色』(おおさかぼしょく)は、1985年7月20日に発売された桂銀淑の日本におけるデビュー・シングルである。発売元は東芝EMI。

解説
韓国でモデル、歌手として活躍した後、来日した桂が作曲家の浜圭介の元でレッスンを積み、この曲で日本デビューを果たした。
大阪弁で歌うこの曲は、大阪での有線から火がつき全国ヒットに繋がり、桂のデビュー曲にして代表曲の1曲に数えられる曲になった。

収録曲
大阪暮色
作詞: 浜圭介、作曲: 浜圭介、編曲: 高田弘
夢やつれ
作詞: 里村龍一、作曲: 浜圭介、編曲: 高田弘

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別れの一本杉

『別れの一本杉』(わかれのいっぽんすぎ)は、1955年12月にリリースされた春日八郎のシングルである。春日八郎の代表曲のひとつである。

解説
作詞は高野公男、作曲は船村徹による。二人は大学在学中に知り合い、コンビを組んで活動していた。当時二人は新人でこれといったヒットに恵まれず苦しい時代を過ごししていた。そのような中でいくつかの曲をキングレコードの春日八郎のもとに売り込みにいき、その中で目に留められた曲がこの『別れの一本杉』であった。
この曲は当時50万枚のセールスを記録し、当時としては爆発的な人気となった。これにより、春日八郎の演歌歌手としての地位を確固たるものになり、また船村徹と高野公男の活動も本格化したが、この曲がヒットした矢先・作詞家の高野公男は結核に罹り、『別れの一本杉』が発表された翌1956年に26歳にて死去した。この高野の若すぎる死を悼み、彼の生涯とこの曲の情景をモチーフに同名のタイトルで翌1956年に松竹から映画化された。主演(高野公男役)は川喜多雄二が務めた。また春日八郎も劇中に歌手として出演している。
春日八郎はこの曲で1956年の第7回NHK紅白歌合戦、1969年の第20回NHK紅白歌合戦の紅白歌合戦に出場した。
2006年11月22日にキングレコードから、春日八郎、美空ひばり、三橋美智也、村田英雄、北島三郎、五木ひろし、大川栄策、藤圭子などの歌手が歌った『別れの一本杉』を収録したアルバム「別れの一本杉は枯れず」が発売された(これらの『別れの一本杉』のうち、シングルレコードとして発売されたのは春日が歌唱したもののみである)。

収録曲
別れの一本杉
作詞:高野公男/作曲:船村徹

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2010年5月 1日 (土)

逢わずに愛して

『逢わずに愛して』(あわずにあいして)は、内山田洋とクール・ファイブが1969年12月にリリースしたシングルである。

解説
作詞は川内康範、作曲は彩木雅夫による。『長崎は今日も雨だった』に次ぐ売上を記録し、クールファイブのシングルでは唯一のオリコンシングルチャート1位獲得曲となった。
発売から2ヶ月余りでBEST10に初登場し、4週間後に皆川おさむ『黒ネコのタンゴ』を抜き1位を獲得した。この年のクールファイブは『逢わずに愛して』・『愛の旅路を』・『噂の女』・『愛のいたずら』の4曲で46週間連続してBEST10にランクされていた。なお、同時期には前川清と結婚することになる藤圭子も42週間連続を記録している。
累計売上は約120万枚。

収録曲
逢わずに愛して
作詞:川内康範/作曲:彩木雅夫/編曲:森岡賢一郎
君よ涙でふりかえれ(4分47秒)
作詞:川内康範/作曲:城美好/編曲:森岡賢一郎

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愛の旅路を

『愛の旅路を』(あいのたびじを)は、オリコン・チャートで1位獲得した『逢わずに愛して』に続いて内山田洋とクール・ファイブが発売したシングルである。

解説
作詞は山口あかり、作曲は藤本卓也である。
発売後1ヶ月余りで『逢わずに愛して』とともにBEST10にランクされ、4位まで上昇した。この年のクールファイブは『逢わずに愛して』から『愛のいたずら』までの4曲で46週間連続のBEST10入りを記録している。

収録曲
愛の旅路を
作詞:山口あかり/作曲:藤本卓也/編曲:森岡賢一郎
夜毎の誘惑
作詞:山口あかり/作曲:城美好/編曲:森岡賢一郎

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噂の女

『噂の女』(うわさのおんな)は、内山田洋とクール・ファイブが1970年7月にリリースしたシングルである。50万枚のヒットとなり、1970年の年間第14位に輝いた。

解説
作詞は山口洋子、作曲は猪俣公章による。クールファイブにとっては『長崎は今日も雨だった』『逢わずに愛して』に次ぐヒットである。
発売して3週間余りで6位に初登場した。11週間後には由紀さおり『手紙』に阻まれ、2位止まりとなった。なお、クールファイブは『逢わずに愛して』『愛の旅路を』『噂の女』『愛のいたずら』の4曲で46週間連続のBEST10入りを記録している。

収録曲
噂の女
作詞:山口洋子/作曲:猪俣公章/編曲:猪俣公章
だまっていかないで
作詞:山口洋子/作曲:内山田洋/編曲:森岡賢一郎

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長崎は今日も雨だった

『長崎は今日も雨だった』(ながさきはきょうもあめだった)は、内山田洋とクール・ファイブのメジャーデビュー曲にして、最大のヒット曲。グループ脱退後、ソロ活動中の前川清の代表曲でもある。1969年(昭和44年)2月発売。永田貴子(ながた たかし、吉田孝穂の筆名)作詞、彩木雅夫作曲、森岡賢一郎編曲。

解説
内山田洋とクール・ファイブは長崎市内のグランドキャバレー『銀馬車』の専属バンドで、ラテンやジャズなど幅広いレパートリーを有していた。一方、競合店『十二番館』の専属バンドは中井昭・高橋勝とコロラティーノで、『思案橋ブルース』で1年早く世に出た。
1968年、佐世保のナイトクラブ歌手として頭角を現わした前川清をリードボーカルに迎え、チャーリー石黒の推薦で日本ビクターのプロモーションで売り出す計画が始動した。自主制作盤『涙こがした恋』に続くメジャーデビュー曲には、前川と同じ佐世保でギター流しをしていた尾形義康の持ち歌で、地元民放局や有線放送でヒット中だった『西海ブルース』が当初予定されていたが、プレス直前に尾形が翻意し破談になったため、『銀馬車』の音楽監督だった吉田が自ら急造した詞を、当時北海道放送でディレクターを務めていた彩木に手渡して『長崎は今日も雨だった』が完成した。
お蔵入りした幻のデビュー曲『西海ブルース』は、内山田洋とクール・ファイブが大御所に成長した1977年、歌詞を吉田が補作した上で改めて吹き込まれている。
発売約4ヶ月後にオリコンBEST10入り。森進一の『港町ブルース』(年間第2位)や、森山良子の『禁じられた恋』(年間第6位)に阻まれて2位止まりとなるが、年間売上第8位のロングセラーになった。同年11月に発売されたアルバム『長崎は今日も雨だった』も年間30万枚を超える大ヒットとなったが、最高位は2位だった。
累計売上は約150万枚[1][2]。
この曲のヒットで同年の第11回日本レコード大賞新人賞、第20回NHK紅白歌合戦初出場を果たし、一躍全国区に名乗りを上げた。
『長崎の女』(春日八郎、1963年)、『長崎ブルース』(青江三奈、1968年)、『思案橋ブルース』(中井昭・高橋勝とコロラティーノ、1968年)、『長崎は今日も雨だった』(1969年)、『長崎の夜はむらさき』(瀬川瑛子、1970年)と、長崎県のご当地ソングに大ヒット作が続いた事から、全国的な長崎ブームを巻き起こし観光面でも大きく貢献した。

その他
この曲や長崎大水害などから「長崎は雨が多い」という誤解が定着したが、ヒットした1969年前後の長崎市は慢性的な水不足だった。また水害直後の一時期、この曲の歌唱を自粛していた。
1970年代後半に前川が出演した江崎グリコ『ワンタッチカレー』のCMでは、この曲のパロディを自ら唄った(出だしの部分を『ブルー・シャトウ』や『瀬戸の花嫁』のパロディと同様に節ごとに韻を踏み(語句を叫ぶのは共演の子役群。最後(4つめ)は前川自身)、ラストはサビの部分を「グリコ、あぁぁ、ワンタッチカレー」と歌い上げている)。
小泉純一郎は長崎市での街頭演説で「長崎は今日も晴れだった」と熱弁。
長崎ロケが行われた『釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪♪』のサブタイトルは、この曲のパロディ。
2006年の紅白歌合戦に前川が出場した際、同年11月3日に逝去したリーダー内山田洋の追悼で、クール・ファイブのオリジナルメンバーが20年振りに揃い『長崎は今日も雨だった』を熱唱。以降、前川清&クール・ファイブ名義で事実上再結成され、グループ活動を再開した。
長崎県とJF長崎漁連の共同CMにこの曲が使用されている。同CMは2000年代中頃から、都市対抗野球大会期間中に東京ドームのオーロラビジョンで流されるほか、2008年からはGAORAの同大会中継の中でも放送されている。

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そして、神戸

『そして、神戸』(そして こうべ)は、内山田洋とクール・ファイブが1972年11月にリリースしたシングルである。

解説
作詞は千家和也、作曲は浜圭介である。神戸を代表するご当地ソングとして知られる。
リリースされて1ヶ月余りでオリコン・チャートのBEST10に初登場し、6位まで上昇した。

収録曲
そして、神戸
作詞:千家和也/作曲:浜圭介/編曲:森岡賢一郎
君を恋うる唄
作詞:千家和也/作曲:曽根幸明/編曲:森岡賢一郎

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中の島ブルース

『中の島ブルース』(なかのしま-)は、秋庭豊とアローナイツが1973年に自主制作したシングル。作詞:斎藤保、作曲:吉田佐。

1975年7月に歌詞を補作した全国版が発売され、内山田洋とクール・ファイブとの競作になった。

概観
歌志内炭坑のアマチュア社内バンドだったアローナイツが、実力を認められプロになり、札幌に進出して成功。初のオリジナル曲として自主制作で発売された。この当時の歌詞は札幌市豊平区の中の島のみを舞台としていた。
有線放送を通じ人気が全国的になったことから、アローナイツにメジャーデビュー計画が持ち上がり、歌詞を補作(2番:大阪市北区の中之島、3番:長崎[1])して、内山田洋とクール・ファイブとの競作の形で再発売された。
セールス面では、既に知名度が高かったクール・ファイブが勝り、1972年の『そして、神戸』以来のオリコンBEST10入りを果した。

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