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2010年5月 1日 (土)

長崎は今日も雨だった

『長崎は今日も雨だった』(ながさきはきょうもあめだった)は、内山田洋とクール・ファイブのメジャーデビュー曲にして、最大のヒット曲。グループ脱退後、ソロ活動中の前川清の代表曲でもある。1969年(昭和44年)2月発売。永田貴子(ながた たかし、吉田孝穂の筆名)作詞、彩木雅夫作曲、森岡賢一郎編曲。

解説
内山田洋とクール・ファイブは長崎市内のグランドキャバレー『銀馬車』の専属バンドで、ラテンやジャズなど幅広いレパートリーを有していた。一方、競合店『十二番館』の専属バンドは中井昭・高橋勝とコロラティーノで、『思案橋ブルース』で1年早く世に出た。
1968年、佐世保のナイトクラブ歌手として頭角を現わした前川清をリードボーカルに迎え、チャーリー石黒の推薦で日本ビクターのプロモーションで売り出す計画が始動した。自主制作盤『涙こがした恋』に続くメジャーデビュー曲には、前川と同じ佐世保でギター流しをしていた尾形義康の持ち歌で、地元民放局や有線放送でヒット中だった『西海ブルース』が当初予定されていたが、プレス直前に尾形が翻意し破談になったため、『銀馬車』の音楽監督だった吉田が自ら急造した詞を、当時北海道放送でディレクターを務めていた彩木に手渡して『長崎は今日も雨だった』が完成した。
お蔵入りした幻のデビュー曲『西海ブルース』は、内山田洋とクール・ファイブが大御所に成長した1977年、歌詞を吉田が補作した上で改めて吹き込まれている。
発売約4ヶ月後にオリコンBEST10入り。森進一の『港町ブルース』(年間第2位)や、森山良子の『禁じられた恋』(年間第6位)に阻まれて2位止まりとなるが、年間売上第8位のロングセラーになった。同年11月に発売されたアルバム『長崎は今日も雨だった』も年間30万枚を超える大ヒットとなったが、最高位は2位だった。
累計売上は約150万枚[1][2]。
この曲のヒットで同年の第11回日本レコード大賞新人賞、第20回NHK紅白歌合戦初出場を果たし、一躍全国区に名乗りを上げた。
『長崎の女』(春日八郎、1963年)、『長崎ブルース』(青江三奈、1968年)、『思案橋ブルース』(中井昭・高橋勝とコロラティーノ、1968年)、『長崎は今日も雨だった』(1969年)、『長崎の夜はむらさき』(瀬川瑛子、1970年)と、長崎県のご当地ソングに大ヒット作が続いた事から、全国的な長崎ブームを巻き起こし観光面でも大きく貢献した。

その他
この曲や長崎大水害などから「長崎は雨が多い」という誤解が定着したが、ヒットした1969年前後の長崎市は慢性的な水不足だった。また水害直後の一時期、この曲の歌唱を自粛していた。
1970年代後半に前川が出演した江崎グリコ『ワンタッチカレー』のCMでは、この曲のパロディを自ら唄った(出だしの部分を『ブルー・シャトウ』や『瀬戸の花嫁』のパロディと同様に節ごとに韻を踏み(語句を叫ぶのは共演の子役群。最後(4つめ)は前川自身)、ラストはサビの部分を「グリコ、あぁぁ、ワンタッチカレー」と歌い上げている)。
小泉純一郎は長崎市での街頭演説で「長崎は今日も晴れだった」と熱弁。
長崎ロケが行われた『釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪♪』のサブタイトルは、この曲のパロディ。
2006年の紅白歌合戦に前川が出場した際、同年11月3日に逝去したリーダー内山田洋の追悼で、クール・ファイブのオリジナルメンバーが20年振りに揃い『長崎は今日も雨だった』を熱唱。以降、前川清&クール・ファイブ名義で事実上再結成され、グループ活動を再開した。
長崎県とJF長崎漁連の共同CMにこの曲が使用されている。同CMは2000年代中頃から、都市対抗野球大会期間中に東京ドームのオーロラビジョンで流されるほか、2008年からはGAORAの同大会中継の中でも放送されている。

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